94年の日本④
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/03/21 08:52 投稿番号: [194003 / 232612]
外交面で米政府は北朝鮮に徐々に制裁を適用していく方針を固めた。IAEAとの協力を拒否しているというのがその理由である。国連安保理に提出された制裁決議案は、北朝鮮に方針転換のため30日間の猶予期間を設定し、その後は北朝鮮への武器輸出や核技術移転を禁止するなど軽度の制裁が実施されることになっていた。必要となれば、さらにその後、在日の親北朝鮮諸団体など海外からの北朝鮮への送金禁止、中国などからの必要不可欠な原油輸出の禁止など、さらに厳しい一連の制裁が適用される。こうした手段が功を奏さなかった場合は、第三段階の制裁として、北朝鮮の港湾を封鎖する輸出入制限措置が考えられていた。
直接かかわりを持つ他の大国――ロシア、日本、中国――は、最小限の制裁でさえあまり乗り気ではなかった。
ロシアは北朝鮮との関係改善に乗り出していた。90年に突然ソ連が韓国との関係を確立してから、ロシアと北朝鮮との関係はギクシャクしていた。朝鮮危機で何らかの役割を果たそうとして、3月にロシア外務省は、南北朝鮮と外部の4大国、国連、IAEAが集まって核問題を解決するための国際会議を開催することを提案した。提案にはどこも応じなかったが、ロシアはあくまでも制裁の前に国際会議を開くべきだと唱えていた。
日本にとって朝鮮半島危機は深刻で、身近な問題だった。91年の湾岸戦争の際に、日本はペルシャ湾の原油に強く依存しているのに米国を十分支援しなかった、と西側諸国から厳しく非難された。自国の安全保障と深く関わる地域で、日本が制裁支持の役割を果たさず、米軍に対し支援をしないのであれば、対外的評判や自国のプライドが傷つくだけではなく、日米同盟関係にも破滅的な影響をもたらすだろう。しかも日本の状況は困難を極めていた。
日本の政治システムはとりわけ不安定で、弱体化していた。危機発生当時、長期支配を続けていた自由民主党が分裂して政権の座から離れ、羽田孜首相の八党連立内閣は崩壊寸前だった。連立内閣が存続できるかどうかは、日本社会党の出方にかかっていた。社会党は歴史的に北朝鮮と近い関係にあり、対北朝鮮制裁に抵抗していた。
全面的な制裁決議が国連安保理で可決されれば、日本政府は、年間約6億ドルと推定される在日朝鮮人による北朝鮮への送金を止めさせるしかないと考えていた。しかし、入念な結果、日本政府当局は米関係者に、送金を完全にストップさせるのは難しいと伝えた。全面的に規制しようとしても、現金を詰め込んだスーツケースによる運搬から、スイスや香港などの金融市場を通じた電子決済にいたるまで、送金の方法はいくらでもあるというのだ。政府の作業部会は秘密報告の中で、こうした厳重な取締りを実施した場合の懸念として、日本国内在住の北朝鮮系住民が日本政府や国内の国連関係事務所、米国大使館に対して「激しい抗議行動」を繰り広げ、暴力好意や器物破壊を経て騒乱状態にいたる恐れがあると指摘した。
日本政府にとってさらに面倒だったのは、海上封鎖や実際に実弾を伴う戦闘が起きた場合、米軍を支援するために、憲法の枠内で何ができ、何ができないかという問題だった。第二次世界大戦後にダグラス・マッカーサー将軍が課した「不戦」憲法は、国外における日本の軍事行動を激しく制限している。米軍の増強が間近になると、在日米軍は1900項目にわたる支援要請リストを作成した。その内容は米軍基地の芝刈り作業から燃料・物資・兵器の補給、機雷掃海や情報収集のための日本船舶や航空機の使用にまで及んでいる。日本政府は米国の要求に応じ切れないかもしれないとの懸念から、特別本部を設置し、実施可能な分野を明確にしようとした。また軍事協力ができるようにする短期法案も準備していた。こうした動きに深く関与していたある日本の外交官は、実際にこうした試練にさらされたら「悪夢」だったに違いないと語る。この経験から、日本と米国は軍事危機の際の協力体制を巡って防衛指針の本格的な見直しに着手することになる。
(続く)
直接かかわりを持つ他の大国――ロシア、日本、中国――は、最小限の制裁でさえあまり乗り気ではなかった。
ロシアは北朝鮮との関係改善に乗り出していた。90年に突然ソ連が韓国との関係を確立してから、ロシアと北朝鮮との関係はギクシャクしていた。朝鮮危機で何らかの役割を果たそうとして、3月にロシア外務省は、南北朝鮮と外部の4大国、国連、IAEAが集まって核問題を解決するための国際会議を開催することを提案した。提案にはどこも応じなかったが、ロシアはあくまでも制裁の前に国際会議を開くべきだと唱えていた。
日本にとって朝鮮半島危機は深刻で、身近な問題だった。91年の湾岸戦争の際に、日本はペルシャ湾の原油に強く依存しているのに米国を十分支援しなかった、と西側諸国から厳しく非難された。自国の安全保障と深く関わる地域で、日本が制裁支持の役割を果たさず、米軍に対し支援をしないのであれば、対外的評判や自国のプライドが傷つくだけではなく、日米同盟関係にも破滅的な影響をもたらすだろう。しかも日本の状況は困難を極めていた。
日本の政治システムはとりわけ不安定で、弱体化していた。危機発生当時、長期支配を続けていた自由民主党が分裂して政権の座から離れ、羽田孜首相の八党連立内閣は崩壊寸前だった。連立内閣が存続できるかどうかは、日本社会党の出方にかかっていた。社会党は歴史的に北朝鮮と近い関係にあり、対北朝鮮制裁に抵抗していた。
全面的な制裁決議が国連安保理で可決されれば、日本政府は、年間約6億ドルと推定される在日朝鮮人による北朝鮮への送金を止めさせるしかないと考えていた。しかし、入念な結果、日本政府当局は米関係者に、送金を完全にストップさせるのは難しいと伝えた。全面的に規制しようとしても、現金を詰め込んだスーツケースによる運搬から、スイスや香港などの金融市場を通じた電子決済にいたるまで、送金の方法はいくらでもあるというのだ。政府の作業部会は秘密報告の中で、こうした厳重な取締りを実施した場合の懸念として、日本国内在住の北朝鮮系住民が日本政府や国内の国連関係事務所、米国大使館に対して「激しい抗議行動」を繰り広げ、暴力好意や器物破壊を経て騒乱状態にいたる恐れがあると指摘した。
日本政府にとってさらに面倒だったのは、海上封鎖や実際に実弾を伴う戦闘が起きた場合、米軍を支援するために、憲法の枠内で何ができ、何ができないかという問題だった。第二次世界大戦後にダグラス・マッカーサー将軍が課した「不戦」憲法は、国外における日本の軍事行動を激しく制限している。米軍の増強が間近になると、在日米軍は1900項目にわたる支援要請リストを作成した。その内容は米軍基地の芝刈り作業から燃料・物資・兵器の補給、機雷掃海や情報収集のための日本船舶や航空機の使用にまで及んでいる。日本政府は米国の要求に応じ切れないかもしれないとの懸念から、特別本部を設置し、実施可能な分野を明確にしようとした。また軍事協力ができるようにする短期法案も準備していた。こうした動きに深く関与していたある日本の外交官は、実際にこうした試練にさらされたら「悪夢」だったに違いないと語る。この経験から、日本と米国は軍事危機の際の協力体制を巡って防衛指針の本格的な見直しに着手することになる。
(続く)
これは メッセージ 194002 (komash0427 さん)への返信です.