小泉外交_18
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/09/02 19:27 投稿番号: [213834 / 232612]
訴追問題で米大使奔走
曽がひとみさんの夫の脱走兵、チャールズ・ジェンキンスの訴追問題をめぐる日米協議は難航していた。
「ジェンキンス氏が入院中は、何とか身柄引渡しを猶予してもらえないか」
7月14日、「一家の早期帰国」の方針決定を受けて、外務省はすぐに米側に要請した。日米地位協定が、日本側に米兵容疑者の「引渡しの補助」を義務づけているためだ。
今年(2004年)春ごろは、良好な日米関係を背景に、「大統領の恩赦や訴追免除もありうるだろう」と。希望的観測を口にする外務省幹部もいた。だが、米側の態度は一貫して硬かった。
米側では当時、米兵によるイラク人虐待事件が発覚し、軍の規律違反に厳しい視線が注がれていた。大統領選を11月に控えたブッシュ政権にとって、簡単に妥協できない問題だった。
外務省は一時、来日直後に米側から身柄引渡しを要求されることを前提に、引渡しを拒否する応答要領を作成し、関係部局に配ったほどだった。
そのとき、助け船を出したのはベーカー駐日大使だった。16日午前、ベーカーは自民党の安倍、公明党の冬柴両幹事長と都内の大使公邸で会談した。
ベーカー「日米同盟や人道的観点からの配慮も大切だと考える。自ら進んですべてを話し、司法取引すればいい」
安倍「ジェンキンス氏は重い病気であり、米側の配慮は大変ありがたい」
入院中は身柄引渡し請求を先送りし、その間に司法取引で減刑の可能性を探る。弁護士出身のベーカーならではの筋書きだった。
ベーかーはもともと拉致問題の解決に熱心だった。
2002年12月には拉致被害者横田めぐみの両親、滋と早紀江と面会し、「皆さんは信じられないほど長い間、苦しい経験をしました。米国全体が同情している」と励ました。翌年3月の滋らの訪米時には、アーミテージ国務副長官ら米政府要人に面会できる用談取りをつけた。
5月の日米首脳会談後の記者会見で、ブッシュ大統領が「北朝鮮に拉致された日本人の行方が完全に解明されるまで、米国は日本と連携して対応する」と明言したのも、ベーカーの根回しが決め手となった。
しかし、今回のベーカーの「司法取引」案には、米政府内で反発が出た。
国防総省幹部はすぐに在日米大使館員を呼び、「我々は何も決めていない」とくぎをさした。米大使館も日本外務省に「大使個人の見解だ」と伝えた。
ベーカーは粘った。
米上院議員時代に同期だったラムズフェルド国防長官や、ライス大統領補佐官らに電話し、直接説得した。
「彼が会議を締めくくる際の口癖は『オーケー。それで私は何をやればいい』。彼ほど行動する大使はいない」
在日米大使館幹部のベーカー評である。
最終的にパウエルがホワイトハウスの了解を取り付けたとされるのが日本時間の17日未明。ベーカーはその日午前、外務省の麻布台別館で川口外相と会談し、笑顔で表明した。
「人道的配慮により、ジェンキンス軍曹の身柄引渡し要求は、『将来の適当な時期』まで先送りする」
曽我一家が帰国・来日する前日のことだった。
(敬称略。肩書きは当時)
戦後の主な駐日米大使 ()内は元職
1961年4月 エドウィン・ライシャワー (ハーバード大学教授)
〜66年8月
1977年7月 マイク・マンスフィールド (上院院内総務)
〜88年12月
1989年5月 マイケル・アマコスト (国務次官)
〜93年7月
1993年9月 ウォルター・モンデール (前副大統領)
〜96年12月
1997年11月 トーマス・フォーリー (下院議長)
〜2001年4月
2001年7月 ハワード・ベーカー (上院院内総務)
〜2005年2月
2005年4月 トーマス・シーファー (豪州大使)
〜
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この件で東奔西走したベーカー氏は日本の恩人。
曽がひとみさんの夫の脱走兵、チャールズ・ジェンキンスの訴追問題をめぐる日米協議は難航していた。
「ジェンキンス氏が入院中は、何とか身柄引渡しを猶予してもらえないか」
7月14日、「一家の早期帰国」の方針決定を受けて、外務省はすぐに米側に要請した。日米地位協定が、日本側に米兵容疑者の「引渡しの補助」を義務づけているためだ。
今年(2004年)春ごろは、良好な日米関係を背景に、「大統領の恩赦や訴追免除もありうるだろう」と。希望的観測を口にする外務省幹部もいた。だが、米側の態度は一貫して硬かった。
米側では当時、米兵によるイラク人虐待事件が発覚し、軍の規律違反に厳しい視線が注がれていた。大統領選を11月に控えたブッシュ政権にとって、簡単に妥協できない問題だった。
外務省は一時、来日直後に米側から身柄引渡しを要求されることを前提に、引渡しを拒否する応答要領を作成し、関係部局に配ったほどだった。
そのとき、助け船を出したのはベーカー駐日大使だった。16日午前、ベーカーは自民党の安倍、公明党の冬柴両幹事長と都内の大使公邸で会談した。
ベーカー「日米同盟や人道的観点からの配慮も大切だと考える。自ら進んですべてを話し、司法取引すればいい」
安倍「ジェンキンス氏は重い病気であり、米側の配慮は大変ありがたい」
入院中は身柄引渡し請求を先送りし、その間に司法取引で減刑の可能性を探る。弁護士出身のベーカーならではの筋書きだった。
ベーかーはもともと拉致問題の解決に熱心だった。
2002年12月には拉致被害者横田めぐみの両親、滋と早紀江と面会し、「皆さんは信じられないほど長い間、苦しい経験をしました。米国全体が同情している」と励ました。翌年3月の滋らの訪米時には、アーミテージ国務副長官ら米政府要人に面会できる用談取りをつけた。
5月の日米首脳会談後の記者会見で、ブッシュ大統領が「北朝鮮に拉致された日本人の行方が完全に解明されるまで、米国は日本と連携して対応する」と明言したのも、ベーカーの根回しが決め手となった。
しかし、今回のベーカーの「司法取引」案には、米政府内で反発が出た。
国防総省幹部はすぐに在日米大使館員を呼び、「我々は何も決めていない」とくぎをさした。米大使館も日本外務省に「大使個人の見解だ」と伝えた。
ベーカーは粘った。
米上院議員時代に同期だったラムズフェルド国防長官や、ライス大統領補佐官らに電話し、直接説得した。
「彼が会議を締めくくる際の口癖は『オーケー。それで私は何をやればいい』。彼ほど行動する大使はいない」
在日米大使館幹部のベーカー評である。
最終的にパウエルがホワイトハウスの了解を取り付けたとされるのが日本時間の17日未明。ベーカーはその日午前、外務省の麻布台別館で川口外相と会談し、笑顔で表明した。
「人道的配慮により、ジェンキンス軍曹の身柄引渡し要求は、『将来の適当な時期』まで先送りする」
曽我一家が帰国・来日する前日のことだった。
(敬称略。肩書きは当時)
戦後の主な駐日米大使 ()内は元職
1961年4月 エドウィン・ライシャワー (ハーバード大学教授)
〜66年8月
1977年7月 マイク・マンスフィールド (上院院内総務)
〜88年12月
1989年5月 マイケル・アマコスト (国務次官)
〜93年7月
1993年9月 ウォルター・モンデール (前副大統領)
〜96年12月
1997年11月 トーマス・フォーリー (下院議長)
〜2001年4月
2001年7月 ハワード・ベーカー (上院院内総務)
〜2005年2月
2005年4月 トーマス・シーファー (豪州大使)
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この件で東奔西走したベーカー氏は日本の恩人。
これは メッセージ 213606 (komash0427 さん)への返信です.