小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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核問題への関与①

投稿者: komash0427 投稿日時: 2005/03/20 01:00 投稿番号: [193670 / 232612]
92年から93年までの北朝鮮の核査察について

  ニュ   ー   ヨ   ー   ク   で   の   会   談

  1992年に入って3週間後、米国は時の流れに大きな貢献を果たした―政治レベルでの米朝2国間会談を開いたのである。北朝鮮は、長い間米政府との高官レベルの直接会談を模索してきた。米国を西側の要であり、韓国と日本に君臨する超大国とみなしていたからである。平壌当局はまた、米国との関係構築ができれば、韓国とのゼロサムゲームにおける重要な勝利を得られると考えていた。北朝鮮の指導部は、米国との関係がはじまれば、それがある程度は、対ソ同盟の崩壊やら中国との関係冷却化の変わりになりうると期待したのである。

  91年秋以来、米当局者は北朝鮮に影響力を及ぼすことのできる促進要因や阻害要因の範囲を探りながら、高官レベル会談の可能性を論議し始めていた。この問題は政府部内で大いに論争を巻き起こしたが、推進派は、韓国と論議してもよいという承認を取りつけた。韓国側はそれが1度きりの会談で、さらに会談を続けることはないという、はっきりした条件をつけてこれを了承した。廬泰愚大統領の外交安保担当秘書官、金宗輝は米国務省の専門家と同じく、その会談に出てくるのは北朝鮮外相ではなく金容淳になるだろうと予測した。外相があらかじめいうべきことを注入されていて、あまり口数が多くないのに対し、金容淳は「親愛なる指導者」金正日の側近で、国際問題担当の労働党書記として割合自由に振舞っていた。

  91年12月に米当局者は、メッセージの伝達程度に限定されていた北京の米朝政治担当参事官級のチャンネルを通じて、北側に、もし北朝鮮が核査察義務を果たすことに同意するなら、高官会談を開いてもよいと伝えた。何人かの米当局者の意見では、高官会談に関して示した約束が、北朝鮮側の決断を促す大きな要因になった。北朝鮮が韓国と核協定を締結する際もそうだったし、IAEAと核保障措置協定(査察)を調印する準備に入る際もそうだったというのである。

  ――1992年1月21日――

  午前10時すぎ、金容淳は数人の側近とともに派手な大型のリムジンでニューヨークの国連米代表部に到着した。政治担当の米国務次官(国務省で序列3位)アーノルド・カンターを長とする米代表団と会談するためである。厭うべき社会体制下にあり、軍事的脅威をもたらしている北朝鮮に対しては強い敵意が米側にあり、また会談の前例のない性格ということもあって、米政権内部では、会談を行うかどうかだけでなく、カンターが何を述べるかについても激しい論議があった。だが結局は官僚ならではの妥協に落ち着く。カンターによると、それは「会談は開かれるが、私は強硬路線で行く」ということだった。

  カンターの「交渉の要点」―――普通これは交渉で提示する主要内容の骨子のことだ―――は、あらかじめ政府省庁間の委員会で検討のうえ承認され、それから韓国と日本の政府の了承も得た。これは事実上カンターが読み上げねばならない原稿となった。だが、これを彼はできるだけ相手をなだめるように、また攻撃的にならないようにして読んだ。カンターは北朝鮮に対してIAEAの査察を許可し、核兵器開発政策をとらないよう要求した。その一方で、カンターは北朝鮮がその見返りに何を期待できるのかを明示しないようクギを刺されていた。特に米朝関係の正常化という言葉を口にすることは禁物だった。北朝鮮を鼓舞するための材料として将来の米朝会談について曖昧に触れはした。しかしカンターは韓国との取り決めによって、この代表団による会談の続きは行わず、この会談自体、交渉過程の始まりではない点を明確にしなければならなかった。

  金容淳は米国側の誰よりもずっと高価なスーツを着こなしていた。カンターは彼を見て、これまで1度も米国を訪れたことがないのに、抜け目なく世俗的だという印象を受けた。北朝鮮は「穏者の王国」(ハーミト・キングダム=もともとは内に閉じこもった李朝時代の朝鮮を呼ぶ英語の名称)かもしれないが、カンターは自分の相手は決して隠者ではないと見てとった。金容淳は、金正日との親密さについて繰り返し言及し、金正日が北朝鮮の軍事だけでなく外交の責任者をも務めていると述べた。カンターとの会談でも、長い非公式の話し合いでも、金容淳は、次の会談開催に原則合意するか、少なくとも今会談の結論を共同声明にすることを強く働きかけた。両方とも拒否されると、がっかりした様子を見せたが、怒りはしなかった。この年の後半、平壌とワシントンの間に緊張が高まったとき、金容淳は北京の外交チャンネルを通じてカンターにメッセージを送り、事態打開のためにもう一度会談しようと呼びかけることになる。だが、米政府はこれを拒否した。
(続く)
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