2.韓国併合
投稿者: hangyosyufu 投稿日時: 2004/06/15 00:58 投稿番号: [138259 / 232612]
皇太子垠は明治40(1907)年、11歳にして日本に留学した。
この2年前に、日露戦争に勝利した日本は、大韓帝国を保護国としていた。
朝鮮半島の不安定が日清、日露両戦役を引き起こしていただけに、英米両国はこの措置を歓迎した。
大韓帝国側から見れば、垠を人質に取られた格好だったが、わが国は朝野をあげて歓迎し、すべて日本皇太子と同等の扱いをした。特に明治天皇、皇后は垠を可愛がられ、よく御所に召されて、贈り物を与えられた。太子大師(皇太子の主任教師) に任命されていた伊藤博文が、「垠のためにならないから」と断っても、両陛下はやめられなかった。
伊藤自身も孫のように垠を慈しみ、安重根に暗殺された後、垠はよく「伊藤公が生きておられたら」と語っていた。
明治42(1909)年7月6日、韓国併合が閣議決定された。アメリカ政府は「むしろ米国のためにこれを歓迎す」とし、イギリス、ロシア、ドイツ、フランス各国政府もこれを了承した。
後の首相・原敬は「今日決行するの必要ありや否や疑はし」と評し、小説家・有島武郎は「この日、朝鮮民族の心情やいかんと涙する」と記している。
これは メッセージ 138257 (hangyosyufu さん)への返信です.
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