小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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北朝鮮崩壊の方法−考えると1

投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/05/27 23:45 投稿番号: [132848 / 232612]
以下、かなり回りくどい言い方になりますので申し訳ありません。

東欧の社会主義政権がオセロのように崩壊したのが、89年だったですね。
ソ連は94年だったでしょうか。
ゴルヴァチョフは西側からの「トロイの木馬」とこのトピで言われたのは、east_jungle3 さんでした。

たまたま崩壊した後の東欧にも短期ながら滞在するハメになった者の肌で感じたことを、独断と偏見で報告すると以下のとおり。

その国では、ミュージカル<メリーポピンズ><サウンド・オブ・ミュージック>等が定番になっていた。
英語ではなくて現地語なのでさっぱり分からない。
ミュージカルとはオペレッタが米国で発達してものと理解していたが、これらの作品は社会主義時代からやっていたということで、西側そのものとは言いませんが、メンタリティとして西側と共有していたものがそもそも多かったということを肌で感じました。

漠然と思いますが、欧州に共通するものは「キリスト教」と「ローマ文明」意識でしょう。
キリスト教からでてくるものは、人権意識です(と思っています)。
このような基層文化の上に社会主義をかぶせたが、50年間かぶせても基層の意識文化はゆるぎもしなかった。
(中国も北朝鮮も別文化ですが、実は同じだと思います)
ただし、各国各地域での歴史経験と発展段階みたいなかなり違っていて、それが現在からさらには未来までもが支配しているようです。

例えば、東欧(=旧社会主義圏)は北に行けば行くほど、発展していて南はだめだという。
事実そうなんですが、その理由は、WWⅠ以前までに北の方はパリと並び称せられたウィーンを首都に持つオ―ストリア帝国の支配地であり、南の方はオスマン・トルコに支配された地域の違いが歴然としているからだと思います。
オーストラリア帝国の支配地には蒸気機関車が走り、オスマントルコは牛とかに荷物を付けてイスタンブールまで延々と貢いでいた。
発展の度合いに著しく差がついてしまい、それが社会主義の50年でも修正できず現在までもあるというか、もしかすると更に広がっているかも知れません。

旧ユーゴスラビアにしても、北に位置する旧オーストリア帝国の支配地スロベニア・クロアチアは進んでいたが、オスマントルコの支配地スラビア・コソボ・ボスニアは比較的遅れを取っている(ユーゴスラビアは北半分が南半分を支えてきたと言われています)。
この東欧にあって詳細は知らないですが、冷戦時代は鉄のカーテンがあったと言われていますが、当時身近な人々にちょっと聞いてみましたが、かなりの情報が入ってきていたらしいです。

だいたいこういう話を聞いても、崩壊から10年とは言いませんが数年を経ていたのですが、なかなか曖昧で正確なことを言ってくれないし、人によっては言いたがらない人もいます。

全くの断片的な情報(社会主義時代)
① TVは国内2−3チャンネル+ロシアのTV、映画も同じ。

  (従って、当時当地で話題にもなっていた「タイタニック」なんていうのは、見たものは多いが、「スターウオーズ」の最初のシリーズは封切で見れなかったのだろう)

② 西側の消費物資の方がすぐれていた。ことは概ね知っていた。
どうして知ったかというと西側に行った人から、クチコミで諸々と話が伝わってきたと言います。

③ しかしながら、どうも西側の人々というのは、過酷な労働の下にあるという問題意識が先に立ち、それほど羨ましいとは思っていなかった。

④ それよりも、教育費・医療費が無料であることに充足感を持っていた。

⑤ キリスト教会はあることは知っていたが、何時どのような行事があるのか知らされなかった。
したがって、現在でもそれほどの興味はないし、それに作法もよく知らない。

まあまあ概ね穏やかに暮らしていたというべきか。なにしろ食べ物については全くの心配がなかったですからね。
実際に当時、訪問したある家庭では、ほとんど家具がないような非常に殺風景な居間に、20インチ程度のTVがぽつりでした。
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