「国家の被害」か?「個人の被害」か?
投稿者: tenshinokiseki 投稿日時: 2002/10/23 06:28 投稿番号: [12736 / 232612]
本来、人間は他人のことなんかどーでもいい。
日本国内では、毎年1万人以上が交通事故の犠牲になり
最近では3万人以上が自殺する。
しかし、その犠牲者が自分の知り合いでない限り、
悲嘆にくれるような事はない。
ところが、今回、お決まりの事となっている「マスコミの煽り」も加わって
多くの国民が、「他人のこと」に対し感情的になっている。
ここで大事なことは、今回の拉致事件を「個人の被害」として考えるか?
それとも「国家の被害」として考えるか?という見極めだ。
「個人の被害」として考えるのなら、「個人の意志」を尊重してやるべきである。
しかし、もし「国家の被害」であるのなら、国民全ての将来にかかわる重大事だ。
拉致にあった5人も他の国民も同等の被害者ということになる。
北朝鮮の犯罪を「個人の感情を優先するため」見逃してやった場合、
将来、日本にどんな影響があるか?
他人事なら、国民みんなが「いい子」になって、「個人の意志」を尊重してあげるのも良い。
「いい子」になれるマスターベーションが出来るだけ、得したことになる。
しかし今、北朝鮮に「日本てのは相変わらず甘っちょろい国だな」と再認識させると
将来、日本国民にどういう不利益が生ずるか?
その「甘っちょろさ」が、今後北にどんな決断をさせることになるか?
そこまで、しっかり考えれるべきである。
「国家の被害」であるのならば、5人の受けた被害の解決を優先させるワケにはいかない。
平等に、国民全体が受けている被害の解決と歩調を合わせなければならない。
北が5人を「カード」として使ってきた事は確実だ。
その「カード」に対する、リアクションが大きければ大きいほど、北の「思うつぼ」である。
日本人が情に流される民族であり、大局を読めない民族であることを、北は十分承知している。
その上で「切っていたカード」だから、真っ正面からそのカードを注視するのは愚の愚である。
「5人とその家族」だけの問題ではないのである。
彼らに対する「気の毒な気持ち」を優先させ、今後の国策を先送りにすることは
国民一人一人の思い上がりに他ならない。
他国の侵入者が忍び込んで来て、国民をさらっていく。
そして、その犯人もわかった。
その時、日本がどんな態度を取れば、国家としての威信が保てるか?
「5人の意思を優先させる」ことで無いことだけは確かである。
5人の意思を優先させても、世界は「日本は民主的な国だ」なんて思っちゃくれない。
「相変わらずの腰抜け国家」と思われるだけである。
これは メッセージ 12733 (benim_hocam_turk さん)への返信です.
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