小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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青瓦台襲撃途中の武装工作員に遭遇②

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2005/01/07 22:43 投稿番号: [169276 / 232612]
禹哲済さんは「36年前のことだが、当時のことは昨日のことのようにはっきりと覚えている」と話した。

その後、金新朝氏は牧師となり、禹さんらと親しい関係に発展したという。禹哲済さんは「金新朝さんは昨年11月中旬にも我が家に遊びにきた」と話した。「金新朝さんは当時一緒に南下し亡くなった同僚のことを思い出すと私の家を訪れ、当時の話をしたりする」とした。

記者一行が取材を終えて三峰山のふもとを出発し、ポプウォン里と坡州を通って会社のあるソウル・光化門(クァンファムン)に戻るまで、取材車で約1時間30分かかった。チョリ洞から北漢山ピ峰までは直線距離にして27キロだ。しかし山岳専門家によると、工作員たちが選んだコース(坡平山、三峰山、北老姑山、エンム峰、南老姑山、北漢山ピ峰)は道が険しく、実際に稜線に沿って歩くと40キロ以上になるという。

1968年1月19日夜、禹さんらを解放した工作員たちはソウルに向け「急速行軍」を開始した。禹さんらが山を下りて恐怖に震えながらチョンヒョン面の支署に向かった時間とほぼ同じ頃だった。

「急速行軍」とは約30キロの荷物を背負った重武装の軍人が1時間当たり10キロを走破することをいう。当時の韓国軍は、「急速行軍」は道路でのみ可能だと判断していた。韓国軍の常識では夜間の山岳行軍の場合、1時間で4キロを越えることは不可能だと見ていた。

しかし工作員たちは雪の積もる稜線に沿って主に夜間のみ、1時間当たり10キロを走破していた。軍首脳部は1月21日午前に第6軍団予備師団まで動員し、ソウル外郭に集中的に配置した。その時までは工作員はソウルには入れないだろうと見ていた。ポプウォン里三峰山から北漢山ピ峰までは海兵隊が行軍してもゆうに2日はかかると判断したためだ。

景福(キョンボク)高校後門の道を行軍していた工作員に拳銃を突きつけて制止したのは、鍾路(チョンノ)警察署の崔圭植(チェ・ギュシク/当時38)署長だった。体重50キロと小柄ながら軍出身として責任感の強かった崔署長は「CIC(防諜部隊)の所属だから道をあけろ」と言う工作員たちの脅しにも屈しなかった。

崔署長は延世(ヨンセ)大学哲学科2年在学中の1950年に韓国戦争が勃発し学業を中断、軍に入隊した。その後軍政官として勤務していたが、5.16軍事クーデター後に警察に特別採用された。鍾路署長に赴任して間もない頃だった。当時崔署長は薬剤師の妻ユ某(当時35)さんと1男3女をもうけていた。末娘はまだ1歳にもならなかった。ユさんと家族はソウル・龍山区・元曉路(ウォンヒョロ)付近の自宅にいた。

何とか連絡が取れた故崔署長の妻ユさんは、記者に会うのをためらった。しばらく説得を試みると、ユさんは「私がどれほど役に立つかはわからない」と答えた。今年71歳になるユさんは現在、ソウル・冠岳(クァンアク)区・新林(シンリム)洞の娘の家で暮らしている。ユさんは「1.21事態からずいぶん経つため、今では他人事のようだ」と話した。
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