>>小泉不人気の原因2
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/07/08 22:15 投稿番号: [142351 / 232612]
もう一度
>日本人は論より情で行動する傾向が強い民族であるというのが私の持論です。
>ちょっと唐突で判りにくいかもしれませんが、政治改革論議なんかは論よりは情
で、つまりそのときの世の中の雰囲気が日本人の大きな行動基準になっている
ことの一つの典型なのかな思ったりしています。
これについては否定したくなるのですが、否定する確実な論拠も別の論理も持ち合わせておりません。
ただし、大いに参考になりそうな面白い本があります。
Komash0427さんの「雰囲気」→「空気」を入れ替えればそのまま適応できそうです。
山本七平の「空気の研究」です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167306034/ref=ase_nmpf-22/250-7534361-2343447
http://www.p-b.co.jp/what/result/06/08.html
>我々が何か物事を決めるときの判断基準には2種類ある。ひとつは、「論理的判断の基準」。もうひとつは「空気的判断の基準」である。
後者の「空気的判断の基準」には根拠となるデータや論理的な理由は存在しない。しかし、ある場面で、物事を決定するのは「その場の空気」であることが多い。
しかもこの「空気」という判断基準は昭和期以降に猛威を振るい始めている、と著者は言う。空気が、現実から我々の目を背かせ、後先の考えなしに大きな決定を下させているのである。
著者は、「空気」というものを日本人の発想から探り、さらに、盛り上がった空気を崩壊させる「水」という存在を探求している。そして、「空気の決定」を阻止する唯一の方法は、現実を見つめること、つまり「水を差し続けること」であると説く。
随分以前に読んだのですが、要は「日本人は世間・マスコミ・職場等で、ある有力な論調が出現しそれが支配的になると、ほぼ全員がそれにそまり、それに逆らう人々は除外されるというような傾向と減少です」
この「空気」は確固たる論調を持っているわけでもなく、何となく支配的になるとそれに反対することができなくなり、それが暴走しだすというわけです。
私の職場の少なからず経験でもそういうことがありました。
数年後10−20年後に結論が出てくるのですが、適切だったり間違っていたりします。ただし、当時の選択をあまり良いとか悪いとか評価しないようです。
何故に日本において「空気」とかが支配し、欧米においてないかは「個の確立」の有無ではないかと思っています。
(↑)論理が飛躍していて全く説得力ありません(苦笑)。
この「空気の研究」は諸々の解釈されているようで思いの他、多方面で使われているようです。
この論理を元に以下のHPもあります(笑)。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/5100/kuuki.html
逆に、「反戦・平和・人道」という反対できないキーワードで、「空気」を作りそれを押し付けるのが、戦後のマスコミでしょうか。
ただし、マスコミが盛んに「空気」を作り出しても、世論調査とか選挙の結果は必ずしもそうはならないようで、その時その時で、日本人は自らの行方を“良くも悪くも“選択してきたのではないかと思います。
(ということで、答えになっていない)
(next→)
>日本人は論より情で行動する傾向が強い民族であるというのが私の持論です。
>ちょっと唐突で判りにくいかもしれませんが、政治改革論議なんかは論よりは情
で、つまりそのときの世の中の雰囲気が日本人の大きな行動基準になっている
ことの一つの典型なのかな思ったりしています。
これについては否定したくなるのですが、否定する確実な論拠も別の論理も持ち合わせておりません。
ただし、大いに参考になりそうな面白い本があります。
Komash0427さんの「雰囲気」→「空気」を入れ替えればそのまま適応できそうです。
山本七平の「空気の研究」です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167306034/ref=ase_nmpf-22/250-7534361-2343447
http://www.p-b.co.jp/what/result/06/08.html
>我々が何か物事を決めるときの判断基準には2種類ある。ひとつは、「論理的判断の基準」。もうひとつは「空気的判断の基準」である。
後者の「空気的判断の基準」には根拠となるデータや論理的な理由は存在しない。しかし、ある場面で、物事を決定するのは「その場の空気」であることが多い。
しかもこの「空気」という判断基準は昭和期以降に猛威を振るい始めている、と著者は言う。空気が、現実から我々の目を背かせ、後先の考えなしに大きな決定を下させているのである。
著者は、「空気」というものを日本人の発想から探り、さらに、盛り上がった空気を崩壊させる「水」という存在を探求している。そして、「空気の決定」を阻止する唯一の方法は、現実を見つめること、つまり「水を差し続けること」であると説く。
随分以前に読んだのですが、要は「日本人は世間・マスコミ・職場等で、ある有力な論調が出現しそれが支配的になると、ほぼ全員がそれにそまり、それに逆らう人々は除外されるというような傾向と減少です」
この「空気」は確固たる論調を持っているわけでもなく、何となく支配的になるとそれに反対することができなくなり、それが暴走しだすというわけです。
私の職場の少なからず経験でもそういうことがありました。
数年後10−20年後に結論が出てくるのですが、適切だったり間違っていたりします。ただし、当時の選択をあまり良いとか悪いとか評価しないようです。
何故に日本において「空気」とかが支配し、欧米においてないかは「個の確立」の有無ではないかと思っています。
(↑)論理が飛躍していて全く説得力ありません(苦笑)。
この「空気の研究」は諸々の解釈されているようで思いの他、多方面で使われているようです。
この論理を元に以下のHPもあります(笑)。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/5100/kuuki.html
逆に、「反戦・平和・人道」という反対できないキーワードで、「空気」を作りそれを押し付けるのが、戦後のマスコミでしょうか。
ただし、マスコミが盛んに「空気」を作り出しても、世論調査とか選挙の結果は必ずしもそうはならないようで、その時その時で、日本人は自らの行方を“良くも悪くも“選択してきたのではないかと思います。
(ということで、答えになっていない)
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これは メッセージ 142350 (sofiansky2003 さん)への返信です.