日朝交渉のチャンスを作ったのは
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/07/24 11:41 投稿番号: [209483 / 232612]
>>自分が切り開き歯車を回そうとした日朝関係。
>>家族会に止められたことがよほど悔しかった。
>>だから家族会が会いたいと申し出ても会おうとしない。単純なことだった。
>>制裁発動に消極的な小泉首相への批判に対して、支持者からは小泉首相が辞めたらだれが拉致問題に取り組む、いないだろうという反論があったと思う。
>拉致問題について、日朝交渉のチャンスを作ったのは、小泉さん自身が最初の首相ではないですか?
>私はそれを評価したいです。
この評価は、過大評価ですね。
拉致問題を解決するのことは日本のリーダーたちの義務です。そのことを忘れてはなりませんね。
「最初の首相」という点は目暗ましです。
事実はそうですが、以前のリーダーたちや政党があまりにひどかったから、余計に目立つだけです。
「最初の首相」ということと、現在の外交姿勢、拉致解決に取り組む姿勢への不満、批判から首相は免罪されるものではありません。
それと、彼は「ラッキー」だったということ。
・拉致事件に対して前総理が犯した過ち、すなわち「被害者を第三国で発見したということにしてはどうか」というブレア首相に語ったアイデアに対して日本の世論は怒った
・01年に北朝鮮から交渉の申し入れが来たこと
親米派の金正日は米朝関係を改善させ米国の制裁を解除してもらい、米朝国交を樹立しようとしてきた。
1999年 朝鮮半島調整官ウィリアム・ペリー(元国防長官)の訪朝
2000年 金大中大統領の訪朝(後に金大中は森首相へ訪朝を推奨)
2000年 趙明禄国防委員会第一副委員(ナンバー2とされている)
2000年 オルブライト国務長官の訪朝(この年の12月末、クリントン政権末期まで国務省はクリントン訪朝実現に向けて努力していた)
2001年 1月にブッシュ政権発足 北朝鮮政策を見直し 4月には小泉政権発足
ここで金正日は日本へ照準を変更。
ブッシュ政権と交渉する前に、日本との関係を改善させることで巨額の資金を得ることと、同時に小泉首相に対してブッシュ政権と金正日政権の対話の橋渡し役になってもらうことを画策
一方、日本は米韓の動きに対して「バスに乗り遅れるな」。ただし拉致事件も解決しなければならない。
2001年 9月11日のNYテロ
2001年 10月に北朝鮮から田中均氏へ極秘接触(首相訪朝の調整が開始)
2001年 12月 奄美大島海域で海上保安庁の警備艇が北朝鮮工作船を撃退
2002年 1月の大統領一般教書演説「悪の枢軸」
2002年 7月 ARF会議でパウエル国務長官と白南淳外相会談
2002年 8月に訪朝を発表(米国には事後報告)
2002年 9月ケリー国務次官補が訪朝(高濃縮ウランの疑惑を提起)
そして2002年9月17日
この辺りに関しては下記を
http://adoruk626.seesaa.net/article/2686768.html
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da 4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&mid=167824
国際環境が金正日との会談セットを後押しし、前任者の姿勢に対する世論の怒りを目の当たりにした首相は、拉致事件に真剣に取り組まなければならないという教訓を知った。
教訓を生かしたことを評価したいと仰るかもしれませんが、そうではないと思います。首相の訪朝成果が評価されなければならない日本の政治状況を嘆くべきです。
・何十年も主権を侵害され続けてきた国の無様の姿を
・ある日突然、愛する肉親を失った家族の悲しみを
そして日本を侵略した国に対して物資を与えることでしか国民を奪え返すことができないことにもっと怒るべきです。
有事法制の立法、憲法改憲は長い間、議論されてきたのです。首相が郵政民営化ほどに協力なリーダーシップを発揮したからそうした道筋ができたわけではないのです。
ラッキーな首相はその流れに乗れたからだけです。けれどもその流れに乗って、日本海へ思い切りよく漕ぎ出しているわけではありません。
曾我さんの存在が契機になり、一市民団体の努力によって特定失踪者の存在が明るみに。
拉致事件の規模は想像以上に大きいことが判明してきている。
政府は特定失踪者の件に関して努力しないばかりか、山本美保さんの件をもみ消そうとし、加瀬テル子さんの拉致被害者認定にも消極的。
郵政民営化法案でみせる強力
>>家族会に止められたことがよほど悔しかった。
>>だから家族会が会いたいと申し出ても会おうとしない。単純なことだった。
>>制裁発動に消極的な小泉首相への批判に対して、支持者からは小泉首相が辞めたらだれが拉致問題に取り組む、いないだろうという反論があったと思う。
>拉致問題について、日朝交渉のチャンスを作ったのは、小泉さん自身が最初の首相ではないですか?
>私はそれを評価したいです。
この評価は、過大評価ですね。
拉致問題を解決するのことは日本のリーダーたちの義務です。そのことを忘れてはなりませんね。
「最初の首相」という点は目暗ましです。
事実はそうですが、以前のリーダーたちや政党があまりにひどかったから、余計に目立つだけです。
「最初の首相」ということと、現在の外交姿勢、拉致解決に取り組む姿勢への不満、批判から首相は免罪されるものではありません。
それと、彼は「ラッキー」だったということ。
・拉致事件に対して前総理が犯した過ち、すなわち「被害者を第三国で発見したということにしてはどうか」というブレア首相に語ったアイデアに対して日本の世論は怒った
・01年に北朝鮮から交渉の申し入れが来たこと
親米派の金正日は米朝関係を改善させ米国の制裁を解除してもらい、米朝国交を樹立しようとしてきた。
1999年 朝鮮半島調整官ウィリアム・ペリー(元国防長官)の訪朝
2000年 金大中大統領の訪朝(後に金大中は森首相へ訪朝を推奨)
2000年 趙明禄国防委員会第一副委員(ナンバー2とされている)
2000年 オルブライト国務長官の訪朝(この年の12月末、クリントン政権末期まで国務省はクリントン訪朝実現に向けて努力していた)
2001年 1月にブッシュ政権発足 北朝鮮政策を見直し 4月には小泉政権発足
ここで金正日は日本へ照準を変更。
ブッシュ政権と交渉する前に、日本との関係を改善させることで巨額の資金を得ることと、同時に小泉首相に対してブッシュ政権と金正日政権の対話の橋渡し役になってもらうことを画策
一方、日本は米韓の動きに対して「バスに乗り遅れるな」。ただし拉致事件も解決しなければならない。
2001年 9月11日のNYテロ
2001年 10月に北朝鮮から田中均氏へ極秘接触(首相訪朝の調整が開始)
2001年 12月 奄美大島海域で海上保安庁の警備艇が北朝鮮工作船を撃退
2002年 1月の大統領一般教書演説「悪の枢軸」
2002年 7月 ARF会議でパウエル国務長官と白南淳外相会談
2002年 8月に訪朝を発表(米国には事後報告)
2002年 9月ケリー国務次官補が訪朝(高濃縮ウランの疑惑を提起)
そして2002年9月17日
この辺りに関しては下記を
http://adoruk626.seesaa.net/article/2686768.html
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143583&tid=beaec0tbcsaja4nkacdaba4h2ddbja4ka4da 4a4a4fa1ya1ya1ya1ya1y&sid=1143583&mid=167824
国際環境が金正日との会談セットを後押しし、前任者の姿勢に対する世論の怒りを目の当たりにした首相は、拉致事件に真剣に取り組まなければならないという教訓を知った。
教訓を生かしたことを評価したいと仰るかもしれませんが、そうではないと思います。首相の訪朝成果が評価されなければならない日本の政治状況を嘆くべきです。
・何十年も主権を侵害され続けてきた国の無様の姿を
・ある日突然、愛する肉親を失った家族の悲しみを
そして日本を侵略した国に対して物資を与えることでしか国民を奪え返すことができないことにもっと怒るべきです。
有事法制の立法、憲法改憲は長い間、議論されてきたのです。首相が郵政民営化ほどに協力なリーダーシップを発揮したからそうした道筋ができたわけではないのです。
ラッキーな首相はその流れに乗れたからだけです。けれどもその流れに乗って、日本海へ思い切りよく漕ぎ出しているわけではありません。
曾我さんの存在が契機になり、一市民団体の努力によって特定失踪者の存在が明るみに。
拉致事件の規模は想像以上に大きいことが判明してきている。
政府は特定失踪者の件に関して努力しないばかりか、山本美保さんの件をもみ消そうとし、加瀬テル子さんの拉致被害者認定にも消極的。
郵政民営化法案でみせる強力
これは メッセージ 208684 (hangyosyufu さん)への返信です.