「古川了子さんを救う千葉集会(2/3)
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/07/04 19:15 投稿番号: [207588 / 232612]
朝鮮総連と大町ルートの関係を調べてみると多くのことが分かった。
朝鮮総連直営のパチンコ店は全国に40から50ありルート周辺に多く存在している。特に多いのが山梨である(昭和59年に失踪した山本美保さんは甲府出身)。
拉致犯罪に関わる協力者については「土台人(とていじんと読む)」の存在が指摘されている。
(いつぞや僕もこのトピで土台人呼ばわれされたことがあった。僕をそう呼んだあの人は今どうしているかな)
土台人は拉致被害者を搬送する上で重要な役割を担ったはず。大町ルート上にも土台人と推定される人が多くいる。その名前も判明している。
かつて朴正煕大統領暗殺を図ろうとした在日朝鮮人の文世光や、原敕晁さんの拉致の実行者である辛光洙を日本で匿っていた人物達が大町ルートにいた。
また大物在日朝鮮人が経営する足立区内のN病院がこのルート上にある。
黄長菀元朝鮮労働党書記は97年に亡命する直前に日本に立ち寄っていた。彼は富山から大町ルートを通って甲府に立ち寄り、そして東京の小平市にある朝鮮大学を訪問した。そのあと彼は北京で亡命した。労働党書記が立ち寄るほどの重要な人物がルート上にいるということである。
旧日本軍の関連する施設と大町ルートの関係も重要である。
海上町の隣の旭市には徴用されてきた朝鮮人が建設に従事させられた香取航空隊基地があった。それ以前に日本にいた朝鮮人もこの基地の建設に関わった。
戦争が終わると徴用された朝鮮人は帰国した。日本にいた朝鮮人はそのまま残留した。ルート上にあった軍需産業で特に重要な場所は長野県の大町である。ここには大きな軍需工場があった。香取航空基地と同様に朝鮮人が建設に携わり、戦争が終わったらその付近でそのまま居住した。土台人は大町にも住んでいる。
拉致は闇雲に実行されていない。歴史的な経緯から土台人が日本国内の各地域に散在した。北朝鮮から上陸した工作員たちは土台人の拠点を転々としながら工作活動を行なった。
拉致被害者や特定失踪者そして写真などを別々の事件ではなく「線」で繋がるという前提で調査したい。
古川了子さんを中心に他の拉致被害者につながる「線」を考えてみたい。
(昭和48年7月7日失踪。当時18才の)古川了子さんの目撃証言をした安明進氏は北朝鮮で20人くらいの日本人を目撃している。判明している人は少ないがその中で有力な被害者が古川了子さんである。
昨年夏、脱北者が写真を提供して拉致が明らかになった藤田進さんは大町ルート上に存在する埼玉県川口市出身である(昭和51年2月7日失踪。当時19才)。
藤田さんの拉致に関わった「K」という人物はこの集会にも来ている。「K」は加瀬テル子さんを北朝鮮で目撃したと証言している。
週刊誌にも書かれたが「K」は藤田さんを北朝鮮へ送り込むために大町ルートを通って運んだと証言している。
加瀬さんの夫は日本の理科系の国立大学を卒業したとされている。拉致された日本人を管理する部署の課長とされているが詳細は分かっていない。
網走で失踪した国井えり子さんと加瀬テル子さん、そして藤田進さんと古川了子さんは拉致された時期も場所もみな別々だがこのように線で繋がっている。
(古川さん、加瀬さん、藤田さんは大町ルート上で拉致されているということ)
(藤田さんの拉致に関わった「K」は加瀬さんを北朝鮮で目撃している)
(国井えり子さんの詳細を僕は知らないが加瀬さんや藤田さんの写真を提供した人物と関連があるのか)
この集会に関谷俊子さんの家族が来ている。彼女は昭和49年7月11日に千葉港附近で失踪した。当時17才だった(6月27日に調査会が公開)。失踪当時の彼女は古川了子さんが卒業した千葉商業高校に在籍していた。学年は古川さんより3つ下である。
関谷さんは親類の男性と関谷さんの同級生の女性と同時に失踪した。3人は古川さんが失踪したちょうど1年後に失踪した。
(関谷さんの情報は下記のサイトを参照)
http://chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news050627a.TXT
「K」の調査は終わっていない。証言が嘘なのか本当なのか、それとも記憶違いなのか調べようがない。
「K」は千葉市内から2人の女性を運んだと証言している。裏づけは取られていないが失踪した古川さんと時期や場所そして高校が共通しているため重大な関心を持っている。古川さんが拉致された周辺で古川さんと同じ高校出身者の2人が拉致されそうになっているのだ。
(つづく)
朝鮮総連直営のパチンコ店は全国に40から50ありルート周辺に多く存在している。特に多いのが山梨である(昭和59年に失踪した山本美保さんは甲府出身)。
拉致犯罪に関わる協力者については「土台人(とていじんと読む)」の存在が指摘されている。
(いつぞや僕もこのトピで土台人呼ばわれされたことがあった。僕をそう呼んだあの人は今どうしているかな)
土台人は拉致被害者を搬送する上で重要な役割を担ったはず。大町ルート上にも土台人と推定される人が多くいる。その名前も判明している。
かつて朴正煕大統領暗殺を図ろうとした在日朝鮮人の文世光や、原敕晁さんの拉致の実行者である辛光洙を日本で匿っていた人物達が大町ルートにいた。
また大物在日朝鮮人が経営する足立区内のN病院がこのルート上にある。
黄長菀元朝鮮労働党書記は97年に亡命する直前に日本に立ち寄っていた。彼は富山から大町ルートを通って甲府に立ち寄り、そして東京の小平市にある朝鮮大学を訪問した。そのあと彼は北京で亡命した。労働党書記が立ち寄るほどの重要な人物がルート上にいるということである。
旧日本軍の関連する施設と大町ルートの関係も重要である。
海上町の隣の旭市には徴用されてきた朝鮮人が建設に従事させられた香取航空隊基地があった。それ以前に日本にいた朝鮮人もこの基地の建設に関わった。
戦争が終わると徴用された朝鮮人は帰国した。日本にいた朝鮮人はそのまま残留した。ルート上にあった軍需産業で特に重要な場所は長野県の大町である。ここには大きな軍需工場があった。香取航空基地と同様に朝鮮人が建設に携わり、戦争が終わったらその付近でそのまま居住した。土台人は大町にも住んでいる。
拉致は闇雲に実行されていない。歴史的な経緯から土台人が日本国内の各地域に散在した。北朝鮮から上陸した工作員たちは土台人の拠点を転々としながら工作活動を行なった。
拉致被害者や特定失踪者そして写真などを別々の事件ではなく「線」で繋がるという前提で調査したい。
古川了子さんを中心に他の拉致被害者につながる「線」を考えてみたい。
(昭和48年7月7日失踪。当時18才の)古川了子さんの目撃証言をした安明進氏は北朝鮮で20人くらいの日本人を目撃している。判明している人は少ないがその中で有力な被害者が古川了子さんである。
昨年夏、脱北者が写真を提供して拉致が明らかになった藤田進さんは大町ルート上に存在する埼玉県川口市出身である(昭和51年2月7日失踪。当時19才)。
藤田さんの拉致に関わった「K」という人物はこの集会にも来ている。「K」は加瀬テル子さんを北朝鮮で目撃したと証言している。
週刊誌にも書かれたが「K」は藤田さんを北朝鮮へ送り込むために大町ルートを通って運んだと証言している。
加瀬さんの夫は日本の理科系の国立大学を卒業したとされている。拉致された日本人を管理する部署の課長とされているが詳細は分かっていない。
網走で失踪した国井えり子さんと加瀬テル子さん、そして藤田進さんと古川了子さんは拉致された時期も場所もみな別々だがこのように線で繋がっている。
(古川さん、加瀬さん、藤田さんは大町ルート上で拉致されているということ)
(藤田さんの拉致に関わった「K」は加瀬さんを北朝鮮で目撃している)
(国井えり子さんの詳細を僕は知らないが加瀬さんや藤田さんの写真を提供した人物と関連があるのか)
この集会に関谷俊子さんの家族が来ている。彼女は昭和49年7月11日に千葉港附近で失踪した。当時17才だった(6月27日に調査会が公開)。失踪当時の彼女は古川了子さんが卒業した千葉商業高校に在籍していた。学年は古川さんより3つ下である。
関谷さんは親類の男性と関谷さんの同級生の女性と同時に失踪した。3人は古川さんが失踪したちょうど1年後に失踪した。
(関谷さんの情報は下記のサイトを参照)
http://chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news050627a.TXT
「K」の調査は終わっていない。証言が嘘なのか本当なのか、それとも記憶違いなのか調べようがない。
「K」は千葉市内から2人の女性を運んだと証言している。裏づけは取られていないが失踪した古川さんと時期や場所そして高校が共通しているため重大な関心を持っている。古川さんが拉致された周辺で古川さんと同じ高校出身者の2人が拉致されそうになっているのだ。
(つづく)
これは メッセージ 207587 (komash0427 さん)への返信です.