小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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>北との対話、柔軟に対応(1/2)

投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/05/21 23:20 投稿番号: [204131 / 232612]
  何度も何度もライス国務長官に主権国家であると発言させる北朝鮮の真意はどこにあるのか?
2000年に訪米しようとした金永南と訪米した趙明禄をめぐる出来事に、そのヒントがありそうな気がしたので。

――――――――――――――――――――――――――――
  始まりは一本の電話からだった。1999年末、米朝間の交流が表面的には滞りを見せていた時、国務省アジア局朝鮮部長エバンス・リビア(現在は第2次ブッシュ政権の国務次官補筆頭代理)の席にある電話が事務的な着信音を発した。だが、電話の主はいつもの米政府内の同僚やメディア関係者ではなかった。

  「とても大事な話があります」

  そう切り出してきた相手は、ニューヨークの北朝鮮国連代表部に属する旧知の北朝鮮外交官だった(韓成烈/ハン・ソンリョルあたりか?)。

  思い詰めたような相手の声色を不審に思いながらリビアは流暢なハングルで問い返した。リビアは日本語、中国語、ハングルに堪能だ。

  「どんな内容でしょうか」

  「我が国はアメリカ合衆国に特使を派遣することを決めました。とても高位の人物です」

  「それは何を意味するのですか?そして誰なのでしょうか?」

  「今は言えません。答えることはできないのです。だが、とても高位の人です。すぐに上層部に打診してほしいと思います」

  なおも答えを見出そうと、言葉を変えながら質問を浴びせつづけるリビアに対し、北朝鮮外交官は高揚した心を抑えるかのような低い声で逆に聞き返してきた。

  「米国はそのような高位の人物に対し、きちんと敬意を持って迎えてくれるでしょうか?」

  「われわれは文明国であり、もちろん、適切な対応をするでしょう。だが、そのためにも、どの程度のレベルなのかを知る必要があるのです」


  この年(1999年)の5月、北朝鮮政策調整官ウィリアム・ペリーによる訪朝以来、米政府内では北朝鮮からの答礼訪問が外交上の懸案になっていた。訪朝後、ペリーは94年の北朝鮮核危機の際に単身平壌に乗りこんで金日成主席と渡り合ったカーター元大統領に電話をいれ、自らの訪朝成果と北朝鮮指導部にワシントンを3週間(3ヶ月の間違いか?)以内に訪問するよう要請していることを明らかにしていた。滞在先のジャカルタでペリーから訪朝報告を受けたカーターによると、ペリーは金永南最高人民会議常任委員長ら北朝鮮指導部に対し、米側の提案を再協議するため"北朝鮮のリーダー"に訪米を促したという。

  だが、いわゆる"ペリー・プロセス"の検証に予想以上の時間をかけた北朝鮮側はその後、一貫して沈黙を守り続け、米側には次第に諦めムードも漂っていた。

  そんな矢先にかかってきたこの電話は、クリントン政権の冷めかけた"北朝鮮熱"をふたたび呼び起こすのに十分だった。

  「やはり、ジュネーブ合意(94年の米朝枠組み合意)の立役者、姜錫柱(現在も第一外務次官)だろう」

  「いや、北朝鮮側の物言いの仕方から言って、姜錫柱のような官僚ではなく、朝鮮労働党幹部ではないか。92年のニューヨーク会談で訪米した金容淳(昨年か一昨年に死亡)あたりではないだろうか」

  99年の年の瀬から2000年の初春にかけて、米政府内、とりわけ国務省では「とても高位の人物」を巡り、さまざまな意見、憶測、気体が飛び交った。その数ヶ月前、99年9月には米朝枠組み合意5周年を記念して、姜錫柱が訪米するとの情報がワシントンを駈け抜けた経緯もあって、米政府内では姜錫柱を想定する声が次第に強まっていった。
(続く)
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