小泉外交_19
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/09/02 19:28 投稿番号: [213836 / 232612]
核問題で日中が役割分担
対北朝鮮外交では、拉致問題と並んで、核問題が重い比重を占める。
日本は過去3回の6カ国協議で、一貫して米韓両国と共同歩調を取ってきた。ただ、米朝の対立を解きほぐし、協議を進展させるため、水面下では議長国の中国と連携し、調整役を務める場面も少なくなかった。
「我々は北朝鮮を協議の場に引き留める。日本は米国を引き留めて欲しい」
現駐日大使の王毅・中国外務次官は、薮中三十二外務省アジア大洋州局長に流暢な日本語で話しかけた。第1回協議の開幕前日の昨年(2003年)8月26日、北京の釣魚台国迎賓館で開かれた王主催の夕食会のことだ。協議の議長の王は不安そうだった。中国は国際会議を仕切った経験が少ない。北朝鮮が「瀬戸際外交」を続け、協議が決裂することを恐れていたのだ。
薮中は、「我々も協議の成功に努力する」と、王に強力を約束した。その後、ケリー国務次官補に囁いた。
「北朝鮮が席を立つ口実を与えないようにしよう」
日本にとっても、6カ国協議の開催は、小渕内閣以来の悲願だった。朝鮮半島の安全保障に発言権を確保する狙いだ。2002年8月の日朝局長級協議で日本が北朝鮮に働きかけた経緯もあった。
日中の連携は今年(2004年)2月の第2回協議でも見られた。
王は、核の凍結・廃棄手順などを検討する「作業部会」の設置を盛り込んだ「共同文書」案を各国に示した。だが、米国は、作業部会設置の条件として「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄(CVID)の明記を求めた。北朝鮮が絶対に同意しない要求だった。
中国の李肇星外相は、わざわざパウエル米国務長官に国際電話をかけ、「中国案をのんでくれ」と頼んだ。薮中もケリーを説得した。
各国は一時、文案に同意したが、土壇場で北朝鮮が翻意し、共同文書は発表できなかった。
6月の第3回協議は正念場だった。薮中は事前に訪米し、韓国と連携して、ケリーらに具体案の提示を働きかけた。「今回も進展がなければ、協議は失速する」との危機感があった。
ようやく米国が動いた。ケリーは、北朝鮮がすべての核計画の廃棄を表明すれば、「安全の保障」やエネルギーの支援を与えるとの新提案を示した。北朝鮮も核の一部凍結を表明した。
それでも、米朝双方の隔たりは依然、大きかった。
北朝鮮「米国は我々に『先に丸腰になれ』というのか。安全の保証とエネルギー支援が先に決まらなければ、核廃棄はできない」
米国「核廃棄の前にエネルギー支援の話しはできない」
北朝鮮は結局、「一顧の価値もない」と米国提案を拒否した。
6カ国協議が停滞する裏で、北朝鮮は着々と核開発を進めている。今月(2004年12月)10日、自民党本部を訪れたデトラニ米朝鮮半島和平担当大使に、安部晋三幹事長代理は「北朝鮮に核開発の時間稼ぎを許してはならない」と国連安全保障理事会への付託の可能性に言及した。
デトラニは強調した。
「我々の我慢は限界に達しつつある」
北朝鮮の核問題は、緊迫の度を高めながら、年明けに持ち越される。
(敬称略、肩書きは当時)
6カ国協議の主な内容
【第1回】(2003年8月27日〜29日)
議長の王毅・中国外務次官が記者会見で、①核問題の平和的解決②協議継続−−など6項目で合意と発表
【第2回】(2004年2月25日〜28日)
核問題に対処するため「調整された措置」を取り、作業部会の設置を明記した「議長総括」を発表。「関連する懸案に対処する」との表現で、日本人拉致問題に言及。
【第3回】(2004年6月23日〜26日)
「朝鮮半島非核化に向けた第1段階の措置を可能な限り早期に取る」との「議長声明」を発表。作業部会で範囲、期間、検証と、見返りの「対応措置」を定めるとした。
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> 日本にとっても、6カ国協議の開催は、小渕内閣以来の悲願だった。朝鮮半島の安全保障に発言権を確保する狙いだ。2002年8月の日朝局長級協議で日本が北朝鮮に働きかけた経緯もあった。
6カ国協議、いわゆる多国間協議ないしは多国間による北東アジア安全保障協議は98年発足の小渕首相、高村外相時代からの構想だったとは。てっきり2002年頃に始まったの構想かと思っていた。
対北朝鮮外交では、拉致問題と並んで、核問題が重い比重を占める。
日本は過去3回の6カ国協議で、一貫して米韓両国と共同歩調を取ってきた。ただ、米朝の対立を解きほぐし、協議を進展させるため、水面下では議長国の中国と連携し、調整役を務める場面も少なくなかった。
「我々は北朝鮮を協議の場に引き留める。日本は米国を引き留めて欲しい」
現駐日大使の王毅・中国外務次官は、薮中三十二外務省アジア大洋州局長に流暢な日本語で話しかけた。第1回協議の開幕前日の昨年(2003年)8月26日、北京の釣魚台国迎賓館で開かれた王主催の夕食会のことだ。協議の議長の王は不安そうだった。中国は国際会議を仕切った経験が少ない。北朝鮮が「瀬戸際外交」を続け、協議が決裂することを恐れていたのだ。
薮中は、「我々も協議の成功に努力する」と、王に強力を約束した。その後、ケリー国務次官補に囁いた。
「北朝鮮が席を立つ口実を与えないようにしよう」
日本にとっても、6カ国協議の開催は、小渕内閣以来の悲願だった。朝鮮半島の安全保障に発言権を確保する狙いだ。2002年8月の日朝局長級協議で日本が北朝鮮に働きかけた経緯もあった。
日中の連携は今年(2004年)2月の第2回協議でも見られた。
王は、核の凍結・廃棄手順などを検討する「作業部会」の設置を盛り込んだ「共同文書」案を各国に示した。だが、米国は、作業部会設置の条件として「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄(CVID)の明記を求めた。北朝鮮が絶対に同意しない要求だった。
中国の李肇星外相は、わざわざパウエル米国務長官に国際電話をかけ、「中国案をのんでくれ」と頼んだ。薮中もケリーを説得した。
各国は一時、文案に同意したが、土壇場で北朝鮮が翻意し、共同文書は発表できなかった。
6月の第3回協議は正念場だった。薮中は事前に訪米し、韓国と連携して、ケリーらに具体案の提示を働きかけた。「今回も進展がなければ、協議は失速する」との危機感があった。
ようやく米国が動いた。ケリーは、北朝鮮がすべての核計画の廃棄を表明すれば、「安全の保障」やエネルギーの支援を与えるとの新提案を示した。北朝鮮も核の一部凍結を表明した。
それでも、米朝双方の隔たりは依然、大きかった。
北朝鮮「米国は我々に『先に丸腰になれ』というのか。安全の保証とエネルギー支援が先に決まらなければ、核廃棄はできない」
米国「核廃棄の前にエネルギー支援の話しはできない」
北朝鮮は結局、「一顧の価値もない」と米国提案を拒否した。
6カ国協議が停滞する裏で、北朝鮮は着々と核開発を進めている。今月(2004年12月)10日、自民党本部を訪れたデトラニ米朝鮮半島和平担当大使に、安部晋三幹事長代理は「北朝鮮に核開発の時間稼ぎを許してはならない」と国連安全保障理事会への付託の可能性に言及した。
デトラニは強調した。
「我々の我慢は限界に達しつつある」
北朝鮮の核問題は、緊迫の度を高めながら、年明けに持ち越される。
(敬称略、肩書きは当時)
6カ国協議の主な内容
【第1回】(2003年8月27日〜29日)
議長の王毅・中国外務次官が記者会見で、①核問題の平和的解決②協議継続−−など6項目で合意と発表
【第2回】(2004年2月25日〜28日)
核問題に対処するため「調整された措置」を取り、作業部会の設置を明記した「議長総括」を発表。「関連する懸案に対処する」との表現で、日本人拉致問題に言及。
【第3回】(2004年6月23日〜26日)
「朝鮮半島非核化に向けた第1段階の措置を可能な限り早期に取る」との「議長声明」を発表。作業部会で範囲、期間、検証と、見返りの「対応措置」を定めるとした。
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> 日本にとっても、6カ国協議の開催は、小渕内閣以来の悲願だった。朝鮮半島の安全保障に発言権を確保する狙いだ。2002年8月の日朝局長級協議で日本が北朝鮮に働きかけた経緯もあった。
6カ国協議、いわゆる多国間協議ないしは多国間による北東アジア安全保障協議は98年発足の小渕首相、高村外相時代からの構想だったとは。てっきり2002年頃に始まったの構想かと思っていた。
これは メッセージ 213834 (komash0427 さん)への返信です.