Re: >Re: 寸土を失うものは全土を失う①
投稿者: shinzerosen 投稿日時: 2006/04/22 22:24 投稿番号: [227807 / 232612]
>戦後の日本の平和への歩みは、日本の主権を切り売りすることで築かれた虚像の『平和』であったと考えます。
>主権に係る問題を『話し合い』『妥協点』『外交(戦争抜き)』で解決すると言う事は…主権の切り売りすることなのだと考えますが…
仰るとおりだと思います。『主権の切り売り』とは単なる比喩でなく、日本国の主権を金銭で本当に切り売りするような亡国政治家が国政の中心を担うような事態が起こった。そして国内に巣くう反日組織・団体(外国のそれも含みます)が、さらに日本国の主権を食い散らかしてやせ細らせてしまう。その結果、国民が外国によりさらわれていながら、追及を妨げるような圧力が政治、行政から加えられるようになってしまいました。
敗戦から一世代(昭和50年頃)までは日本の社会は正気を保っていたと思います。靖国神社の護持を求める世論は消えず、裁判官に偏った思想を持つ人物の任官を拒否するマル青問題などがありました。様々な問題を抱えながらも、戦前から日本を担っていた人たちが一線にいる間はまともだった。その人々が退場するに従い興ったのが貴殿の仰るとおり個人主義(欲望追求主義)と拝金主義の跋扈と主権意識の衰弱です。
私自身外国の事を知るにつれ、兵役の義務も軍隊もない日本の平和を感謝すると同時に、アメリカや中共と比べて国民が国家を意識することの希薄さに戸惑いを感じたものでした。ベトナムやイラクに徴兵される若者と比べ、日本の若者は余りに国家から自由です。今の韓国と比較してさえそうでしょう。敗戦から2世代、戦後民主主義の申し子、団塊世代が社会から退くに連れ日本は再び代わっていくものと考えます。同時に、彼らが享受した平等に基づく豊かさは、これからの日本では望めないでしょう。
>拉致(主権の侵害)の放置…靖国参拝時の言動…対中韓外交…他…世論の先取りや息遣いを上手く嗅ぎ分けているのだと。
>世論をリードする為だけの、と言ったら言い過ぎかも知れませんが…それらが全て中途半端なパフォーマンスに見えるのです。
私は歴代の総理では、大平氏を一番敬愛しています。どん帳ではあるものの、哲学的、思索的な政治姿勢に共感する。クリスチャンでありながら靖国神社に参拝された点もいい。田中角栄氏は独自に石油を確保しようとしてアメリカのトラの尾を踏んでしまったが、政治と国民(一部団体の特殊利益)とを近づけすぎてしまった。これは批難されるべきと考えます。彼によって本当の「戦後民主政治」が始まった。角栄氏によって『私』の方向に捻じ曲げられた政治を、もう一度『公』の方向に真直ぐ変えようとするのが小泉氏がめざす政治だったのかもしれません。目標が達成されたかどうかは不明ですが、その方向性については評価されるべきものと考えます。
しかし問題はその『公』の中身です。小泉氏がいう政治改革は国民のための政治に変える改革です。つまり国民が『公』という事になるでしょうか。でも『お天道さんが見ているから正しい事をしなければダメですよ』とは言えても、『国民が見ているから正しい事をしなければだめですよ』とは言えない。つまりお天道さんは『公』になりえても国民は『公』になりえない。今は何が『公』か、曖昧です。これは私達国民の問題であり、国の問題である。つまるところ教育の問題です。
教育基本法の改正が近いようですが、国を愛する心を養う事が本当に教育の基本とされるならば望ましい事です。と同時に、先祖を敬う心も教育の基本とされるべきと思います(昨日の産経新聞、加地伸之氏の記事)。祖先の事績を知る事により地域や社会、国を愛する心が自然と生まれてくる、そして道徳心、向上心が養われます。本物の愛国心が生まれれば、何が『公』か、自ずと理解できるものと思います。今の日本では何が『公』かはっきりと示す事ができない以上、小泉氏の改革は所詮は本物の改革といえないのではないでしょうか。小泉改革の『公』とは実は日本になくて、アメリカにあるのかもしれません。
小泉氏の政治改革が自民党に根深くあった角栄型政治を破る改革であった以上自民党本体に基盤をもつ事はできず、世論の支持を常に受けつつ動向をうかがいながら進めざるをえなかった。これは内閣成立当時から批判があったことです。そして世論がすでにマスコミや教育によって左翼的思考になじんでいるためにこの内閣も左翼的性格をもつようになってしまった。小泉氏が女系天皇を支持した事は決して認める事ができません。
>主権に係る問題を『話し合い』『妥協点』『外交(戦争抜き)』で解決すると言う事は…主権の切り売りすることなのだと考えますが…
仰るとおりだと思います。『主権の切り売り』とは単なる比喩でなく、日本国の主権を金銭で本当に切り売りするような亡国政治家が国政の中心を担うような事態が起こった。そして国内に巣くう反日組織・団体(外国のそれも含みます)が、さらに日本国の主権を食い散らかしてやせ細らせてしまう。その結果、国民が外国によりさらわれていながら、追及を妨げるような圧力が政治、行政から加えられるようになってしまいました。
敗戦から一世代(昭和50年頃)までは日本の社会は正気を保っていたと思います。靖国神社の護持を求める世論は消えず、裁判官に偏った思想を持つ人物の任官を拒否するマル青問題などがありました。様々な問題を抱えながらも、戦前から日本を担っていた人たちが一線にいる間はまともだった。その人々が退場するに従い興ったのが貴殿の仰るとおり個人主義(欲望追求主義)と拝金主義の跋扈と主権意識の衰弱です。
私自身外国の事を知るにつれ、兵役の義務も軍隊もない日本の平和を感謝すると同時に、アメリカや中共と比べて国民が国家を意識することの希薄さに戸惑いを感じたものでした。ベトナムやイラクに徴兵される若者と比べ、日本の若者は余りに国家から自由です。今の韓国と比較してさえそうでしょう。敗戦から2世代、戦後民主主義の申し子、団塊世代が社会から退くに連れ日本は再び代わっていくものと考えます。同時に、彼らが享受した平等に基づく豊かさは、これからの日本では望めないでしょう。
>拉致(主権の侵害)の放置…靖国参拝時の言動…対中韓外交…他…世論の先取りや息遣いを上手く嗅ぎ分けているのだと。
>世論をリードする為だけの、と言ったら言い過ぎかも知れませんが…それらが全て中途半端なパフォーマンスに見えるのです。
私は歴代の総理では、大平氏を一番敬愛しています。どん帳ではあるものの、哲学的、思索的な政治姿勢に共感する。クリスチャンでありながら靖国神社に参拝された点もいい。田中角栄氏は独自に石油を確保しようとしてアメリカのトラの尾を踏んでしまったが、政治と国民(一部団体の特殊利益)とを近づけすぎてしまった。これは批難されるべきと考えます。彼によって本当の「戦後民主政治」が始まった。角栄氏によって『私』の方向に捻じ曲げられた政治を、もう一度『公』の方向に真直ぐ変えようとするのが小泉氏がめざす政治だったのかもしれません。目標が達成されたかどうかは不明ですが、その方向性については評価されるべきものと考えます。
しかし問題はその『公』の中身です。小泉氏がいう政治改革は国民のための政治に変える改革です。つまり国民が『公』という事になるでしょうか。でも『お天道さんが見ているから正しい事をしなければダメですよ』とは言えても、『国民が見ているから正しい事をしなければだめですよ』とは言えない。つまりお天道さんは『公』になりえても国民は『公』になりえない。今は何が『公』か、曖昧です。これは私達国民の問題であり、国の問題である。つまるところ教育の問題です。
教育基本法の改正が近いようですが、国を愛する心を養う事が本当に教育の基本とされるならば望ましい事です。と同時に、先祖を敬う心も教育の基本とされるべきと思います(昨日の産経新聞、加地伸之氏の記事)。祖先の事績を知る事により地域や社会、国を愛する心が自然と生まれてくる、そして道徳心、向上心が養われます。本物の愛国心が生まれれば、何が『公』か、自ずと理解できるものと思います。今の日本では何が『公』かはっきりと示す事ができない以上、小泉氏の改革は所詮は本物の改革といえないのではないでしょうか。小泉改革の『公』とは実は日本になくて、アメリカにあるのかもしれません。
小泉氏の政治改革が自民党に根深くあった角栄型政治を破る改革であった以上自民党本体に基盤をもつ事はできず、世論の支持を常に受けつつ動向をうかがいながら進めざるをえなかった。これは内閣成立当時から批判があったことです。そして世論がすでにマスコミや教育によって左翼的思考になじんでいるためにこの内閣も左翼的性格をもつようになってしまった。小泉氏が女系天皇を支持した事は決して認める事ができません。
これは メッセージ 227803 (kitaguniniakogarete さん)への返信です.