硫黄島の戦闘の意味すること(終わり)
投稿者: komash0427 投稿日時: 2006/08/20 23:07 投稿番号: [229064 / 232612]
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しかし、孤島の戦闘は援軍のまったくない日本軍将兵にとって、無残としかいいようのない状態になっていく。3月15日、ほぼ全島が占領されたが、洞窟に拠る残存日本兵の反撃はつづいている。翌16日、ついに一兵の救援もよこさなかった大本営へ、栗林中将は決別の電文を送った。
「戦局最後ノ関頭ニ直面セリ 敵来攻以来麾下(きか)将兵ノ敢闘ハ真ニ鬼神ヲ哭(なか)シムルモノアリ
特ニ想像ヲ越エタル物量的優勢ヲ以テスル陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ
宛然(えんぜん)徒手空拳ヲ以テ克(よ)ク健闘ヲ続ケタルハ 小職自ラ聊(いささ)カ悦ビトスル所ナリ
然レドモ飽クナキ敵ノ猛攻ニ相次デ斃レ 為ニ御期待ニ反シ此ノ要地ヲ敵手ニ委ヌル外ナキニ至リシハ
小職ノ誠ニ恐懼(きょうく)ニ堪ヘサル所ニシテ 幾重ニモ御詫申上ク
今ヤ弾丸尽キ水涸レ 全員反撃シ最後ノ敢闘ヲ行ハントスルニ方(あた)リ 熟々(つらつら)皇恩ヲ思ヒ 粉骨砕身モ亦悔イズ
特ニ本島ヲ奪還セザル限リ皇土永遠ニ安ラカザルニ思ヒ至リ 縦(たと)ヒ魂魄(こんぱく)トナルモ誓ッテ皇軍ノ捲土重来ノ魁タランコトヲ期ス
茲(ここ)ニ最後の関頭ニ立チ重ネテ衷情ヲ披瀝スルト共ニ 只管(ひたすら)皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ永ヘニ御別レ申上ク(以下略)」
そしてその電文の最後に「終リ左記駄作御笑覧ニ供ス」とあり、三首の和歌を書きそえられている。うち二首を。
国の為 重きつとめを果たし得で
矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
仇討つたで 野辺には朽ちじ吾は又
七度生まれて 矛を執らむぞ
「散るぞ悲しき」・・・・・それはおのれのみではない、部下の将兵の散華を闘将は心底から悲しんでいる。
その翌17日、同日付で陸軍中央は栗林中将を大将に親任する。といってそれを伝える手段はまったくなくなっている。
同日、大将になったなどとは知らない栗林中将は、その階級章をむしりとり、重要書類などとともに焼却し、コップ一杯の酒と、恩賜の煙草二本とで、師団司令部洞窟内の部下たちと今生の別れを告げる。中将は左手に軍刀の柄を握りしめて淡々として訓示した。
「たとえ草を喰み、土を齧り、野に伏するとも断じて戦うところ死中おのずから活あるを信じています。ことここに至っては一人百殺、これ以外にありません。本職は諸君の忠誠を信じている。私の後に最後までつづいてください」
訣別の電報を栗林中将の遺書とみるべきか、あるいはこの訓示を最後の言葉と解すべきか。いずれにせよ、栗林中将以下の硫黄島の将兵は真によく戦った、と賞するほかはない。
栗林中将の命のもとに、残存の将兵が最後の突撃を敢行したのは3月26日未明。栗林自身も白たすきを肩にかけ、軍刀をかざし「進め、進め」と先頭に立って、華々しく散っていったという。突進・・・・・それが自分の出身たる騎兵の本領である、と栗林は常々部下に語っていた。
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「散るぞ悲しき」(梯久美子)のエピローグでは、
「国の為 重きつとめを果たし得で
矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」
この、栗林中将の辞世の歌に対して
平成6年2月、初めて硫黄島を訪れた天皇陛下は次のように詠っていることを紹介しています。
「精魂を 込め戦ひし人未だ
地下に眠りて島は悲しき」
硫黄島の戦いで命を落とした兵士たちの遺骨の大半はまだ硫黄島に眠っています。
しかし、孤島の戦闘は援軍のまったくない日本軍将兵にとって、無残としかいいようのない状態になっていく。3月15日、ほぼ全島が占領されたが、洞窟に拠る残存日本兵の反撃はつづいている。翌16日、ついに一兵の救援もよこさなかった大本営へ、栗林中将は決別の電文を送った。
「戦局最後ノ関頭ニ直面セリ 敵来攻以来麾下(きか)将兵ノ敢闘ハ真ニ鬼神ヲ哭(なか)シムルモノアリ
特ニ想像ヲ越エタル物量的優勢ヲ以テスル陸海空ヨリノ攻撃ニ対シ
宛然(えんぜん)徒手空拳ヲ以テ克(よ)ク健闘ヲ続ケタルハ 小職自ラ聊(いささ)カ悦ビトスル所ナリ
然レドモ飽クナキ敵ノ猛攻ニ相次デ斃レ 為ニ御期待ニ反シ此ノ要地ヲ敵手ニ委ヌル外ナキニ至リシハ
小職ノ誠ニ恐懼(きょうく)ニ堪ヘサル所ニシテ 幾重ニモ御詫申上ク
今ヤ弾丸尽キ水涸レ 全員反撃シ最後ノ敢闘ヲ行ハントスルニ方(あた)リ 熟々(つらつら)皇恩ヲ思ヒ 粉骨砕身モ亦悔イズ
特ニ本島ヲ奪還セザル限リ皇土永遠ニ安ラカザルニ思ヒ至リ 縦(たと)ヒ魂魄(こんぱく)トナルモ誓ッテ皇軍ノ捲土重来ノ魁タランコトヲ期ス
茲(ここ)ニ最後の関頭ニ立チ重ネテ衷情ヲ披瀝スルト共ニ 只管(ひたすら)皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ永ヘニ御別レ申上ク(以下略)」
そしてその電文の最後に「終リ左記駄作御笑覧ニ供ス」とあり、三首の和歌を書きそえられている。うち二首を。
国の為 重きつとめを果たし得で
矢弾尽き果て 散るぞ悲しき
仇討つたで 野辺には朽ちじ吾は又
七度生まれて 矛を執らむぞ
「散るぞ悲しき」・・・・・それはおのれのみではない、部下の将兵の散華を闘将は心底から悲しんでいる。
その翌17日、同日付で陸軍中央は栗林中将を大将に親任する。といってそれを伝える手段はまったくなくなっている。
同日、大将になったなどとは知らない栗林中将は、その階級章をむしりとり、重要書類などとともに焼却し、コップ一杯の酒と、恩賜の煙草二本とで、師団司令部洞窟内の部下たちと今生の別れを告げる。中将は左手に軍刀の柄を握りしめて淡々として訓示した。
「たとえ草を喰み、土を齧り、野に伏するとも断じて戦うところ死中おのずから活あるを信じています。ことここに至っては一人百殺、これ以外にありません。本職は諸君の忠誠を信じている。私の後に最後までつづいてください」
訣別の電報を栗林中将の遺書とみるべきか、あるいはこの訓示を最後の言葉と解すべきか。いずれにせよ、栗林中将以下の硫黄島の将兵は真によく戦った、と賞するほかはない。
栗林中将の命のもとに、残存の将兵が最後の突撃を敢行したのは3月26日未明。栗林自身も白たすきを肩にかけ、軍刀をかざし「進め、進め」と先頭に立って、華々しく散っていったという。突進・・・・・それが自分の出身たる騎兵の本領である、と栗林は常々部下に語っていた。
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「散るぞ悲しき」(梯久美子)のエピローグでは、
「国の為 重きつとめを果たし得で
矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」
この、栗林中将の辞世の歌に対して
平成6年2月、初めて硫黄島を訪れた天皇陛下は次のように詠っていることを紹介しています。
「精魂を 込め戦ひし人未だ
地下に眠りて島は悲しき」
硫黄島の戦いで命を落とした兵士たちの遺骨の大半はまだ硫黄島に眠っています。
これは メッセージ 229063 (komash0427 さん)への返信です.