>>社会党の北朝鮮幻想と・・
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/03/01 06:32 投稿番号: [109568 / 232612]
レスありがとうございました。
yayoijin さんの説明良く分かりました(そのつもりです)。
戦後の教育(私が受けたものですが)のことに一律に自虐史観という言い方をしたのはそもそも私の認識不足で、今回の説明でかなりはっきりしましたのでありがとうございます。
戦後の教育を自虐史観という言葉で括るつもりもさらさらありません。
ですから私の先のレスについて、<戦後教育>と言う言葉に置き換えて読まれればそれなりに理解してもらえるのではないかと思います。
私がなぜそのようなことを述べたかというと、先の貴レスmsg.108479の<戦時中に教育教育終了>は<自虐史観>と無関係と言われましたが、しからば<戦後教育>はどうなのかということから始まっています。
しかしながら戦後教育も自虐史観とまた違う認識で説明しているとの認識ですからそれはそれで理解します。
また私は歴史に興味はあっても<自虐史観そのもの>あるいは反対の<作る会>のことにはあまり興味がありまません。藤岡信勝・中西輝政・秦郁彦・渡辺昇一という名は知ってますが、著書は読んでいません。
(ネットで断片的に読む程度です)
(特に最後の人は気分的に大嫌いであります−どうでもよいです)。
西尾幹治は何冊か読んだことがあるのみです。
ということは<史観>は特に持っていないことになるかもしれません。
また、教科書問題になると更に興味がありません。
問題点は、私が先のレスで言いましたように違和感を感じたのは、再掲しますが、以下のところです。
>>ズバリ、拉致の連続発生、解決の困難さは、当時の社会党をはじめとする諸勢力の北朝鮮幻想にその原因があったのです。
私は、この要素は充分に認めておりますし、このことには積極的です。
ただしですね、それだけだとどうしても<拉致問題の解決の困難性>あるかは(別の箇所で述べています)<問題提起の困難性>(この方が言葉として適切でしょう)を説明しきれていないのではないかということです。
このことは、sa_bo_ten2 さんのMsg.108315にあります、以下のくだりに(自虐史観は全く別として)共鳴するものが背景としてあるからです。
>>昨日も書きましたが、日本がこれまで取ってきた海外への(特に近隣3国)対応のまずさと、謝罪外交にあったと思っています。
>>さて、その状態を産んでしまったのは、何故か?
それは戦後教育の中で、歪められた歴史認識、自虐的価値観、加害者意識のすり込みetc...
それらによって国民が、胸を張って日本を誇れない状況が延々続いてきたように思います。
ただし、ここまで言及しますと広がりすぎますので、社会党及び諸勢力に焦点を当ててみたのです。
>朝鮮半島に対する贖罪意識だけであれば、逆に、何故、南(韓国)に対してはあれまで厳しい態度を取ったのでしょう(同じ民族の一部であるのに)。その説明がつきますか?
私は<贖罪意識だけ>とは言っていません。
<北朝鮮幻想>(この場合はイデオロギーと言ったほうが適切なのでしょうね)は十分に認めています。
まあ、北朝鮮の方に政権の正統性があり、それによって統一されるべきと長い間主張してきたことは十分認識しています。
当時の社会党の馬鹿さ加減については数回ここでもレスしております。
社会党の中央執行委員会が韓国を国家として承認したのは、1989年ということが某本にありました。社会党の委員長が初めて訪韓したのはその後だったと思います。
問題は、<北朝鮮幻想>にプラスして<贖罪意識or負い目>があったのではないかということです。
故に拉致問題が明らかになりつつあった時期の金丸訪朝団時でも謝罪はあってもこのことは言えなかったということです。
以下のURLは朝日新聞の金丸訪朝時の社説(90.9.11)ですが<謝罪>のことはあっても、当時拉致問題のことが出ていても全く触れられていません。
結果としてしてもそうなりました。
拉致被害者リウネのことはこの後の事務レベルでやっと日朝交渉の中でやっと公的に出てきたところです。
もっともこのことが交渉決裂の一つの理由になっています。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/contents/00044.htm
http://www.mainichi.co.jp/eye/opinion/11/263.html
>日本が朝鮮半島を植民地にした過去があるから北朝鮮を非難することはできないという論調の意見が散見される。
これは小泉訪朝直後の投書のひとつです。
もちろん物事を一つの要素で理解しようとはさらさらあ\xA4
yayoijin さんの説明良く分かりました(そのつもりです)。
戦後の教育(私が受けたものですが)のことに一律に自虐史観という言い方をしたのはそもそも私の認識不足で、今回の説明でかなりはっきりしましたのでありがとうございます。
戦後の教育を自虐史観という言葉で括るつもりもさらさらありません。
ですから私の先のレスについて、<戦後教育>と言う言葉に置き換えて読まれればそれなりに理解してもらえるのではないかと思います。
私がなぜそのようなことを述べたかというと、先の貴レスmsg.108479の<戦時中に教育教育終了>は<自虐史観>と無関係と言われましたが、しからば<戦後教育>はどうなのかということから始まっています。
しかしながら戦後教育も自虐史観とまた違う認識で説明しているとの認識ですからそれはそれで理解します。
また私は歴史に興味はあっても<自虐史観そのもの>あるいは反対の<作る会>のことにはあまり興味がありまません。藤岡信勝・中西輝政・秦郁彦・渡辺昇一という名は知ってますが、著書は読んでいません。
(ネットで断片的に読む程度です)
(特に最後の人は気分的に大嫌いであります−どうでもよいです)。
西尾幹治は何冊か読んだことがあるのみです。
ということは<史観>は特に持っていないことになるかもしれません。
また、教科書問題になると更に興味がありません。
問題点は、私が先のレスで言いましたように違和感を感じたのは、再掲しますが、以下のところです。
>>ズバリ、拉致の連続発生、解決の困難さは、当時の社会党をはじめとする諸勢力の北朝鮮幻想にその原因があったのです。
私は、この要素は充分に認めておりますし、このことには積極的です。
ただしですね、それだけだとどうしても<拉致問題の解決の困難性>あるかは(別の箇所で述べています)<問題提起の困難性>(この方が言葉として適切でしょう)を説明しきれていないのではないかということです。
このことは、sa_bo_ten2 さんのMsg.108315にあります、以下のくだりに(自虐史観は全く別として)共鳴するものが背景としてあるからです。
>>昨日も書きましたが、日本がこれまで取ってきた海外への(特に近隣3国)対応のまずさと、謝罪外交にあったと思っています。
>>さて、その状態を産んでしまったのは、何故か?
それは戦後教育の中で、歪められた歴史認識、自虐的価値観、加害者意識のすり込みetc...
それらによって国民が、胸を張って日本を誇れない状況が延々続いてきたように思います。
ただし、ここまで言及しますと広がりすぎますので、社会党及び諸勢力に焦点を当ててみたのです。
>朝鮮半島に対する贖罪意識だけであれば、逆に、何故、南(韓国)に対してはあれまで厳しい態度を取ったのでしょう(同じ民族の一部であるのに)。その説明がつきますか?
私は<贖罪意識だけ>とは言っていません。
<北朝鮮幻想>(この場合はイデオロギーと言ったほうが適切なのでしょうね)は十分に認めています。
まあ、北朝鮮の方に政権の正統性があり、それによって統一されるべきと長い間主張してきたことは十分認識しています。
当時の社会党の馬鹿さ加減については数回ここでもレスしております。
社会党の中央執行委員会が韓国を国家として承認したのは、1989年ということが某本にありました。社会党の委員長が初めて訪韓したのはその後だったと思います。
問題は、<北朝鮮幻想>にプラスして<贖罪意識or負い目>があったのではないかということです。
故に拉致問題が明らかになりつつあった時期の金丸訪朝団時でも謝罪はあってもこのことは言えなかったということです。
以下のURLは朝日新聞の金丸訪朝時の社説(90.9.11)ですが<謝罪>のことはあっても、当時拉致問題のことが出ていても全く触れられていません。
結果としてしてもそうなりました。
拉致被害者リウネのことはこの後の事務レベルでやっと日朝交渉の中でやっと公的に出てきたところです。
もっともこのことが交渉決裂の一つの理由になっています。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00997/contents/00044.htm
http://www.mainichi.co.jp/eye/opinion/11/263.html
>日本が朝鮮半島を植民地にした過去があるから北朝鮮を非難することはできないという論調の意見が散見される。
これは小泉訪朝直後の投書のひとつです。
もちろん物事を一つの要素で理解しようとはさらさらあ\xA4
これは メッセージ 109228 (yayoijin_matsuei さん)への返信です.