小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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教育

投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/09/04 22:21 投稿番号: [149918 / 232612]
1944年教育法   当時英国は国家存亡を賭けた大戦の真っ最中で、保守・労働党の挙国一致連立内閣でした。
そして戦争遂行に専念するために、チャーチルは国内政策の大半を労働党に任せていたのです。

後のサッチャー首相の嘆きをご紹介します。「チャーチルが率いる保守党が、戦争遂行のための緊急課題に専念するあまり、国内政策のかなりの部分、とりわけ平和のための課題の作成を連立政権内の社会主義者に任せてしまったことも事実だ。」

1944教育政策の内容
1.児童の権利を尊重する人権教育の推進
2.英国帝国主義批判の歴史教育推進
3.教師の自主性を尊重する教育行政の確立

どこかの国の教育方針を思い出しませんか。1番の人権教育しかり、2番の自虐史観教育は言うに及ばず、3番は「ゆとり教育」の英国版とも言えなくありません。

私は、チャーチルが反共であるのを知っていましたから、まさかこの様な自虐的な教育方針が採用されていたとは驚きでした。
そしてこの教育方針こそ英国の衰退を進行させる原因でした。
自分の名前も書けず、いわゆる「九九」も出来ない生徒が社会に出てくるようになるのです。

1988年教育改革法   サッチャーさんは、英国病克服の為に立ち上がるのです。
まずは、根拠となる法律の作成からはじめました。
そして、教育の権限を国に取り戻しました。
さらに親に対しても、自分の子供に対しての教育責任を求め、罰則規定も作りました。
学校間の統一テストも行い、中学卒業時の学力を1900年代には50年代の4.5倍にまで伸ばしました。
そして2001年3月ブレア労働党政権は「英国病」の克服を宣言するまでになるのでした。

また。米国ではレーガン政権の登場により、「強いアメリカ」の復活を願い教育問題に手をつけ始めます。
どこに範を求めたか、なんと日本の教育制度だったのです。

ところが、日本は当時、冷戦の終了ともに油断をしてしまい、日教組の代表を中央の教育審議会の委員にしてしまったりしました。
これは冷戦終結で行き場の無くなった、社会主義者や共産主義者を生き返らせる結果となりました。そして共産・社会主義を教育界から浸透させはじめました。

以後、日本の教育界は、「病的な」ぐらい自虐的・快楽的な方向に進み始めます。まさに「英国病日本版」に突入します。
ここに目をつけたのが、中華秩序帝国の近隣諸国で、これでもかというぐらい、鉄槌をくだし、お金を巻き上げ、自国の歴史を強制する内政干渉をを繰り返し、中には犯罪人まで、熨斗(のし)をつけて輸出し始めるのでした。
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