小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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60周年は御親拝を賜りたく

投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/09/14 21:08 投稿番号: [151170 / 232612]
258 名前:日出づる処の名無し :04/02/24 08:16 ID:9OSAygR+


遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。
しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・

http://ruku.qp.tc/dat2ch/0406/16/1076668881.html#R966


☆   自虐史観の枷を解く(8) ―――――――――――――― 2004/02/06

――――   私見:東京裁判の検証(2)

東京裁判は、昭和23年11月3日に判決が下され、東条、広田ら7名が絞首
刑、木戸ら17名が終身禁固刑とされました。が、注目すべきは、それを遡る
こと3年前の1945年12月7日(新聞の日付は9日)、フィリピンのマニラ
軍事法廷で下された最初の裁判の判決です。

裁かれたのは山下奉文陸軍大将。

山下は大東亜戦争緒戦のシンガポール陥落(1942年2月15日)の際、イギ
リスのパーシバル将軍に「イエスかノーか」で降伏を迫り、連合軍に「マレー
の虎」としてその名を恐れられていた将軍でした。
┌──────────
│編集部注:山下 奉文(やましたともゆき)陸軍大将
│高知県香美郡大杉村(現、大宮町)出身
│1885(明治18)年11月8日生―1946(昭和21)年2月23日マニラで没(法務死)。

│陸大卒業後、参謀本部付、1919(T8)から3年間スイス・ドイツに駐在。
│27(S2)オーストリア大使館兼ハンガリー公使館付武官。その後、軍事課長、
│北支那方面軍参謀長、航空総監等を歴任。2.26事件のとき帰順勧告書を
│作成。40ドイツ派遣航空視察団長となり、ドイツ機甲部隊を調査、41以降関
│東防衛軍司令官、第1・2方面軍司令官。
│42シンガポール占領時パーシバル将軍に降伏を迫ったが、フィリピンへ転戦
│後その逆の立場となり、敗戦後46マニラ大虐殺等の責任を問われ、マニラで
│処刑された。

│△   コンサイス日本人名事典   △
└──────────
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