Re: 今日の集会・明日の集会(2)
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2006/06/03 21:06 投稿番号: [228356 / 232612]
>日本の公安も、拉致された人たちが姿を見せなくなった当時の、例えばめぐみさんであれば新潟の沿岸部で行方不明になりましたが、失踪者の事件発生と時を同じくして不審な船舶が近海に出現していたことは承知していたようです。
このことについて、川上和久の「北朝鮮報道」を読み返してみました。
それによると、新潟周辺の海岸から工作員が上陸・脱出した事件が(80年代までに)20数件、
(もちろんこれは摘発された件のみ。)
60年代には、少なくとも3件4人が逮捕されているし、72年3月にも佐渡島で工作船を待っていた2人を逮捕ということで、同県警では、60年代から佐渡島や柏崎市、それに村上市を中心とした海岸線の警戒を強化し始め、「月の出ない夜は、工作員が上陸しそうな海岸線に捜査員を張り付けていたとのこと。
それにも係わらず、77年1月には横田めぐみさんが(新潟市海岸)、78年7月には蓮池・奥土さんが(柏崎市)、さらには田口さんが(78年6月頃失踪、新潟付近の海岸から)、78年8月には曽我さん親子が(佐渡ケ島)から姿を消してしまった。
※当時は、警察側は工作船・密入国者に対する警戒・摘発はそれなりにやっていたのですが、日本人拉致となると<想定外>だったとしています。
※この本では、警察庁が北朝鮮による日本人拉致事件を本格的に捜査し始めるのは79年秋以降のこと。
ということなんですが、具体的にどうしてこの時期なのか分かりません。
一方、川辺克朗「拉致のなぜ防げなかったのか」によると、(以下抜粋)
「富山・アベック拉致未遂事件」(78年8月)を中心とする事件の遺留品を分析したところ、朝鮮半島に出回っているものと判明。一気に北朝鮮犯行説に傾いたという。
そして北朝鮮こそ名指ししなかったものの、世論を喚起すべく当時の警察庁記者クラブ担当記者に情報リークされた。
読売新聞の1978年12月9日付け夕刊が、「アベックなぞの連続蒸発」と報じたが、実質これが日本人拉致報道の最初だった。」
※この記事が以下のレスです。
>78年12月の読売記事
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4k a4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&mid=155226&thr=1&cur=155073&dir=d
※これには北朝鮮の名がでてこない。またこの記事も後が続かなかったようです。
「しかも、当時の外事警察は、警察の隠語で言うところの「背乗り」にしか、興味をもたなかった。つまり、北朝鮮工作員が拉致した日本人アベックらに成り代わって、対南工作のための工作員を獲得して韓国へ送り込み、更には在韓・在日スパイ網の埋設や極東におけるスパイ拠点の運営にまで至る、北朝鮮スパイの摘発が最優先であった。このため、北朝鮮工作員が日本人に偽装して旅券獲得に必要な書類を準備するために訪れるのではないかと、その後10年間にわたって各市役所には徹底した監視網敷かれたという」
というようなことで、警察としては78年後半の時点では<北朝鮮による拉致>という認識をかなり持っていたのではないでしょうか。
ただし、マスコミも世論もさっぱり乗ってこなかったというのが、一般的かと。
このことについて、川上和久の「北朝鮮報道」を読み返してみました。
それによると、新潟周辺の海岸から工作員が上陸・脱出した事件が(80年代までに)20数件、
(もちろんこれは摘発された件のみ。)
60年代には、少なくとも3件4人が逮捕されているし、72年3月にも佐渡島で工作船を待っていた2人を逮捕ということで、同県警では、60年代から佐渡島や柏崎市、それに村上市を中心とした海岸線の警戒を強化し始め、「月の出ない夜は、工作員が上陸しそうな海岸線に捜査員を張り付けていたとのこと。
それにも係わらず、77年1月には横田めぐみさんが(新潟市海岸)、78年7月には蓮池・奥土さんが(柏崎市)、さらには田口さんが(78年6月頃失踪、新潟付近の海岸から)、78年8月には曽我さん親子が(佐渡ケ島)から姿を消してしまった。
※当時は、警察側は工作船・密入国者に対する警戒・摘発はそれなりにやっていたのですが、日本人拉致となると<想定外>だったとしています。
※この本では、警察庁が北朝鮮による日本人拉致事件を本格的に捜査し始めるのは79年秋以降のこと。
ということなんですが、具体的にどうしてこの時期なのか分かりません。
一方、川辺克朗「拉致のなぜ防げなかったのか」によると、(以下抜粋)
「富山・アベック拉致未遂事件」(78年8月)を中心とする事件の遺留品を分析したところ、朝鮮半島に出回っているものと判明。一気に北朝鮮犯行説に傾いたという。
そして北朝鮮こそ名指ししなかったものの、世論を喚起すべく当時の警察庁記者クラブ担当記者に情報リークされた。
読売新聞の1978年12月9日付け夕刊が、「アベックなぞの連続蒸発」と報じたが、実質これが日本人拉致報道の最初だった。」
※この記事が以下のレスです。
>78年12月の読売記事
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4k a4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&mid=155226&thr=1&cur=155073&dir=d
※これには北朝鮮の名がでてこない。またこの記事も後が続かなかったようです。
「しかも、当時の外事警察は、警察の隠語で言うところの「背乗り」にしか、興味をもたなかった。つまり、北朝鮮工作員が拉致した日本人アベックらに成り代わって、対南工作のための工作員を獲得して韓国へ送り込み、更には在韓・在日スパイ網の埋設や極東におけるスパイ拠点の運営にまで至る、北朝鮮スパイの摘発が最優先であった。このため、北朝鮮工作員が日本人に偽装して旅券獲得に必要な書類を準備するために訪れるのではないかと、その後10年間にわたって各市役所には徹底した監視網敷かれたという」
というようなことで、警察としては78年後半の時点では<北朝鮮による拉致>という認識をかなり持っていたのではないでしょうか。
ただし、マスコミも世論もさっぱり乗ってこなかったというのが、一般的かと。
これは メッセージ 228340 (sofiansky2003 さん)への返信です.