94年の日本
投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/03/21 08:10 投稿番号: [194000 / 232612]
軍
事
路
線
1993年末から94年初めにかけて、北朝鮮に対する国際的緊張が再び高まるなか、在韓米軍司令部は、本格的な戦闘を想定し準備に入った。この数十年来、はじめて米軍の戦争計画「作戦計画50−27」が血肉を伴う現実味を帯びたものとして浮上した。それはもはやフォルダーに入った抽象的な書類、ないしコンピューター・プログラムの域を越えていた。作戦計画の番号に変更はない。とはいえ、計画は何度も更新され、その力点も防衛作戦から非武装地帯の北側での攻撃行動に移っていた。戦闘勃発後は北朝鮮に進行する作戦なのだ。90年代初めに修正された戦争計画は、当時の在韓米軍司令官ロバート・リスカシ大将の下で策定されたが、それによると米韓連合軍の反撃による平壌制圧と、北朝鮮政権の転覆が認められている。さらに部隊を北上させて中国との国境まで迫り、事実上、朝鮮を再統一する選択肢も含まれていた。この計画では、さらに重視すべき軍事段階として、戦争勃発につながる「戦闘直前」局面で米韓がどう対応すべきかについても言及している。
北朝鮮の核査察問題や燃料棒交換問題が解決されないまま緊張が続く中、米軍司令部と国防総省は軍事的準備をさらに進めた。釜山に最初のパトリオット・ミサイルが輸送されたのは1994年4月中旬で、月末までに配備された。旧式のコブラに変えてアパッチ攻撃ヘリコプターの大隊が投入され、さらに追加される予定となった。重戦車やブラッドリー戦闘車(新型の兵員装甲輸送車)、高性能レーダー装置、航空機の交換部品、新たな弾薬装填機器なども到着した。約1千人の米軍兵士が追加兵器とともにさりげなく配備され、規定枠の最大の人数である3万7千人にまで膨れ上がった。さらに兵力の追加配備が必要になる場合に備えて、米艦船がさらに重装備の戦闘用兵器を搭載し、朝鮮半島に容易に接近できる海上で待機していた。
私は(著者=ドン・オーバードーファー)、在韓米軍司令官のゲーリー・ラック大将(当時56歳)と、1994年5月3日に竜山の司令部で初めて会った。竜山は広大な旧日本軍の基地があった場所で、ソウル中心部にあり、朝鮮戦争終結以降ずっと在韓米軍司令部の本部となっている。
ラックはこう話してくれた。朝鮮半島情勢は「1、2年前に比べてずっと危うくなっている」。北朝鮮がゆっくりとはいえ、一定速度で軍事的増強を続けており、とりわけ、核問題での駆け引きが問題だ。ラックはこの駆け引きが「さらに緊張のドラマをうみだす触媒になりかねない」と述べた。ラックの情報担当将校は北朝鮮軍のゆっくりとした増強と改良の動きを「増強のノルマ」と表現した。あまりに一定しているので、不思議とも思わなくなっているくらいだとも話した。94年には8400の大砲と2400の多連装ロケット発射台を含む、北朝鮮軍兵力の約65%が非武装地帯から約100キロ以内に配備されたと見られる。10年前の45%とは大違いだ。米軍の推定では、戦争が始まれば、北朝鮮はソウルに向けて最初の12時間に5千発の砲弾を浴びせ、首都を破壊して住民を死に追いやるだろう。米韓連合軍が計画する激しい反撃にもかかわらず、そうなるというのだ。
同時に、ラック司令官は北朝鮮の根本的弱点を認識していた。それは長期戦が維持できないことである。110万人もの巨大な部隊を維持するため北朝鮮はGNPの25%を支出していると推定される。しかし、物資の欠乏が軍隊にも深刻な打撃をもたらしていた。北朝鮮軍のパイロットは燃料が絶望的に不足しているため、ここ数年、年間飛行時間が数時間にしかならないありさまだ。食糧は軍でも欠乏している。ラックは、たまたま19歳と23歳の北朝鮮人民軍兵士二人の姿を見て、特に大きなショックを受けたという。彼らは94年の初め、小型船で海上を漂流し越境したため韓国側で逮捕されたのだ。二人とも身長が150cmになるかならないかで、体重もそれぞれ45キロほど。典型的な人民軍正規兵士の体格と思われた。同じ年代の韓国人に比べるとはるかに小さい。二人がその後、希望とおり北朝鮮に送還されるまで韓国の病院で回復を待っていた頃の話である。北朝鮮軍兵士の一人がもう一人にこう話しかけるのを誰かが北朝鮮という。南朝鮮の女とは結婚できないよ――「おれたちには大きすぎるからね」
(続く)
1993年末から94年初めにかけて、北朝鮮に対する国際的緊張が再び高まるなか、在韓米軍司令部は、本格的な戦闘を想定し準備に入った。この数十年来、はじめて米軍の戦争計画「作戦計画50−27」が血肉を伴う現実味を帯びたものとして浮上した。それはもはやフォルダーに入った抽象的な書類、ないしコンピューター・プログラムの域を越えていた。作戦計画の番号に変更はない。とはいえ、計画は何度も更新され、その力点も防衛作戦から非武装地帯の北側での攻撃行動に移っていた。戦闘勃発後は北朝鮮に進行する作戦なのだ。90年代初めに修正された戦争計画は、当時の在韓米軍司令官ロバート・リスカシ大将の下で策定されたが、それによると米韓連合軍の反撃による平壌制圧と、北朝鮮政権の転覆が認められている。さらに部隊を北上させて中国との国境まで迫り、事実上、朝鮮を再統一する選択肢も含まれていた。この計画では、さらに重視すべき軍事段階として、戦争勃発につながる「戦闘直前」局面で米韓がどう対応すべきかについても言及している。
北朝鮮の核査察問題や燃料棒交換問題が解決されないまま緊張が続く中、米軍司令部と国防総省は軍事的準備をさらに進めた。釜山に最初のパトリオット・ミサイルが輸送されたのは1994年4月中旬で、月末までに配備された。旧式のコブラに変えてアパッチ攻撃ヘリコプターの大隊が投入され、さらに追加される予定となった。重戦車やブラッドリー戦闘車(新型の兵員装甲輸送車)、高性能レーダー装置、航空機の交換部品、新たな弾薬装填機器なども到着した。約1千人の米軍兵士が追加兵器とともにさりげなく配備され、規定枠の最大の人数である3万7千人にまで膨れ上がった。さらに兵力の追加配備が必要になる場合に備えて、米艦船がさらに重装備の戦闘用兵器を搭載し、朝鮮半島に容易に接近できる海上で待機していた。
私は(著者=ドン・オーバードーファー)、在韓米軍司令官のゲーリー・ラック大将(当時56歳)と、1994年5月3日に竜山の司令部で初めて会った。竜山は広大な旧日本軍の基地があった場所で、ソウル中心部にあり、朝鮮戦争終結以降ずっと在韓米軍司令部の本部となっている。
ラックはこう話してくれた。朝鮮半島情勢は「1、2年前に比べてずっと危うくなっている」。北朝鮮がゆっくりとはいえ、一定速度で軍事的増強を続けており、とりわけ、核問題での駆け引きが問題だ。ラックはこの駆け引きが「さらに緊張のドラマをうみだす触媒になりかねない」と述べた。ラックの情報担当将校は北朝鮮軍のゆっくりとした増強と改良の動きを「増強のノルマ」と表現した。あまりに一定しているので、不思議とも思わなくなっているくらいだとも話した。94年には8400の大砲と2400の多連装ロケット発射台を含む、北朝鮮軍兵力の約65%が非武装地帯から約100キロ以内に配備されたと見られる。10年前の45%とは大違いだ。米軍の推定では、戦争が始まれば、北朝鮮はソウルに向けて最初の12時間に5千発の砲弾を浴びせ、首都を破壊して住民を死に追いやるだろう。米韓連合軍が計画する激しい反撃にもかかわらず、そうなるというのだ。
同時に、ラック司令官は北朝鮮の根本的弱点を認識していた。それは長期戦が維持できないことである。110万人もの巨大な部隊を維持するため北朝鮮はGNPの25%を支出していると推定される。しかし、物資の欠乏が軍隊にも深刻な打撃をもたらしていた。北朝鮮軍のパイロットは燃料が絶望的に不足しているため、ここ数年、年間飛行時間が数時間にしかならないありさまだ。食糧は軍でも欠乏している。ラックは、たまたま19歳と23歳の北朝鮮人民軍兵士二人の姿を見て、特に大きなショックを受けたという。彼らは94年の初め、小型船で海上を漂流し越境したため韓国側で逮捕されたのだ。二人とも身長が150cmになるかならないかで、体重もそれぞれ45キロほど。典型的な人民軍正規兵士の体格と思われた。同じ年代の韓国人に比べるとはるかに小さい。二人がその後、希望とおり北朝鮮に送還されるまで韓国の病院で回復を待っていた頃の話である。北朝鮮軍兵士の一人がもう一人にこう話しかけるのを誰かが北朝鮮という。南朝鮮の女とは結婚できないよ――「おれたちには大きすぎるからね」
(続く)
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