小泉外交_20
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/09/02 19:49 投稿番号: [213843 / 232612]
実務協議「北」誠意見せず
金正日総書記が5月の日朝首脳会談で「白紙に戻す」と約束した安否不明の横田めぐみら10人の再調査。日本側は北朝鮮に「誠意ある回答」を求めたが、期待はことごとく裏切られた。
8月5日、小泉首相が明言していた北朝鮮への食糧支援25万㌧のうち、半分の供与が決まった。
「日本は約束を守る、というメッセージだ」
外務省の藪中三十二アジア大洋州局長は知人に解説した。「残りの半分は、北朝鮮の対応次第」というメッセージでもあった。
だが、北朝鮮には通じなかった。第1回実務協議前、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)幹部は、こんな見方を漏らしていた。
「8月14日にアテネ五輪の女子柔道で日本初の金メダルが出る。テレビは五輪一色になるだろう。その前後に協議を行なえば、結果が悪くても大丈夫だ」
11日に北京で始まった実務協議は、この言葉どおりの展開となった。
「調査委員会は、拉致被害者が二十数年前に入国した港にも人を派遣し、現地調査している」
北朝鮮の宋・外務省副局長は調査手法や10人の入国経路を長々と説明した。肝心の10人の安否には一切触れなかった。具体的な情報を持たされず、時間稼ぎをしているのは明白だった。
「我々の関心はそんなことではない。結論から話してほしい」
日本側代表の斎木昭隆アジア大洋州局審議官が遮った。2年前(2002年)に手渡した約150項目の質問書を改めて示し、回答を求めた。
宋は「これを参考に調査を加速する」と、質問書を初めて見るかのように振舞った。一方で、くせ球を投げた。北朝鮮に亡命した日航機「よど号」4人の「帰国を説得してはどうか」と提案した。
再起は拒否した。「よど号犯の引渡しは、拉致問題から関心をそらす手段」と分析していたからだ。数日前、自民党の安倍晋三幹事長からも、「絶対に断れ」と助言されていた。
北朝鮮の「かく乱戦術」は、協議のテーブルを離れた後も続いた。
「斎木さんと食事ができるなんてうれしい」
協議の初日の夜、日本側が設けた夕食の席で、宋が語りかけた。「なぜ」と問う斎木に、宋は「私はあなたの悪口をたくさん言ってきたのに」と真顔で語った。
翌日昼、今度は宋らが北京郊外の朝鮮料理屋に日本側を招いた。宋は、「マイクもありますよ。一曲いかがですか」と誘った。斎木らは、唖然として断った。
9月の第2回実務協議も、似たような展開だった。
宋が持参した書類のファイルは厚さ4㌢ほど。前回よりは篤かったが、提供した新情報は、横田の入院時期の変更などにとどまった。具体的な証拠を示すよう斎木が求めても、「持ち帰って相談する」とオウム返しに答えるだけだった。
実務協議の不調を受け、日本国内では経済制裁を求める声が強まり始めた。薮中は小泉に報告した際、「今後の協議方法はいろいろと研究してみます」と言い添えた。
「調査委員会の責任者を協議の場に引き出すには、自分が平壌に行くしかない」
薮中は決意を固めていた。
(敬称略、肩書きは当時)
第1、2回日朝実務協議の結果
第1回 2004年8月11日〜12日、北京で
⊿北朝鮮が安否不明の10人の再調査について経過報告。「拉致を行なったのは特別な機関」などと説明
⊿北朝鮮が、よど号乗っ取り犯人4人の帰国について、日本側の説得を提案。日本は拒否
第2回 同年9月25日〜26日、北京で
⊿北朝鮮が横田めぐみさんの入院時期、石岡亨さん、有本恵子さんの足取りなどを説明。横田さんについて「93年3月死亡」とした説明を「同年3月時点では生存」と修正
⊿日本が、北朝鮮の弾道ミサイル発射準備とも取れる動きについて懸念を表明
⊿日本は核問題の6ヶ国協議の早期開催を提案。北朝鮮は米国の「敵視政策」放棄を要求
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第1回実務協議が開催された8月11日の毎日新聞夕刊記事について
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200408121305.html
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200408/20040811.htm
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200408/20040812.htm
結局北朝鮮側は、蓮池さんの証言につじつまをあわせるかのように第2回目の協議で横田さんの死亡日を「修正」。
日本政府内にスパイがいるハズ。
金正日総書記が5月の日朝首脳会談で「白紙に戻す」と約束した安否不明の横田めぐみら10人の再調査。日本側は北朝鮮に「誠意ある回答」を求めたが、期待はことごとく裏切られた。
8月5日、小泉首相が明言していた北朝鮮への食糧支援25万㌧のうち、半分の供与が決まった。
「日本は約束を守る、というメッセージだ」
外務省の藪中三十二アジア大洋州局長は知人に解説した。「残りの半分は、北朝鮮の対応次第」というメッセージでもあった。
だが、北朝鮮には通じなかった。第1回実務協議前、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)幹部は、こんな見方を漏らしていた。
「8月14日にアテネ五輪の女子柔道で日本初の金メダルが出る。テレビは五輪一色になるだろう。その前後に協議を行なえば、結果が悪くても大丈夫だ」
11日に北京で始まった実務協議は、この言葉どおりの展開となった。
「調査委員会は、拉致被害者が二十数年前に入国した港にも人を派遣し、現地調査している」
北朝鮮の宋・外務省副局長は調査手法や10人の入国経路を長々と説明した。肝心の10人の安否には一切触れなかった。具体的な情報を持たされず、時間稼ぎをしているのは明白だった。
「我々の関心はそんなことではない。結論から話してほしい」
日本側代表の斎木昭隆アジア大洋州局審議官が遮った。2年前(2002年)に手渡した約150項目の質問書を改めて示し、回答を求めた。
宋は「これを参考に調査を加速する」と、質問書を初めて見るかのように振舞った。一方で、くせ球を投げた。北朝鮮に亡命した日航機「よど号」4人の「帰国を説得してはどうか」と提案した。
再起は拒否した。「よど号犯の引渡しは、拉致問題から関心をそらす手段」と分析していたからだ。数日前、自民党の安倍晋三幹事長からも、「絶対に断れ」と助言されていた。
北朝鮮の「かく乱戦術」は、協議のテーブルを離れた後も続いた。
「斎木さんと食事ができるなんてうれしい」
協議の初日の夜、日本側が設けた夕食の席で、宋が語りかけた。「なぜ」と問う斎木に、宋は「私はあなたの悪口をたくさん言ってきたのに」と真顔で語った。
翌日昼、今度は宋らが北京郊外の朝鮮料理屋に日本側を招いた。宋は、「マイクもありますよ。一曲いかがですか」と誘った。斎木らは、唖然として断った。
9月の第2回実務協議も、似たような展開だった。
宋が持参した書類のファイルは厚さ4㌢ほど。前回よりは篤かったが、提供した新情報は、横田の入院時期の変更などにとどまった。具体的な証拠を示すよう斎木が求めても、「持ち帰って相談する」とオウム返しに答えるだけだった。
実務協議の不調を受け、日本国内では経済制裁を求める声が強まり始めた。薮中は小泉に報告した際、「今後の協議方法はいろいろと研究してみます」と言い添えた。
「調査委員会の責任者を協議の場に引き出すには、自分が平壌に行くしかない」
薮中は決意を固めていた。
(敬称略、肩書きは当時)
第1、2回日朝実務協議の結果
第1回 2004年8月11日〜12日、北京で
⊿北朝鮮が安否不明の10人の再調査について経過報告。「拉致を行なったのは特別な機関」などと説明
⊿北朝鮮が、よど号乗っ取り犯人4人の帰国について、日本側の説得を提案。日本は拒否
第2回 同年9月25日〜26日、北京で
⊿北朝鮮が横田めぐみさんの入院時期、石岡亨さん、有本恵子さんの足取りなどを説明。横田さんについて「93年3月死亡」とした説明を「同年3月時点では生存」と修正
⊿日本が、北朝鮮の弾道ミサイル発射準備とも取れる動きについて懸念を表明
⊿日本は核問題の6ヶ国協議の早期開催を提案。北朝鮮は米国の「敵視政策」放棄を要求
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第1回実務協議が開催された8月11日の毎日新聞夕刊記事について
http://www.wafu.ne.jp/~gori/diary3/200408121305.html
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200408/20040811.htm
http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200408/20040812.htm
結局北朝鮮側は、蓮池さんの証言につじつまをあわせるかのように第2回目の協議で横田さんの死亡日を「修正」。
日本政府内にスパイがいるハズ。
これは メッセージ 213836 (komash0427 さん)への返信です.