「24時間の幻想」(中)
投稿者: gurit_gogo 投稿日時: 2005/09/28 12:39 投稿番号: [217932 / 232612]
協定・条約・合意に意義を認めない特異な国家
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ダウンズ氏はさらに重要な指摘をする。
「北朝鮮の過去50年もの対外戦略はおもしろいほど一貫している。自国の得たいものを得るには協定や条約を結んだ結果ではなくて、それ以前の交渉のプロセスから利益を引き出す。交渉により最大の利益を得たと判断したときは、合意などを求めず、その時点で交渉を打ち切る」
つまり相手と交渉をし、合意を成立させて、その結果、なにかを得るのではなく、合意が成立しなくても、その以前のやりとりでの前述したサイクルの段階で利益を得てしまおう、というのが北朝鮮の対外戦略だというのだ。
以上のような分析を頭に入れて、今回の「共同声明」をめぐる動きをみると、なにやら不吉な感じで肌がざわざわしてくる。北朝鮮はスーパーパワーのアメリカをこの年来の「楽観」「幻滅」「失望」というサイクルにみごとに乗せてしまったようにもみえてくるからだ。
北朝鮮の核兵器開発問題というのは、どうしても十数年の歴史をさらりとでも振り返らないと、理解しにくい。
1993年3月に北朝鮮はNPTからの脱退を発表した。NPTに加盟している限り核兵器の開発はしないことを誓っているわけだが、北朝鮮が実は寧辺地区でプルトニウムの軍事転用をしてきたことをアメリカの偵察衛星などで察知されての結果だった。北朝鮮はいわば開き直り、IAEAの国際査察をもはねつけて、核兵器を開発していることを認める。アメリカは一気に態度を硬化させ、日本も経済制裁の準備を始め、戦争の危機が高まる。
だがその危機もアメリカのカーター元大統領の訪朝で一応、回避され、米朝間の交渉が始まる。その結果、94年10月にアメリカと北朝鮮との間でまとまったのが北の核兵器開発に関する「合意枠組み」だった。北朝鮮は兵器用プルトニウムの抽出を凍結し、やがては核兵器開発計画を破棄するかわりに、アメリカは日本や韓国の協力を得て、北の将来の発電用原子力源としての軽水炉2基を建設して、提供する…という骨子だった。
しかしこの枠組みは本来、北朝鮮は核兵器を開発しないことを自他ともに誓ってきた、という事実を曖昧にしてしまった。北朝鮮は本来してはならないことをしたのに、単にその「してはならないこと」を「しない」と言明しただけで、多大の報酬を受けるのである。軽水炉2基の提供というのがその報酬であり、褒賞だった。
北朝鮮核問題にはこうした根本的なゆがみがあることをまず認識せねばならない。一般の社会でいえば、犯罪を冒した人間が単に「もうしません」と述べたことに対し、報酬を贈られることに等しいのだ。
その後は北側の核開発凍結がそのまま保たれるようにみえ、その報酬としての軽水炉の建設が前進する、という状況が続いた。ところが2002年10月になって、アメリカ政府は「北朝鮮は過去何年も濃縮ウランによる核兵器開発を進めてきた」と発表し、北側もそれを一時、認めたとされた。北朝鮮はこれに反発して、復帰していたNPTからまた脱退し、IAEAの査察官をも追い出してしまう。そして凍結していたプルトニウム抽出による核兵器製造をも再開する。
こういう状態に対応して2003年8月から始まったのが6カ国協議だった。北朝鮮とアメリカに加え、日本、中国、韓国、ロシアによる多国間協議である。だがそのプロセスではアメリカのブッシュ政権はとにかく北朝鮮が核兵器開発を「検証可能、再開不可能で完全な核廃棄」(CVID)せねばならないと強硬に要求した。クリントン前政権時代に決めた軽水炉2基提供など、もうとんでもない、という断固たる態度だった。
こうした流れを経た末の今回の6カ国協議での「共同声明」だったのだ。アメリカは朝鮮半島で核兵器を保有せず、北朝鮮を攻撃、侵略する意図はないことを確認する一方、北朝鮮はすべての核兵器を放棄すると約束したわけである。北側が長年、核放棄の交換条件としてきた軽水炉提供は「声明」では初めて切り離され、「適当な時期に議論する」とされていた。核放棄と軽水炉提供がリンクされていなければ、米側の大きな前進であり、北側の大きな譲歩である。これでやっと北朝鮮の核問題が解決されるという「楽観」を生んでも自然な合意にみえた。
(つづく)
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ダウンズ氏はさらに重要な指摘をする。
「北朝鮮の過去50年もの対外戦略はおもしろいほど一貫している。自国の得たいものを得るには協定や条約を結んだ結果ではなくて、それ以前の交渉のプロセスから利益を引き出す。交渉により最大の利益を得たと判断したときは、合意などを求めず、その時点で交渉を打ち切る」
つまり相手と交渉をし、合意を成立させて、その結果、なにかを得るのではなく、合意が成立しなくても、その以前のやりとりでの前述したサイクルの段階で利益を得てしまおう、というのが北朝鮮の対外戦略だというのだ。
以上のような分析を頭に入れて、今回の「共同声明」をめぐる動きをみると、なにやら不吉な感じで肌がざわざわしてくる。北朝鮮はスーパーパワーのアメリカをこの年来の「楽観」「幻滅」「失望」というサイクルにみごとに乗せてしまったようにもみえてくるからだ。
北朝鮮の核兵器開発問題というのは、どうしても十数年の歴史をさらりとでも振り返らないと、理解しにくい。
1993年3月に北朝鮮はNPTからの脱退を発表した。NPTに加盟している限り核兵器の開発はしないことを誓っているわけだが、北朝鮮が実は寧辺地区でプルトニウムの軍事転用をしてきたことをアメリカの偵察衛星などで察知されての結果だった。北朝鮮はいわば開き直り、IAEAの国際査察をもはねつけて、核兵器を開発していることを認める。アメリカは一気に態度を硬化させ、日本も経済制裁の準備を始め、戦争の危機が高まる。
だがその危機もアメリカのカーター元大統領の訪朝で一応、回避され、米朝間の交渉が始まる。その結果、94年10月にアメリカと北朝鮮との間でまとまったのが北の核兵器開発に関する「合意枠組み」だった。北朝鮮は兵器用プルトニウムの抽出を凍結し、やがては核兵器開発計画を破棄するかわりに、アメリカは日本や韓国の協力を得て、北の将来の発電用原子力源としての軽水炉2基を建設して、提供する…という骨子だった。
しかしこの枠組みは本来、北朝鮮は核兵器を開発しないことを自他ともに誓ってきた、という事実を曖昧にしてしまった。北朝鮮は本来してはならないことをしたのに、単にその「してはならないこと」を「しない」と言明しただけで、多大の報酬を受けるのである。軽水炉2基の提供というのがその報酬であり、褒賞だった。
北朝鮮核問題にはこうした根本的なゆがみがあることをまず認識せねばならない。一般の社会でいえば、犯罪を冒した人間が単に「もうしません」と述べたことに対し、報酬を贈られることに等しいのだ。
その後は北側の核開発凍結がそのまま保たれるようにみえ、その報酬としての軽水炉の建設が前進する、という状況が続いた。ところが2002年10月になって、アメリカ政府は「北朝鮮は過去何年も濃縮ウランによる核兵器開発を進めてきた」と発表し、北側もそれを一時、認めたとされた。北朝鮮はこれに反発して、復帰していたNPTからまた脱退し、IAEAの査察官をも追い出してしまう。そして凍結していたプルトニウム抽出による核兵器製造をも再開する。
こういう状態に対応して2003年8月から始まったのが6カ国協議だった。北朝鮮とアメリカに加え、日本、中国、韓国、ロシアによる多国間協議である。だがそのプロセスではアメリカのブッシュ政権はとにかく北朝鮮が核兵器開発を「検証可能、再開不可能で完全な核廃棄」(CVID)せねばならないと強硬に要求した。クリントン前政権時代に決めた軽水炉2基提供など、もうとんでもない、という断固たる態度だった。
こうした流れを経た末の今回の6カ国協議での「共同声明」だったのだ。アメリカは朝鮮半島で核兵器を保有せず、北朝鮮を攻撃、侵略する意図はないことを確認する一方、北朝鮮はすべての核兵器を放棄すると約束したわけである。北側が長年、核放棄の交換条件としてきた軽水炉提供は「声明」では初めて切り離され、「適当な時期に議論する」とされていた。核放棄と軽水炉提供がリンクされていなければ、米側の大きな前進であり、北側の大きな譲歩である。これでやっと北朝鮮の核問題が解決されるという「楽観」を生んでも自然な合意にみえた。
(つづく)
これは メッセージ 217931 (gurit_gogo さん)への返信です.