Re: 今日の集会・明日の集会(3)
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2006/06/03 21:09 投稿番号: [228357 / 232612]
シゲムーも書いていますね(「北朝鮮データブック」から)。
「北朝鮮が日本人を拉致している事実が明らかにされたのは、1985年5月28日であった。韓国の国家安全企画部は、日本のパスポートを利用し日本人と偽って韓国に入国した北朝鮮の工作員、辛光洙の逮捕を発表した。同時に、辛が日本人を北朝鮮に拉致した事実も明らかにされた。この拉致日本人は、原タダアキさんであった。」
「私は当時毎日新聞のソウル特派員としてこの記事を送稿した。ところが東京のデスクはなかなか信用してくれない。韓国の「でっちあげ」ではないか、というのだった。
「間違いないから掲載してほしい」と、私は強く要請した。それでも夕刊社会面の左肩に掲載されただけだった。今なら一面トップの大きな記事になる事件だが、当時は日本では注目を集めなかった。」
(※そういえば毎日新聞は91年訪朝の後に、日本人拉致の過去からの報道について、シリーズ的に反省を込めながら掲載していました。以前はwebにあったのですけど、消えてしまいました。)
私自身、先の記事にもレスしましたように、78年の読売の記事を当時読んだことは記憶にしっかり残っています。
しかし、その後の大韓航空撃墜事件(87年)でもリウネ=田口さんということになりますが、それほどの関心もなかったです。
そもそも中国のことにいては大いに興味がありいつか行ってみたい国でしたが、隣の朝鮮半島のことには関心も興味もなかったです。
北朝鮮がやらかしたという、数々の大きなテロ事件も知ってはいましたが、時々起こる海外の政変とか大事件の類という感じで受け止めていました。
そしてそれは時間の経過とともに記憶も曖昧になり薄れていくだけのものです。
それに身近に在日と接したこともなく、拉致のこと等について身近に聞いたこともなかたです。
韓国は民主化とかでマスコミでは大きく取り上げられますが、北朝鮮になると不気味ではありますが、そもそも報じられることも少なく空白といった感じが残っています。
家族会の活動は97年頃からでしょうか。
そのことも含めほとんど知らなかったし、関心もなかったです。
出発点は(といえるかどうか)02年の訪朝で生身である5人の日本人拉致被害者が帰国した時の衝撃と、10月の核疑惑再発だったです。
その意味で当時までは平均的日本人以下だったかも。
それからシゲムーの本(講談社の新書2冊)なんかを読み始めたのですけどね。
その意味で彼の本は大変印象的でした。
そして読めば読むほど、漠然と想像以上にヒドイ・ムドイ国ということの認識が進むばかり。
>自分も20年前の記憶をおぼろげながら辿っているのですが、どうもその頃すでに北朝鮮による拉致事件については知っている人が自分の周りにいたようです。
自分が通っていた学校には政治セクトも数多くあり、総連系の学生団体も、もちろん民団系もあり、下火になっていたとは言え学生運動家が少なからず跋扈していました
>公安機関や国に対して情報がどうだ分析がこうだなどと非難する前に自分の頭のねじを交換するのが先、ということに尽きます。
こういわれると何も言えないのですけどね。
弁解になるのかも知れませんが、我々は時代の制約から逃れられないのだろうと思います。
価値観は時代とともに変わっていきますし、マスコミも世論も変わるし、政府・国も変わる。
時には急激かもしれませんが、たいていの場合はゆっくりと緩慢に。
後から振り返ると、間違っていた・先明の見があったとかになるのではないでしょうか。
それもまた時間が経過すると評価も変わってしまう。
それに数学みたいに、答えが1つしかないものでもなく、諸々の評価がいつの時期にもありますから。
「北朝鮮が日本人を拉致している事実が明らかにされたのは、1985年5月28日であった。韓国の国家安全企画部は、日本のパスポートを利用し日本人と偽って韓国に入国した北朝鮮の工作員、辛光洙の逮捕を発表した。同時に、辛が日本人を北朝鮮に拉致した事実も明らかにされた。この拉致日本人は、原タダアキさんであった。」
「私は当時毎日新聞のソウル特派員としてこの記事を送稿した。ところが東京のデスクはなかなか信用してくれない。韓国の「でっちあげ」ではないか、というのだった。
「間違いないから掲載してほしい」と、私は強く要請した。それでも夕刊社会面の左肩に掲載されただけだった。今なら一面トップの大きな記事になる事件だが、当時は日本では注目を集めなかった。」
(※そういえば毎日新聞は91年訪朝の後に、日本人拉致の過去からの報道について、シリーズ的に反省を込めながら掲載していました。以前はwebにあったのですけど、消えてしまいました。)
私自身、先の記事にもレスしましたように、78年の読売の記事を当時読んだことは記憶にしっかり残っています。
しかし、その後の大韓航空撃墜事件(87年)でもリウネ=田口さんということになりますが、それほどの関心もなかったです。
そもそも中国のことにいては大いに興味がありいつか行ってみたい国でしたが、隣の朝鮮半島のことには関心も興味もなかったです。
北朝鮮がやらかしたという、数々の大きなテロ事件も知ってはいましたが、時々起こる海外の政変とか大事件の類という感じで受け止めていました。
そしてそれは時間の経過とともに記憶も曖昧になり薄れていくだけのものです。
それに身近に在日と接したこともなく、拉致のこと等について身近に聞いたこともなかたです。
韓国は民主化とかでマスコミでは大きく取り上げられますが、北朝鮮になると不気味ではありますが、そもそも報じられることも少なく空白といった感じが残っています。
家族会の活動は97年頃からでしょうか。
そのことも含めほとんど知らなかったし、関心もなかったです。
出発点は(といえるかどうか)02年の訪朝で生身である5人の日本人拉致被害者が帰国した時の衝撃と、10月の核疑惑再発だったです。
その意味で当時までは平均的日本人以下だったかも。
それからシゲムーの本(講談社の新書2冊)なんかを読み始めたのですけどね。
その意味で彼の本は大変印象的でした。
そして読めば読むほど、漠然と想像以上にヒドイ・ムドイ国ということの認識が進むばかり。
>自分も20年前の記憶をおぼろげながら辿っているのですが、どうもその頃すでに北朝鮮による拉致事件については知っている人が自分の周りにいたようです。
自分が通っていた学校には政治セクトも数多くあり、総連系の学生団体も、もちろん民団系もあり、下火になっていたとは言え学生運動家が少なからず跋扈していました
>公安機関や国に対して情報がどうだ分析がこうだなどと非難する前に自分の頭のねじを交換するのが先、ということに尽きます。
こういわれると何も言えないのですけどね。
弁解になるのかも知れませんが、我々は時代の制約から逃れられないのだろうと思います。
価値観は時代とともに変わっていきますし、マスコミも世論も変わるし、政府・国も変わる。
時には急激かもしれませんが、たいていの場合はゆっくりと緩慢に。
後から振り返ると、間違っていた・先明の見があったとかになるのではないでしょうか。
それもまた時間が経過すると評価も変わってしまう。
それに数学みたいに、答えが1つしかないものでもなく、諸々の評価がいつの時期にもありますから。
これは メッセージ 228356 (sofiansky2003 さん)への返信です.