小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

60周年は御親拝を賜りたく②

投稿者: mutekinozerosen 投稿日時: 2004/09/14 21:08 投稿番号: [151171 / 232612]
山下裁判は、1945年10月8日、日本降伏直後に慌しく始められます。

ところが、連合国軍最高司令官のマッカーサーによって任命された裁判官5人
は、全員がマッカーサーの部下の職業軍人で、裁判に関してはズブの素人でし
た。そしてそれだけではありません。
マッカーサーは、軍事裁判所の訴訟手続きも自らが全部定めてしまいました。

山下大将は、日本軍が行ったとされるマニラでの虐殺行為に指揮官として責任
があるという理由で起訴されていましたが、山下大将にとっては全く身に覚え
がないことでした。

事実、検察側がいくら多くの証人をくりだしても、山下が残虐行為に関係して
いたという証拠は出てきませんでした。それどころか、法廷での真摯な山下の
態度に多くの人々が感銘を受けました。

裁判を最初から傍聴していた各国の新聞記者12人に、あるべき判決を事前に
アンケートしたところ12対0で全員が無罪としました。しかし裁判官によっ
て下された判決は有罪、しかも絞首刑でした。
┌──────────
│当時の新聞に寄せられている山下将軍の声明文

│余は今日、告訴第一日と同様安らかな気持ちである。余は余に対して加へら
│れた非難がすべて事実無根であることを神かけて誓ふ。また裁判そのものに
│関しては、敵国将官たる余に対して良心的にして高潔なる錚々たる米軍士官
│及び名士方が弁護人として協力してくださったことについて、米国に潔甚の
│謝意を表したいと考えてゐる。
└──────────

続いて同じ年の12月18日、今度は本間雅晴中将の裁判が始まりました。

本間中将は「バターン死の行進」の責任者として起訴されました。この事件は
1942年(昭和17年)4月の、フィリピン・バターン要塞陥落後、移送中の
7千人の捕虜が飢えとマラリアで死んだ事件です。
┌──────────
│編集部注:本間 雅晴(ほんままさはる)中将
│新潟県佐渡島(畑野町宮川)出身
│1887(明治20)年11月27日生―1946(昭和21)年4月3日没

│1907(明治40)年05月   陸軍士官学校(19期)卒。
│1915(大正4)年12月   陸軍大学校優等卒。
│1918(大正7)年04月   イギリスに派遣。
│1922(大正11)年8月   少佐に昇進→インド駐剳武官→秩父宮付武官→
│イギリス大使館付武官。
│1930(昭和5)年8月   大佐に昇進。1932(昭和7)年7月   陸軍省新聞班長。
│1933(昭和8)年8月   歩兵第1聯隊長。1935(昭和10)年8月   少将に昇進。
│歩兵第32旅団長。1938(昭和13)年7月   中将に昇進   第27師団長。
│1940(昭和15)年12月   台湾軍司令官。1941(昭和16)年11月   第14軍司令官。
│フィリピン攻略戦を指揮。
│1942(昭和17)年8月   予備役編入。

│1946(昭和21)年02月   マニラ軍事法廷で「バターン死の行進」の責任者とし
│て死刑判決を受ける。04月   マニラで銃殺刑。

│△   人名辞典   △
  http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ho/_index.html
└──────────

本間中将の裁判は何もかもが山下裁判の引き写しでした。

本間中将の場合も、残虐行為のどれか一つでも命じたか知っていたことを示す
証拠を検察側はなにひとつ提出できませんでした。それどころか、本間中将は
捕虜移送については国際法を遵守して友好的に扱うよう部下に厳命していたの
です。

実はマッカーサーは、本間中将に対して激しい復讐心を抱いていました。

というのは、彼は本間中将によって、3年前にフィリピンから追い落とされ、
それが彼の軍歴の唯一のキズとなっていたからです。
翌年2月11日、本間中将は銃殺刑と判決されました。

山下、本間裁判は、裁判という名を借りたマッカーサーの私怨を晴らす復讐劇
に過ぎなかったといえます。

軍事裁判で山下の弁護人であった米国人のフランク、リールはこう書いていま
す。「祖国を愛するいかなるアメリカ人も、消しがたく苦痛に満ちた恥ずかし
さなしにはこの裁判記録をよむことは出来ない。我々は不正であり、偽善であ
り..復讐したのであった」

この二つの裁判こそ東京裁判の前哨戦だったのです。

http://srd.yahoo.co.jp/PAGE=P/LOC=P/R=3/*-http://chinachips.fc2web.com/repo1/015033.html
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)