為政者の正しさを証明するために戦争
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/07/07 12:43 投稿番号: [207786 / 232612]
「九評」は過去40年の中国政治の歴史の中で、二度ほど現れたことがあります。一度目の「九評」は、60年代に現れました。1963年から1964年の間に、旧ソ連共産党に対して回答した公開文書を中国共産党理論の刊行物、「紅旗」という雑誌と、「人民日報」が共同で発表した9編の評論文章がそれです。
この評論文は、中国とソ連の間の論戦をピークに押し上げました。論戦は旧ソ連の第20回の代表大会まで遡及することができます。
この大会で、総書記フルシチョフは非スターリン化路線を打ち出しました。しかし、それは中国路線との対立を生み出し、論戦が始まったのです。フルシチョフは、農業政策の失敗を問われて退任しますが、中国は自分たちの九評が効を奏してフルシチョフ政権が倒れたと述べ、それを誇りに思っているようです。
それ以来、中国共産党は「九評」という言葉を中国の政治用語に取り入れ、手持ちのペンは銃と同じように、相手を降伏させることができるということを世界に誇示したかったのです。
それから、中国共産党はペンと銃を二つの支柱として政権を維持し、必要なときにはペンを利用して中国文化・歴史を捻じ曲げてきたのです。現代中国人は、その捻じ曲げられた文化と歴史を真実として押し付けられてきました。この手口は、西洋のマスコミの人々にはあまり知られていないかもしれません。
中国共産党が「九評」を発表してから2年後、文化大革命が起きました。当時、革命の続きだと思われたこの運動は、百万人以上の命を奪い、数百社の大手企業を倒産させ、広大な田畑が荒れ果てました。
当時、文化大革命がピークに達した時、毛沢東は自分の正しさを証明するために北部の国境で戦争を起こしました。その後、訒小平もその真似をして、南部の国境でベトナムを懲罰する戦争を起こし、衰えた党国の運命を新たに高めようとしていました。
これは メッセージ 207783 (hangyosyufu さん)への返信です.
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