>>小泉不人気の原因1
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/07/08 22:13 投稿番号: [142350 / 232612]
>日本人は論より情で行動する傾向が強い民族であるというのが私の持論です。
>その昔60年安保条約改定の騒動。
何かで読んだことがあるのですが、あの時の岸内閣は甚だ不人気で支持率は10%台だったとか。
ただし選挙での国会の議席は別だったようです。
http://homepage1.nifty.com/keimurata/mm/s/data.htm
>*岸信介 <以下、抜粋>
1.山口
1.56代(1957.2.25〜1958.6.10)、自由民主党
2.57代(1958.6.12〜1960.7.15)、自由民主党
3.略歴 佐藤栄作は実弟。農商務省に入り革新官僚のリーダーとして頭角を現す。1939年商工省事務次官、
1941年に商工相、43年に国務相兼軍需省次官として戦時統制経済を推進し、その間に衆議院議員に当
選。戦後A級戦犯として逮捕されるが不起訴となり釈放。追放解除後政界復帰。自由民主党初代幹事
長となり、石橋内閣外相となる。その後組織する。自主憲法制定国民会議会長を務め、タカ派的言動
を貫く。安倍晋三自民党幹事長は孫。
4.出来事
1.第一次
日中民間貿易協定調印(1958.3.5)
2.第二次
貿易自由化始まる(1959.11.11)
貿易・為替自由化計画大綱を作成。当時40%だった自由化率は1963年には92%に、1977年に97%と
なる。
安保阻止第8次統一行動のデモ隊2万人国会構内へ(1959.11.27)
日米相互協力及び安全保障条約調印(1960.1.19)
三池争議始まる(1960.1.25〜)
282日にわたった大争議。石炭産業の斜陽化で、三井鉱山三池工業所が大量の指名解雇を通告した
ことに始まる。労働側の解雇容認で終結する。
日米新安全保障条約自然成立(1960.6.19)
5.辞任理由
1.第一次…衆議院選挙後の総辞職
2.第二次…日米新安保強行採決の責任をとる
まあ随分と昔の話で、衆議院選挙の議席の動向を調べると以下のとおりとなっていました。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/senkyo_sengosyugiingisekihendo.htm
第28回衆議院総選挙(いわゆる「話し合い解散」−岸内閣での総選挙:投票日58年5月)
自民党 287議席 社会党166議席
第29回衆議院総選挙(いわゆる「安保解散」−池田内閣での総選挙:投票日60年11月)
自民党 296議席(△9) 社会党145議席(▲21)
ということで、池田内閣になってから自民党の建て直しもあったのでしょうか、むしろ自民党が議席を伸ばし、「60年安保」は一部の人々の反対だけであったようです。
ところで、池田内閣は所得倍増計画を打ち出し、その後の日本は高成長を達成し、「日米安保」は日本の戦後の発展と現在の日本に大きく寄与したということで、歴史的評価になっているのではないでしょうか。
あの時の民意の多数が「安保反対」ならば、議席はひっくり返っていたと思います。
(まあ当時の世論調査なるものは知りませんが)
当時のマスコミの状況も何も知らないのですが、国民はマスコミの論調とは別のものを選択したのではないでしょうか。
(next→)
>その昔60年安保条約改定の騒動。
何かで読んだことがあるのですが、あの時の岸内閣は甚だ不人気で支持率は10%台だったとか。
ただし選挙での国会の議席は別だったようです。
http://homepage1.nifty.com/keimurata/mm/s/data.htm
>*岸信介 <以下、抜粋>
1.山口
1.56代(1957.2.25〜1958.6.10)、自由民主党
2.57代(1958.6.12〜1960.7.15)、自由民主党
3.略歴 佐藤栄作は実弟。農商務省に入り革新官僚のリーダーとして頭角を現す。1939年商工省事務次官、
1941年に商工相、43年に国務相兼軍需省次官として戦時統制経済を推進し、その間に衆議院議員に当
選。戦後A級戦犯として逮捕されるが不起訴となり釈放。追放解除後政界復帰。自由民主党初代幹事
長となり、石橋内閣外相となる。その後組織する。自主憲法制定国民会議会長を務め、タカ派的言動
を貫く。安倍晋三自民党幹事長は孫。
4.出来事
1.第一次
日中民間貿易協定調印(1958.3.5)
2.第二次
貿易自由化始まる(1959.11.11)
貿易・為替自由化計画大綱を作成。当時40%だった自由化率は1963年には92%に、1977年に97%と
なる。
安保阻止第8次統一行動のデモ隊2万人国会構内へ(1959.11.27)
日米相互協力及び安全保障条約調印(1960.1.19)
三池争議始まる(1960.1.25〜)
282日にわたった大争議。石炭産業の斜陽化で、三井鉱山三池工業所が大量の指名解雇を通告した
ことに始まる。労働側の解雇容認で終結する。
日米新安全保障条約自然成立(1960.6.19)
5.辞任理由
1.第一次…衆議院選挙後の総辞職
2.第二次…日米新安保強行採決の責任をとる
まあ随分と昔の話で、衆議院選挙の議席の動向を調べると以下のとおりとなっていました。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/senkyo_sengosyugiingisekihendo.htm
第28回衆議院総選挙(いわゆる「話し合い解散」−岸内閣での総選挙:投票日58年5月)
自民党 287議席 社会党166議席
第29回衆議院総選挙(いわゆる「安保解散」−池田内閣での総選挙:投票日60年11月)
自民党 296議席(△9) 社会党145議席(▲21)
ということで、池田内閣になってから自民党の建て直しもあったのでしょうか、むしろ自民党が議席を伸ばし、「60年安保」は一部の人々の反対だけであったようです。
ところで、池田内閣は所得倍増計画を打ち出し、その後の日本は高成長を達成し、「日米安保」は日本の戦後の発展と現在の日本に大きく寄与したということで、歴史的評価になっているのではないでしょうか。
あの時の民意の多数が「安保反対」ならば、議席はひっくり返っていたと思います。
(まあ当時の世論調査なるものは知りませんが)
当時のマスコミの状況も何も知らないのですが、国民はマスコミの論調とは別のものを選択したのではないでしょうか。
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これは メッセージ 142193 (komash0427 さん)への返信です.