5.幸福の日々
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/06/15 01:09 投稿番号: [138264 / 232612]
昭和6(1931)年12月29日、2度の流産を乗り越えて、男子玖(ク、ただし普段は「きゅう」と呼ばれていた)誕生。垠殿下は方子妃の手をとられ、「ごくろうだったね」とただひとこと。
方子妃はよろこびで涙ぐんだ。
皇室典範は、男子がいないときは王家廃絶をうたっており、朝鮮王統の存立がかかっていたからである。
方子妃は次の歌を詠まれた。
つもりたるととせ(十年)のなやみ今日晴れて高き産声きくぞ嬉しき
必ずいつの日か、朝鮮王国の血を受け継いだこの子に、しっかりと父祖の国の大地に立てる日を迎えさせねばならない。
との悲願を心の底に深く刻みつけた。
昭和10(1935)年、垠殿下は宇都宮第14師団歩兵第59連隊連隊長として赴任、方子妃も玖とともに宇都宮に住む。農家の人達と気軽に話をしたり、スキーに夢中になったりと、しばしの幸福の日々が続いた。
昭和18(1943)年、第一航空軍司令官に任命される。垠殿下は、部下には思いやり深く、上官にはよく尽くし、事にあたって動ずることなく、王者の風格があった。
幼年学校の同期生の一人は「少なくともわれわれ軍人、殊に同期生にとっては、最も親しい敬愛する宮様であって、人質とか異国人とかいった感情は露ほどもなかったのが事実である」と語っている。立派な日本軍人、理想的な日本皇族として、ふるまわれていた。
また人材育成にも心を砕き、日本留学中の朝鮮人留学生のための寮を作り、毎年10万円もの奨学金を下賜されていた。
これは メッセージ 138260 (hangyosyufu さん)への返信です.
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