金容淳死亡と金正日体制の未来⑧
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/01/19 06:47 投稿番号: [102130 / 232612]
昇進人事で軍部を掌握し対南工作を強化
1991年12月24日、金正日が人民軍最高司令官となり、1992年4月21日には元帥の階級となり、彼は名実ともに軍部を完全掌握するようになる。金正日が人民軍最高司令官になって4ケ月後の1992年4月、彼は創軍以来最大規模の将軍級昇進人事を断行した。次師である呉振宇を元帥に、崔光を含む8人が大将から次師に、上将から大将へ16人、中将から上将へ96人、大佐から少将へ524名もが昇進した。
金正日は萬景台区域に巨大な将軍級専用病院を建設し、祝日には将星を大同江区域綾羅招待所に招請して大宴会を催し、軍団長級以上の軍幹部たちには金日成の名前が彫られた銀色の「白頭山拳銃」と、高級皮ベルトなどを与え、武力統一のための軍の団結と、金正日に対する忠誠を誓わせた。
彼は父を意識し、革命第一世代の呉振宇が1995年2月25日に肝臓癌で死亡するときまで、象徴的に人民武力部長の職位に置き、その他の軍部の実勢はすべて金正日の腹心で布陣した。空軍司令官の趙明禄、海軍司令官の金鎰竽、人民武力部副部長の李炳莘、総政治局副局長の李奉遠などが代表的な例だ。後に金鎰竽は人民武力相となり、趙明禄は国防委員会副委員長兼総政治局長となる。金日成死亡後に、金正日は先軍政治で自らの位置を確固とし、自分と軍指導部との関係を擁壁で囲った運命共同体を作ったのである。
彼は、祖国統一の主力はやはり軍隊であると考え、戦争の準備に拍車を加えるのみならず、これと並行して対南工作を強化し、韓国内の革命力量(左翼親北勢力)を構築して、時がくれば自分が統一大統領になるという夢を、軍指揮官らの前で縷々表明した。そこで彼は軍部を掌握したつぎには、対南工作活動を本格的に強化し始めたのだ。
そして1992年12月、これまで空席だった労働党対南事業担当秘書に金容淳を抜擢した。中央党傘下には4つの大きな対南工作機構があり、金容淳は担当秘書のみならず、そのうち最も重要かつ大規模な統一戦線部(略称・統戦部)を直接指揮した。
金正日は対南工作のために、39号室の秘密資金の中から莫大な資金を使って韓国内部と海外僑胞を抱き込み、工作金を与えては親北活動と反米運動を展開するよう、統一戦線部の基本活動指針を直接指示したこともある。韓国でいわゆる海外民主人士と呼ばれる人々の中には、日本やヨーロッパで平壌から派遣された統一戦線部の幹部らと随時、隠密に会っては、工作指令と工作資金を受けとる人々がいる。
北朝鮮の対南工作機構の編成および活動を簡略に説明すると、以下のようになる。
▲人民武力省偵察局=軍事情報の収集分析。韓国後方撹乱のための非正規戦作戦指揮統制。西海交戦のような制限目的の作戦。米軍・韓国軍・日本の自衛隊を対象とした通信諜報の収集分析(以下の4つの機構は労働党の傘下にある)。
▲35号室=以前は対外情報調査部と呼ばれた。対南および国際情勢の情報収集。アウンサン爆破や大韓航空858機爆破のようなテロ工作。要因暗殺・拉致工作を担当。
▲作戦部=労働党傘下のあらゆる対南工作機構の工作員と間諜の教育訓練。金正日政治軍事大学の運営および対南工作戦闘員の養成(金賢姫もここで教育を受けた)。東海岸浸透潜水艦など工作装備の製作、および各種技術支援。南派工作員たちとの無電交信と工作指令。
▲対外連絡部=以前は社会文化部と呼ばれた。対南工作員の派遣および地下党の構築(李善実、金洛中間諜事件もここに属する)とともに、韓国の政界、言論界、労働団体、芸術団体、学生団体、教育機関、教授、学者のあいだに浸透し、緻密に親北・反米・反戦平和活動を展開して背後から操縦する。
▲統一戦線部=略称統戦部、北朝鮮のあらゆる対南宣伝、赤十字会談、南北離散家族問題、スポーツ関係、経済交流、金剛山観光問題、南北高位級会談、長官級会談、はなはだしくは2000年6月南北頂上会談を含むあらゆる形態の南北交流と会談は、統戦部の戦略と企画によって進行される。
高麗連邦制統一を達成するために韓国に間諜を派遣し、韓国内のあらゆる分野と海外僑胞社会に浸透して、親北・反米勢力を確保し工作方向を提示しては、資金を支援する。公開された所属機関には祖国平和統一委員会と汎民連などがあり、対南工作の次元では社会民主党、天道教青友党、朝鮮キリスト教徒連盟、朝鮮仏教徒連盟のような幽霊団体を運営する。
金剛山観光事業で儲けたお金や韓国と国際宗教団体が宣教目的へ北朝鮮に提供する資金は、すべて統戦部が吸収し対南工作費として使用する。アメリカ、カナダなどから訪北する僑胞たちが、北にいる家族に与えてくるお金は全額、党が押収し統戦部が対南工作費として使用する。
1991年12月24日、金正日が人民軍最高司令官となり、1992年4月21日には元帥の階級となり、彼は名実ともに軍部を完全掌握するようになる。金正日が人民軍最高司令官になって4ケ月後の1992年4月、彼は創軍以来最大規模の将軍級昇進人事を断行した。次師である呉振宇を元帥に、崔光を含む8人が大将から次師に、上将から大将へ16人、中将から上将へ96人、大佐から少将へ524名もが昇進した。
金正日は萬景台区域に巨大な将軍級専用病院を建設し、祝日には将星を大同江区域綾羅招待所に招請して大宴会を催し、軍団長級以上の軍幹部たちには金日成の名前が彫られた銀色の「白頭山拳銃」と、高級皮ベルトなどを与え、武力統一のための軍の団結と、金正日に対する忠誠を誓わせた。
彼は父を意識し、革命第一世代の呉振宇が1995年2月25日に肝臓癌で死亡するときまで、象徴的に人民武力部長の職位に置き、その他の軍部の実勢はすべて金正日の腹心で布陣した。空軍司令官の趙明禄、海軍司令官の金鎰竽、人民武力部副部長の李炳莘、総政治局副局長の李奉遠などが代表的な例だ。後に金鎰竽は人民武力相となり、趙明禄は国防委員会副委員長兼総政治局長となる。金日成死亡後に、金正日は先軍政治で自らの位置を確固とし、自分と軍指導部との関係を擁壁で囲った運命共同体を作ったのである。
彼は、祖国統一の主力はやはり軍隊であると考え、戦争の準備に拍車を加えるのみならず、これと並行して対南工作を強化し、韓国内の革命力量(左翼親北勢力)を構築して、時がくれば自分が統一大統領になるという夢を、軍指揮官らの前で縷々表明した。そこで彼は軍部を掌握したつぎには、対南工作活動を本格的に強化し始めたのだ。
そして1992年12月、これまで空席だった労働党対南事業担当秘書に金容淳を抜擢した。中央党傘下には4つの大きな対南工作機構があり、金容淳は担当秘書のみならず、そのうち最も重要かつ大規模な統一戦線部(略称・統戦部)を直接指揮した。
金正日は対南工作のために、39号室の秘密資金の中から莫大な資金を使って韓国内部と海外僑胞を抱き込み、工作金を与えては親北活動と反米運動を展開するよう、統一戦線部の基本活動指針を直接指示したこともある。韓国でいわゆる海外民主人士と呼ばれる人々の中には、日本やヨーロッパで平壌から派遣された統一戦線部の幹部らと随時、隠密に会っては、工作指令と工作資金を受けとる人々がいる。
北朝鮮の対南工作機構の編成および活動を簡略に説明すると、以下のようになる。
▲人民武力省偵察局=軍事情報の収集分析。韓国後方撹乱のための非正規戦作戦指揮統制。西海交戦のような制限目的の作戦。米軍・韓国軍・日本の自衛隊を対象とした通信諜報の収集分析(以下の4つの機構は労働党の傘下にある)。
▲35号室=以前は対外情報調査部と呼ばれた。対南および国際情勢の情報収集。アウンサン爆破や大韓航空858機爆破のようなテロ工作。要因暗殺・拉致工作を担当。
▲作戦部=労働党傘下のあらゆる対南工作機構の工作員と間諜の教育訓練。金正日政治軍事大学の運営および対南工作戦闘員の養成(金賢姫もここで教育を受けた)。東海岸浸透潜水艦など工作装備の製作、および各種技術支援。南派工作員たちとの無電交信と工作指令。
▲対外連絡部=以前は社会文化部と呼ばれた。対南工作員の派遣および地下党の構築(李善実、金洛中間諜事件もここに属する)とともに、韓国の政界、言論界、労働団体、芸術団体、学生団体、教育機関、教授、学者のあいだに浸透し、緻密に親北・反米・反戦平和活動を展開して背後から操縦する。
▲統一戦線部=略称統戦部、北朝鮮のあらゆる対南宣伝、赤十字会談、南北離散家族問題、スポーツ関係、経済交流、金剛山観光問題、南北高位級会談、長官級会談、はなはだしくは2000年6月南北頂上会談を含むあらゆる形態の南北交流と会談は、統戦部の戦略と企画によって進行される。
高麗連邦制統一を達成するために韓国に間諜を派遣し、韓国内のあらゆる分野と海外僑胞社会に浸透して、親北・反米勢力を確保し工作方向を提示しては、資金を支援する。公開された所属機関には祖国平和統一委員会と汎民連などがあり、対南工作の次元では社会民主党、天道教青友党、朝鮮キリスト教徒連盟、朝鮮仏教徒連盟のような幽霊団体を運営する。
金剛山観光事業で儲けたお金や韓国と国際宗教団体が宣教目的へ北朝鮮に提供する資金は、すべて統戦部が吸収し対南工作費として使用する。アメリカ、カナダなどから訪北する僑胞たちが、北にいる家族に与えてくるお金は全額、党が押収し統戦部が対南工作費として使用する。
これは メッセージ 102129 (sofiansky2003 さん)への返信です.