日本教という宗教
投稿者: gurit_gogo 投稿日時: 2005/12/01 19:02 投稿番号: [223852 / 232612]
もちろん最初からこうだったわけではありません。日本の古代以前の時代は倭国大乱等も起こり、血で血を洗う大抗争が繰り広げられてきました。勝者は敗者を徹底的に打ち砕き、打ち捨ててきたわけですが、一方では日本人の霊的な感性や宗教観がそうしたことに疑問をもっていました。すなわち敗者の魂が怨霊となって勝者は敗者の怨霊に祟られて滅ぼされてしまう。だから敗者といえども丁重に葬ろう、神として祀ろうということを求めてきました。そうした信仰の象徴が出雲大社になるわけです。
禊ぎ。お祓い。八百万の神。神道という信仰はすなわち「日本教」であり、「和を以って尊しと、なす」というアイデアが生まれます。
何事も話し合いで解決すべし。そのためには和をおろそかにしてはならない。
かいつまんで言うと、天皇は対外的には中華秩序からの独立の象徴、国内的には相手を根絶やしにしてしまうような対立、革命を抑止する存在になるわけです。
近年の価値に置き換えると弱肉強食の社会やグローバルな時代では、こうした徹底的に相手を根絶やしにしてはならないという発想はあまり受け入れられない発想かもしれませんが、だからこそ天皇はこうした強者・敗者の関係を乗り越える平穏、安寧を願う象徴であり意義のある存在となります。
多神教に基づく神道こそは、その神道の教祖である天皇という存在が血なまぐさい対立を抑止し日本人が民族として永続的に存続するための秘訣の根源です。
これは メッセージ 223851 (gurit_gogo さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y_1/223852.html