きっと会える<大沢さん証言編>(下)
投稿者: aoinomama13 投稿日時: 2004/06/07 17:41 投稿番号: [136466 / 232612]
■一家支える友
「よおっ」。中学時代の少し甲高い、懐かしい大沢孝司さんの声が聞こえた。二〇〇二年十一月二日夜、孝司さんの中学時代の同級生石沢栄子さん(五七)=西蒲巻町=は夢を見た。兄昭一さん(六八)らが立ち上がり、弥彦神社で署名活動をスタートさせる前日のことだ。
署名の日、石沢さんは知人と山に行く予定があった。「天気が悪くて登山に行けなくなったら署名に参加するから」。石沢さんは友人にこう伝えていた。そんなとき、大沢さんが夢に現れた。
にこにこした表情、変わらない髪形。石沢さんは「元気でいるのね」と思い、目が覚めた。外は雨。弥彦神社に出掛け、友人に夢の話を伝えた。「彼は今でも元気にいる」。石沢さんはこの夢を大沢さんからのメッセージだと受け止めている。
□ ■ □
〇三年九月、特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)が大沢さんを「拉致の可能性が濃厚な失踪者」リストに加え、十月には県警が拉致濃厚との見解を示した。これを機に、同級生らが中心となって「大沢孝司さんと再会を果たす会」を設立した。
それまで別々に活動していた中学、高校の同級生、大沢さんの仕事仲間が「一つになって大沢さん家族を支えよう」と声を掛け合い集まった。
そして三月十四日、大沢さんの地元巻町で拉致問題の集会を開催。約千五百人もの人が詰めかけ、会場は熱気に包まれた。
「再会」という会の名。当初は「救出」とする案もあったが、川村保副会長は「地域全体で帰りを待っているよ」との思いから「再会」にこだわった。活動する同級生らは、「よおっ」と言って孝司さんが同級会に現れる日を待っている。
□ ■ □
大沢さんが佐渡で消息を絶って今年で三十年。家族、同級生らが立ち上がったものの、大沢さんに関する北朝鮮での目撃証言や拉致につながる手がかりはない。佐渡市の曽我ひとみさん(四四)が帰国して一年半、同じ佐渡からいなくなったという事実だけが横たわる。
「証言も何もなく、見通しが立たない。いつまで続くのか・・・」。会のメンバーには活動の長期化を不安視する人もいる。川村副会長は「正直、われわれは今、署名活動しかできることはない。未認定だけに歯がゆい思いもある。無力感に襲われないよう、常に動いているしかない」と語る。
だが、大沢さんを知る同級生や県農地事務所の元同僚は「(孝司さんは)元気に生きている気がする」と口をそろえる。
「自分の考えを持ち、ひょうひょうと生きていた」「決してノーと言わず、我慢強く相手の話を聞いていた」という若き日の大沢さんの姿が、友人たちに「北朝鮮での生存」を信じる勇気を与えている。
孝司さんの写真が飾られた巻町の実家。三十年間、孝司さんの帰りを待っている父福一郎さん(九四)は末っ子の身を案じながら、北朝鮮関係の記事が載った新聞や雑誌にくまなく目を通す日々を送る。
「父が元気なうちに孝司を会わせたい」。長男昭一さん、二男茂樹さん(六三)、同級生らの共通の思いだが、時間は無情にも刻々と過ぎていく。
平岡一郎会長はいう。
「何とかしてやりたいと思うだけに、もどかしい。だが、われわれは拉致問題から逃げることはできない。この巻で再会できるよう、地道に訴えていくしかない」
新潟日報 平成一六年五月十三日〜十五日 連載
「よおっ」。中学時代の少し甲高い、懐かしい大沢孝司さんの声が聞こえた。二〇〇二年十一月二日夜、孝司さんの中学時代の同級生石沢栄子さん(五七)=西蒲巻町=は夢を見た。兄昭一さん(六八)らが立ち上がり、弥彦神社で署名活動をスタートさせる前日のことだ。
署名の日、石沢さんは知人と山に行く予定があった。「天気が悪くて登山に行けなくなったら署名に参加するから」。石沢さんは友人にこう伝えていた。そんなとき、大沢さんが夢に現れた。
にこにこした表情、変わらない髪形。石沢さんは「元気でいるのね」と思い、目が覚めた。外は雨。弥彦神社に出掛け、友人に夢の話を伝えた。「彼は今でも元気にいる」。石沢さんはこの夢を大沢さんからのメッセージだと受け止めている。
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〇三年九月、特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)が大沢さんを「拉致の可能性が濃厚な失踪者」リストに加え、十月には県警が拉致濃厚との見解を示した。これを機に、同級生らが中心となって「大沢孝司さんと再会を果たす会」を設立した。
それまで別々に活動していた中学、高校の同級生、大沢さんの仕事仲間が「一つになって大沢さん家族を支えよう」と声を掛け合い集まった。
そして三月十四日、大沢さんの地元巻町で拉致問題の集会を開催。約千五百人もの人が詰めかけ、会場は熱気に包まれた。
「再会」という会の名。当初は「救出」とする案もあったが、川村保副会長は「地域全体で帰りを待っているよ」との思いから「再会」にこだわった。活動する同級生らは、「よおっ」と言って孝司さんが同級会に現れる日を待っている。
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大沢さんが佐渡で消息を絶って今年で三十年。家族、同級生らが立ち上がったものの、大沢さんに関する北朝鮮での目撃証言や拉致につながる手がかりはない。佐渡市の曽我ひとみさん(四四)が帰国して一年半、同じ佐渡からいなくなったという事実だけが横たわる。
「証言も何もなく、見通しが立たない。いつまで続くのか・・・」。会のメンバーには活動の長期化を不安視する人もいる。川村副会長は「正直、われわれは今、署名活動しかできることはない。未認定だけに歯がゆい思いもある。無力感に襲われないよう、常に動いているしかない」と語る。
だが、大沢さんを知る同級生や県農地事務所の元同僚は「(孝司さんは)元気に生きている気がする」と口をそろえる。
「自分の考えを持ち、ひょうひょうと生きていた」「決してノーと言わず、我慢強く相手の話を聞いていた」という若き日の大沢さんの姿が、友人たちに「北朝鮮での生存」を信じる勇気を与えている。
孝司さんの写真が飾られた巻町の実家。三十年間、孝司さんの帰りを待っている父福一郎さん(九四)は末っ子の身を案じながら、北朝鮮関係の記事が載った新聞や雑誌にくまなく目を通す日々を送る。
「父が元気なうちに孝司を会わせたい」。長男昭一さん、二男茂樹さん(六三)、同級生らの共通の思いだが、時間は無情にも刻々と過ぎていく。
平岡一郎会長はいう。
「何とかしてやりたいと思うだけに、もどかしい。だが、われわれは拉致問題から逃げることはできない。この巻で再会できるよう、地道に訴えていくしかない」
新潟日報 平成一六年五月十三日〜十五日 連載
これは メッセージ 136464 (aoinomama13 さん)への返信です.