エルサレム炎上
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2006/10/27 23:25 投稿番号: [229677 / 232612]
前レスで、「ローマ帝国に徹底的に反抗した国」と書きましたが、なんのことはないユダヤ王国のことです。
歴史的には、ローマ帝国に支配下に入ったのは、AD63年で、以後ローマから派遣された提督とその傀儡であるヘロデ及びその子孫によって支配されます。
イエスの処刑もピラト総督が最終的に刑を許したことになっている。
ところで、それ以前から、ユダヤ人には一神教の下、メシア思想が受け継がれており、当時民衆がイエスに寄せる期待は、上記神が使わしたメシア思想を背景としたものがあったと思いますが、中にはダビテ王のような世俗的な王として、さらにはイスラエルの完全独立とかっての栄光の再現としての期待もあった。
なお、当時はユダヤ人だけが一神教であり、他の民族=ローマ人も含めて多神教であり、
神にのみ頭をさげ皇帝に頭を下げないユダヤ人には、ローマ人は大いなる違和感を持っていたし、ユダヤ国はいわば難治の国だった。
さて、それからはローマ総督の直接の支配下になり、約30年経過し(BC66年)ユダヤ国でローマに対し大反乱が起きます。
直接的な契機は、ローマ提督の神殿等の宝物の争奪ですが、ユダヤ人側の背景には、いつか神が降臨して我々の王国を救ってくれるというメシア信仰が強くあったわけです。
ただし、ユダヤ側もユダヤ教としては一枚岩ですが、内側はイエスの時代と変わらず、サドカイ派・ファリサイ派等に別れ、各派の国に対する主導権争いもありました。
十二使徒の一人シモンが属していたといわれる急進派の武闘派・熱心党(ゼロータイ)も健在で、熱心党が主導権を取ったこともあったようです。
(因みに、当時キリスト教も新興宗教として、内外のユダヤ人を中心に広めてはいたはずですが、極小勢力でありほとんど影響力がなかった。)
これに対し、ローマ側は、軍の駐屯地であるシリアから南にゆっくり進軍し、ユダヤの北部ガリラヤから確実にユダヤ側拠点を落としていきます。
これに対しユダヤ側は信仰に基づき最大限の抵抗を示すのですが、ローマ軍の前には、敵ではなかったようで個別撃破され個々の局面で自決も相次いだようです。
やがてローマ軍はエレサレムをじっくりと包囲し、その包囲網は重厚で堅固なものになる。
(映画のセットでいえば、通常の包囲網はプレハブだけど、ローマ軍のそれは永久セットのようなものです)
こういうときに包囲に落ちた中のユダヤ人は、メシアの出現を必死に祈ったとは思いま
すが、その願いも空しく奇跡は起こらず、4年後にエルサレムはついに陥落炎上し、100万人の戦闘・非戦闘員が虐殺され凄惨なことになってしまいます。
ところで、ユダヤ人の抵抗は執拗を極め、死海のほとりマサダの砦は、なんとその後4年間も落ちませんでした(最後はこれまた自決でケリ)。
これだけ痛めつけられたのにもかかわらず、AD132年にはもう一度、反乱が起きます(第二次ユダヤ戦争)。
ローマ側では反乱ということですが、この時には自他共に認めるメシアが現れております。
しかし真のメシアでもなかったようで、これもあえなく潰されました。
2度のユダヤ戦争で、ユダヤ教の指導者は全員処刑、神殿も徹底的に破壊され、エルサレムは人が生活できないよう塩がまかれ、ユダヤ人は強制的に地中海世界に移住させられ(奴隷として)、神殿のあったエルサレムの入場は禁止されました(反乱に参加しなかったキリスト教徒は入場できた)。嘆きの壁の始まりです。
(塩をまき人を住めなくしたという点では、それ以前のカルタゴ処置も同じです)
実はユダヤ人は、これ以前に亡国の憂き目にあっているのですが(バビロン捕囚)、この時は帰国することができました。
それにしても、現代でいう民族浄化の徹底的な被害を受けたことになるのでしょう。
これがユダヤ人の離散(ディスポアラ)の始まりということになると思います。
通常ならば、民族の滅亡であり、時間をかけてそれぞれの土地の民族の中に吸収されていったはずですが(事実多くのユダヤ人が多くの時代の中で他民族に吸収され、ユダヤ人でなくなっていく。)、ユダヤ教を守り通した者だけの一部が、2000年後に国を再建することなる。
さてこんな出来事が現在の北朝鮮と国際情勢に結びつくかというと、ほとんど結びつかないですね(泣)。
ローマ帝国の置かれている情勢を読むこともなく、ほとんど宗教的な理由で支配者に対し反乱を起こすわけですが、彼我の軍事力の差は圧倒的な中で、滅んでいった民族があるということでしょうか。
どうも変なレスになりました。
歴史的には、ローマ帝国に支配下に入ったのは、AD63年で、以後ローマから派遣された提督とその傀儡であるヘロデ及びその子孫によって支配されます。
イエスの処刑もピラト総督が最終的に刑を許したことになっている。
ところで、それ以前から、ユダヤ人には一神教の下、メシア思想が受け継がれており、当時民衆がイエスに寄せる期待は、上記神が使わしたメシア思想を背景としたものがあったと思いますが、中にはダビテ王のような世俗的な王として、さらにはイスラエルの完全独立とかっての栄光の再現としての期待もあった。
なお、当時はユダヤ人だけが一神教であり、他の民族=ローマ人も含めて多神教であり、
神にのみ頭をさげ皇帝に頭を下げないユダヤ人には、ローマ人は大いなる違和感を持っていたし、ユダヤ国はいわば難治の国だった。
さて、それからはローマ総督の直接の支配下になり、約30年経過し(BC66年)ユダヤ国でローマに対し大反乱が起きます。
直接的な契機は、ローマ提督の神殿等の宝物の争奪ですが、ユダヤ人側の背景には、いつか神が降臨して我々の王国を救ってくれるというメシア信仰が強くあったわけです。
ただし、ユダヤ側もユダヤ教としては一枚岩ですが、内側はイエスの時代と変わらず、サドカイ派・ファリサイ派等に別れ、各派の国に対する主導権争いもありました。
十二使徒の一人シモンが属していたといわれる急進派の武闘派・熱心党(ゼロータイ)も健在で、熱心党が主導権を取ったこともあったようです。
(因みに、当時キリスト教も新興宗教として、内外のユダヤ人を中心に広めてはいたはずですが、極小勢力でありほとんど影響力がなかった。)
これに対し、ローマ側は、軍の駐屯地であるシリアから南にゆっくり進軍し、ユダヤの北部ガリラヤから確実にユダヤ側拠点を落としていきます。
これに対しユダヤ側は信仰に基づき最大限の抵抗を示すのですが、ローマ軍の前には、敵ではなかったようで個別撃破され個々の局面で自決も相次いだようです。
やがてローマ軍はエレサレムをじっくりと包囲し、その包囲網は重厚で堅固なものになる。
(映画のセットでいえば、通常の包囲網はプレハブだけど、ローマ軍のそれは永久セットのようなものです)
こういうときに包囲に落ちた中のユダヤ人は、メシアの出現を必死に祈ったとは思いま
すが、その願いも空しく奇跡は起こらず、4年後にエルサレムはついに陥落炎上し、100万人の戦闘・非戦闘員が虐殺され凄惨なことになってしまいます。
ところで、ユダヤ人の抵抗は執拗を極め、死海のほとりマサダの砦は、なんとその後4年間も落ちませんでした(最後はこれまた自決でケリ)。
これだけ痛めつけられたのにもかかわらず、AD132年にはもう一度、反乱が起きます(第二次ユダヤ戦争)。
ローマ側では反乱ということですが、この時には自他共に認めるメシアが現れております。
しかし真のメシアでもなかったようで、これもあえなく潰されました。
2度のユダヤ戦争で、ユダヤ教の指導者は全員処刑、神殿も徹底的に破壊され、エルサレムは人が生活できないよう塩がまかれ、ユダヤ人は強制的に地中海世界に移住させられ(奴隷として)、神殿のあったエルサレムの入場は禁止されました(反乱に参加しなかったキリスト教徒は入場できた)。嘆きの壁の始まりです。
(塩をまき人を住めなくしたという点では、それ以前のカルタゴ処置も同じです)
実はユダヤ人は、これ以前に亡国の憂き目にあっているのですが(バビロン捕囚)、この時は帰国することができました。
それにしても、現代でいう民族浄化の徹底的な被害を受けたことになるのでしょう。
これがユダヤ人の離散(ディスポアラ)の始まりということになると思います。
通常ならば、民族の滅亡であり、時間をかけてそれぞれの土地の民族の中に吸収されていったはずですが(事実多くのユダヤ人が多くの時代の中で他民族に吸収され、ユダヤ人でなくなっていく。)、ユダヤ教を守り通した者だけの一部が、2000年後に国を再建することなる。
さてこんな出来事が現在の北朝鮮と国際情勢に結びつくかというと、ほとんど結びつかないですね(泣)。
ローマ帝国の置かれている情勢を読むこともなく、ほとんど宗教的な理由で支配者に対し反乱を起こすわけですが、彼我の軍事力の差は圧倒的な中で、滅んでいった民族があるということでしょうか。
どうも変なレスになりました。
これは メッセージ 229671 (sofiansky2003 さん)への返信です.