捏造記事on靖国神社 判らない事ばかり
投稿者: prefgovernor 投稿日時: 2006/07/23 11:25 投稿番号: [228862 / 232612]
靖国神社についての発言メモは88年=昭和63年4月28日のところに手帳に張り付けてあったんですよね?
公開されたページの右上に 4.28④とあり①②③の続きですよね
『Pressの会見
1昨年は
①高松薨去 *昭和62年(1987年)2月3日)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%AE%AE%E5%AE%A3%E4%BB%81
・・・ 心も重かった
②メモで返答した・・していたと思う
③4.29に吐瀉し・・・やはり体調が・・・今年は・・・印象があった・・・=(2)については・・・ました
2
戦争の感想を・・ 嫌な気持ちも表現・・ それは何で云いたい そして戦・国民・・・脅かして 平和の・・・ことを云いたかった
”嫌だ”と云ったのは 云った・・である 』
昭和天皇陛下のご病状:1988年9月19日に吐血してから翌年1月7日に崩御
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87
nikkei netを探したが大元の記事はもうない メモの入手経路やメモの全体について知りたい
http://vortex.milkcafe.to/giwaku.html
http://tech.heteml.jp/2006/07/post_638.html
藤尾先生はご存命のようだが・・・書面でも良いのでコメントが欲しいところ
第3次中曽根内閣 昭61年=19★86年7月22日成立 文部大臣 藤尾正行 昭61. 9. 9- 塩川正十郎http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/73.html
共同通信高橋紘氏(静岡福祉大・女性女系天皇推進)が発見されたそうですね http://www.chunichi-tokai.co.jp/konwa/konwa258.shtml
今日はサンデープロジェクトで 加藤紘一氏が随分熱心に「私の心だ」という部分を強調しているなぁ・・・田原総一郎はメモについての検証はいらない! と言ってコーナーを切った。
///////////////////////////////////////////////////////////////
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060720-00000045-mai-soci
<昭和天皇>A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ
略・・・・・・・
遺族らによると、富田氏は、74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまでの間、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた。
靖国神社についての発言メモは88年4月で手帳に張り付けてあった。・・・略・・・・・・・・・・・・・・・
昭和天皇は45〜75年に8回靖国神社を参拝した。
富田氏は警察官僚出身で、72年の浅間山荘事件を警察庁警備局長として指揮し、74年に宮内庁次長、78〜88年まで同長官を務めた。その間の87年には昭和天皇が天皇として初めて開腹手術を受けることを決断した。退任後は国家公安委員を務め、03年11月、83歳で死去した。
遺族によると、富田氏は昭和天皇とよく御所などで会話し、それらをメモなどに書きとめ本棚に保管していた。靖国神社をめぐる今回の発言については、富田氏が長官を務めていた当時、直接聞いたことがあるという。
昭和天皇の不快感について、靖国神社広報課は「コメントは差し控えたい」と短く談話を公表した。【桐野耕一】
・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▽「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さんの話 あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。・・・略・・・・・・・・・・・
◇分祀論議などにも微妙な影響
・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・
安倍晋三官房長官は20日の記者会見で資料について「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている。天皇陛下の参拝については、そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討して宮内庁で対処してきた」と説明。小泉首相の参拝への影響については「首相自身が判断するものだ」と語った。
A級戦犯については、自民党の古賀誠元幹事長、山崎拓前副総裁らが神社からの分祀論を提起している。かねて中曽根康弘元首相は「天皇陛下もお参りできるためには分祀が一番いい」と主張しており、今回の資料発見で天皇参拝の復活を求める観点からの分祀論が勢いを得る可\xC7
公開されたページの右上に 4.28④とあり①②③の続きですよね
『Pressの会見
1昨年は
①高松薨去 *昭和62年(1987年)2月3日)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9D%BE%E5%AE%AE%E5%AE%A3%E4%BB%81
・・・ 心も重かった
②メモで返答した・・していたと思う
③4.29に吐瀉し・・・やはり体調が・・・今年は・・・印象があった・・・=(2)については・・・ました
2
戦争の感想を・・ 嫌な気持ちも表現・・ それは何で云いたい そして戦・国民・・・脅かして 平和の・・・ことを云いたかった
”嫌だ”と云ったのは 云った・・である 』
昭和天皇陛下のご病状:1988年9月19日に吐血してから翌年1月7日に崩御
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87
nikkei netを探したが大元の記事はもうない メモの入手経路やメモの全体について知りたい
http://vortex.milkcafe.to/giwaku.html
http://tech.heteml.jp/2006/07/post_638.html
藤尾先生はご存命のようだが・・・書面でも良いのでコメントが欲しいところ
第3次中曽根内閣 昭61年=19★86年7月22日成立 文部大臣 藤尾正行 昭61. 9. 9- 塩川正十郎http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/73.html
共同通信高橋紘氏(静岡福祉大・女性女系天皇推進)が発見されたそうですね http://www.chunichi-tokai.co.jp/konwa/konwa258.shtml
今日はサンデープロジェクトで 加藤紘一氏が随分熱心に「私の心だ」という部分を強調しているなぁ・・・田原総一郎はメモについての検証はいらない! と言ってコーナーを切った。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060720-00000045-mai-soci
<昭和天皇>A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ
略・・・・・・・
遺族らによると、富田氏は、74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまでの間、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた。
靖国神社についての発言メモは88年4月で手帳に張り付けてあった。・・・略・・・・・・・・・・・・・・・
昭和天皇は45〜75年に8回靖国神社を参拝した。
富田氏は警察官僚出身で、72年の浅間山荘事件を警察庁警備局長として指揮し、74年に宮内庁次長、78〜88年まで同長官を務めた。その間の87年には昭和天皇が天皇として初めて開腹手術を受けることを決断した。退任後は国家公安委員を務め、03年11月、83歳で死去した。
遺族によると、富田氏は昭和天皇とよく御所などで会話し、それらをメモなどに書きとめ本棚に保管していた。靖国神社をめぐる今回の発言については、富田氏が長官を務めていた当時、直接聞いたことがあるという。
昭和天皇の不快感について、靖国神社広報課は「コメントは差し控えたい」と短く談話を公表した。【桐野耕一】
・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▽「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さんの話 あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。・・・略・・・・・・・・・・・
◇分祀論議などにも微妙な影響
・・・略・・・・・・・・・・・・・・・・・・
安倍晋三官房長官は20日の記者会見で資料について「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている。天皇陛下の参拝については、そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討して宮内庁で対処してきた」と説明。小泉首相の参拝への影響については「首相自身が判断するものだ」と語った。
A級戦犯については、自民党の古賀誠元幹事長、山崎拓前副総裁らが神社からの分祀論を提起している。かねて中曽根康弘元首相は「天皇陛下もお参りできるためには分祀が一番いい」と主張しており、今回の資料発見で天皇参拝の復活を求める観点からの分祀論が勢いを得る可\xC7
これは メッセージ 220790 (prefgovernor さん)への返信です.