謎の組織「科協」に迫る (6)
投稿者: kyabaajp 投稿日時: 2006/06/09 22:11 投稿番号: [228414 / 232612]
謎の二・二八教示」
「愛国図書閲覧室」に収蔵されたおびただしい文献は、科協の愛国活動の、いわば表の顔にあたる。朝鮮労働党軍需工業部直属機関である「第二経済委員会」からの戦略物資調達の指示を受けた科協が、日本国内における「コントローラー的役割」を果たしつつ、傘下の関連企業に物資購入の指示を与える(セイシン企業の事例等)……あるいは先に述べたとおり、例えばテポドン打ち上げに際し、科協人士が何度も北に渡って技術指導を行うのが、科協の裏の顔であり、北にとって何よりの「愛国的行為」である。
<我々が、社会主義祖国の富強発展のため、特色ある寄与をするためには、経済大国を誇り、科学技術の発展水準の高い日本で生活し事業していると言う立地条件をあまねく利用し、在日朝鮮科学者、技術者でなければ出来ないことをずば抜けてせねばならない> (一九九五年「学術報告会」での基調報告)
翻って北朝鮮の科学技術水準は、在日科学者の水準とは比較にならないほど低い。韓国科学技術政策院の李春根氏によれば「北朝鮮国内の大学の水準が低かったがため、海外留学生の活用もろくに行われていなかった。先ず外国留学生の派遣先が社会主義国家を中心に推進され、この中でも一九六〇年代まではソ連に、一九八〇年代以降からは中国に極端に備っていた。これにより北朝鮮は資本主義の先進国の発達した技術をきちんと導入出来なかった」のである。
海外留学生の活用がろくに行われていなかった一つの実例に、地村さんや横田めぐみさん拉致の「実行犯」の疑いがかけられている辛光洙がいる。ブカレスト工大機械学部に留学し、帰国後は科学院機械工学研究所の研究員として約10年間勤めた工学技術者である辛光洙に、北朝鮮は日本潜入工作員という、まるで畑違いの役割を与えたのである。
金日成親子への偶像化と政治思想教育も、理工系学生の質の低下の大きな要因になった。留学から帰って来た優秀な人材を現場支援の中心に配置しても、そこを支配する「経済理論」は自力更生と主体思想である。国内の原料に依拠する研究開発体制は先進技術の導入の障害となった。また先進技術の導入を強く主張すれば、事大主義者との誹りを免れ得なかった。それゆえ優秀な外国留学組を活用し、新産業を創出する未来志向的な研究や、先進国に追いつくための戦略分野に集中する研究など、まったくと言っていいほど行われなかったのである。
八〇年代に入っても、北朝鮮の科学技術にはほとんど進展が見られなかった。八四年には中国の開放政策を意識して「合弁法」を制定し、世界のさまざまな資本主義国家とも資本や技術協力を強化する開放政策を標榜したが実績は挙がらなかった。業を煮やした金日成は八五年九月、平壌から離れた平城郡(現在の平壌恩情区域)に科学技術センターを設立した。在日同胞科学者の技術を北の科学技術発展に活用するという計画であったが、結局このプランは北朝鮮側の科学者らの反発を買い頓挫。
日本の先端技術を何としても導入したい金日成は翌年、訪朝した在日商工連感謝団に接見し教示を与えた。これは「謎の二・二八教示」……公式には「『商工連結成四十周年記念商工人感謝団』に対する八六年二・二八教示」と呼ばれている。なぜ謎の教示なのかといえば、このとき金日成は団長である全演植氏らに口頭で、個別に教示を与えたためである。文書による正確な内容の記録が残されていないのだ。朝鮮新報等で報じられた在日商工人らの言葉、総聯関係者らの証言を拾い上げてみれば、この教示の大きなテーマは「日本の先端技術を祖国に導入するための合弁事業の推進」、「民団(在日本大韓民国居留民団)同胞などの活用」、さらには恐るべきことに……「ウランとミサイル開発に関する非常に具体的な指示」であったという。
「合弁法」の目論見が花開いたのはこの「二・二八教示」以後である。一九八六年一〇月には朝鮮国際合弁総会社が設立され合弁事業が本格化したのだが、ここに科協の科学者、技術者が多く関与している。八六年からの十年間に設立された合弁会社は四一社、合作会社は三五社。総契約金額は一億五千万ドル近くに達した。
「愛国図書閲覧室」に収蔵されたおびただしい文献は、科協の愛国活動の、いわば表の顔にあたる。朝鮮労働党軍需工業部直属機関である「第二経済委員会」からの戦略物資調達の指示を受けた科協が、日本国内における「コントローラー的役割」を果たしつつ、傘下の関連企業に物資購入の指示を与える(セイシン企業の事例等)……あるいは先に述べたとおり、例えばテポドン打ち上げに際し、科協人士が何度も北に渡って技術指導を行うのが、科協の裏の顔であり、北にとって何よりの「愛国的行為」である。
<我々が、社会主義祖国の富強発展のため、特色ある寄与をするためには、経済大国を誇り、科学技術の発展水準の高い日本で生活し事業していると言う立地条件をあまねく利用し、在日朝鮮科学者、技術者でなければ出来ないことをずば抜けてせねばならない> (一九九五年「学術報告会」での基調報告)
翻って北朝鮮の科学技術水準は、在日科学者の水準とは比較にならないほど低い。韓国科学技術政策院の李春根氏によれば「北朝鮮国内の大学の水準が低かったがため、海外留学生の活用もろくに行われていなかった。先ず外国留学生の派遣先が社会主義国家を中心に推進され、この中でも一九六〇年代まではソ連に、一九八〇年代以降からは中国に極端に備っていた。これにより北朝鮮は資本主義の先進国の発達した技術をきちんと導入出来なかった」のである。
海外留学生の活用がろくに行われていなかった一つの実例に、地村さんや横田めぐみさん拉致の「実行犯」の疑いがかけられている辛光洙がいる。ブカレスト工大機械学部に留学し、帰国後は科学院機械工学研究所の研究員として約10年間勤めた工学技術者である辛光洙に、北朝鮮は日本潜入工作員という、まるで畑違いの役割を与えたのである。
金日成親子への偶像化と政治思想教育も、理工系学生の質の低下の大きな要因になった。留学から帰って来た優秀な人材を現場支援の中心に配置しても、そこを支配する「経済理論」は自力更生と主体思想である。国内の原料に依拠する研究開発体制は先進技術の導入の障害となった。また先進技術の導入を強く主張すれば、事大主義者との誹りを免れ得なかった。それゆえ優秀な外国留学組を活用し、新産業を創出する未来志向的な研究や、先進国に追いつくための戦略分野に集中する研究など、まったくと言っていいほど行われなかったのである。
八〇年代に入っても、北朝鮮の科学技術にはほとんど進展が見られなかった。八四年には中国の開放政策を意識して「合弁法」を制定し、世界のさまざまな資本主義国家とも資本や技術協力を強化する開放政策を標榜したが実績は挙がらなかった。業を煮やした金日成は八五年九月、平壌から離れた平城郡(現在の平壌恩情区域)に科学技術センターを設立した。在日同胞科学者の技術を北の科学技術発展に活用するという計画であったが、結局このプランは北朝鮮側の科学者らの反発を買い頓挫。
日本の先端技術を何としても導入したい金日成は翌年、訪朝した在日商工連感謝団に接見し教示を与えた。これは「謎の二・二八教示」……公式には「『商工連結成四十周年記念商工人感謝団』に対する八六年二・二八教示」と呼ばれている。なぜ謎の教示なのかといえば、このとき金日成は団長である全演植氏らに口頭で、個別に教示を与えたためである。文書による正確な内容の記録が残されていないのだ。朝鮮新報等で報じられた在日商工人らの言葉、総聯関係者らの証言を拾い上げてみれば、この教示の大きなテーマは「日本の先端技術を祖国に導入するための合弁事業の推進」、「民団(在日本大韓民国居留民団)同胞などの活用」、さらには恐るべきことに……「ウランとミサイル開発に関する非常に具体的な指示」であったという。
「合弁法」の目論見が花開いたのはこの「二・二八教示」以後である。一九八六年一〇月には朝鮮国際合弁総会社が設立され合弁事業が本格化したのだが、ここに科協の科学者、技術者が多く関与している。八六年からの十年間に設立された合弁会社は四一社、合作会社は三五社。総契約金額は一億五千万ドル近くに達した。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.