かつての北朝鮮の農業を取り巻く諸事情③
投稿者: komash0427 投稿日時: 2004/08/12 11:11 投稿番号: [147306 / 232612]
それにもかかわらず、金日成の農業開発への関与は、どこにトウモロコシや米を植えるべきかを決めるというだけに留まらなかった。マルクス・レーニン主義は民間の農場を没収し、集団農場を形成することを求めていた。強制的な集団農場化は、1945年から1953年の間に達成されたが、中国やソ連の集団農場化で何百万人もの死亡者が出たのに比べると、北朝鮮における人命の損失はかなり低かったといえる。北朝鮮の中央政府が強制集団化に反対する人は誰であっても追放したので、その多くは韓国へ移住した。そして500万人がこれを受け入れた。1960年から1970年にかけて、一連の有名なスピーチの中で、金日成は4つの原則に基づく国の農業開発の骨格を発表した。機械化、化学化、灌漑、電化の4つの原則は、レーニンがロシア農業の処方箋として述べたものをそのまま採用したものだった。
こうした運営上の問題に加え、金日成は農業の青山里方式をスピーチの中で提案した。この方法は、金日成が平壌西の小さな集団農場に15日間滞在したとき、農民たちと意見を交換し、マルクス主義的修正を作物の栽培方法に対して加えたもので、その農場の名前にちなんで付けられた。こうした修正はすでに高度に中央集権化された農業慣行システムに、イデオロギー的な側面を加えることになった。朝鮮労働者党中央委員会は正式にこの4つの原則と青山里方式を1964年2月25日に承認したのだった。
1960年代中頃以来、北朝鮮体制は市場の原理に基づく経済的インセンティブとは全く無縁のこうした農業政策を、大まじめに、しかもイデオロギー的な情熱を持って遂行してきたのである。一貫して経済や科学を政治的イデオロギーに従属させてきたことが、取り返しのつかない結果を招いたといえる。平壌の政策は集団農場や国営農場で雇われ、給料をもらう農民プロレタリアート -- -これは都市部の産業プロレタリアートの地方版といってもよい存在だが、 -- -を創出するために設計されていたのだが、これもレーニンのイデオロギー・ハンドブックから引き出してきたもう一つのコンセプトであったといえるだろう。金日成は、自分の土地と家を所有する独立したヨーマン農民たちによる国家というジェファーソンが草案したような国を求めることは、決してしなかったのである。金日成はプロレタリアートの労働者たちが何も所有せずに、永久に土地に縛られながら、工場のような農場で働き続ける国家を夢想していたのである。
機械化、化学化、灌漑、そして電化は全て、現代技術とマルクス主義者によって促進された「科学の力は国家のユートピア的夢を実現することを助けることができるのだ」という揺るぎない信仰によって鼓舞されたものだった。北朝鮮が最も成功したのはこのうちの灌漑だった。しかし1960年代と70年代の北朝鮮における収穫高の増加が、この4つの分野における進歩によるものだったとするならば、それはそのまま1990年代になぜ収穫があれほどまで落ち込んでしまったのかをも説明するものである。1990年代までに、化学肥料、殺虫剤や除草剤の生産に代表される化学化は劇的に衰退した。
(続く)
こうした運営上の問題に加え、金日成は農業の青山里方式をスピーチの中で提案した。この方法は、金日成が平壌西の小さな集団農場に15日間滞在したとき、農民たちと意見を交換し、マルクス主義的修正を作物の栽培方法に対して加えたもので、その農場の名前にちなんで付けられた。こうした修正はすでに高度に中央集権化された農業慣行システムに、イデオロギー的な側面を加えることになった。朝鮮労働者党中央委員会は正式にこの4つの原則と青山里方式を1964年2月25日に承認したのだった。
1960年代中頃以来、北朝鮮体制は市場の原理に基づく経済的インセンティブとは全く無縁のこうした農業政策を、大まじめに、しかもイデオロギー的な情熱を持って遂行してきたのである。一貫して経済や科学を政治的イデオロギーに従属させてきたことが、取り返しのつかない結果を招いたといえる。平壌の政策は集団農場や国営農場で雇われ、給料をもらう農民プロレタリアート -- -これは都市部の産業プロレタリアートの地方版といってもよい存在だが、 -- -を創出するために設計されていたのだが、これもレーニンのイデオロギー・ハンドブックから引き出してきたもう一つのコンセプトであったといえるだろう。金日成は、自分の土地と家を所有する独立したヨーマン農民たちによる国家というジェファーソンが草案したような国を求めることは、決してしなかったのである。金日成はプロレタリアートの労働者たちが何も所有せずに、永久に土地に縛られながら、工場のような農場で働き続ける国家を夢想していたのである。
機械化、化学化、灌漑、そして電化は全て、現代技術とマルクス主義者によって促進された「科学の力は国家のユートピア的夢を実現することを助けることができるのだ」という揺るぎない信仰によって鼓舞されたものだった。北朝鮮が最も成功したのはこのうちの灌漑だった。しかし1960年代と70年代の北朝鮮における収穫高の増加が、この4つの分野における進歩によるものだったとするならば、それはそのまま1990年代になぜ収穫があれほどまで落ち込んでしまったのかをも説明するものである。1990年代までに、化学肥料、殺虫剤や除草剤の生産に代表される化学化は劇的に衰退した。
(続く)
これは メッセージ 147305 (komash0427 さん)への返信です.