小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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金容淳死亡と金正日体制の未来④

投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/01/19 06:15 投稿番号: [102125 / 232612]
金容淳が「金正日反対」勢力の遮断に功労

1994年7月25日平壌で開くことに予定された南北頂上会談に金正日と軍部が反対して、南北統一はひたすら戦争や革命的方法で達成しなければならないと主張したのに対し、金日成は北朝鮮の厳しい経済を生き延びさせるために、韓国との経済交流を力点とする交渉戦略を絞っていたという。

金日成は、彼が平素から人民に約束していたとおり、1995年は最小限の統一の基礎を固める年と決め、ソウルを訪問して「南朝鮮人民が偉大な金日成同志を歓迎する」という幻想に染まっていた。自らの交渉戦略を息子・金正日と軍部に説得し、金泳三大統領との対談を成功裡に誘導するため、香山(妙香山)休養所で党と国家の主要幹部らと何日もの間、昼夜にわたり討議したのだが、過労で1994年7月8日に浴場にて心臓麻痺で倒れた。平壌に直ちに連絡し、ヘリコプター二機で医療陣が出動したのだが、そのとき、たまたま風が強く気象が険悪であったため到着がかなり遅れて、金日成は彼らが到着する前に息をひきとったという。

韓国では一部の専門家たちがその当時の状況を分析し、親子間で南北頂上会談に対する合意が得られず、金日成が一方的に強行しようとしたために息子が技術的に父を殺害したことではないか、との疑惑を提起したのだが、まったく根拠のない主張である。

そのとき、休養所で一緒にいた後妻・金聖愛とウィーンにいる娘・金敬珍の国際電話を某機関が捕捉したのだが、平壌とヨーロッパ各地との国際電話は平壌〜モスクワ間は通信衛星で中継され、モスクワから他の国までは有線で中継される。通話内容を分析すれば、上に言及した事実のほかに疑惑を提起する如何なる端緒もない。

金日成の死亡後、金正日が平素から予見したように異母兄弟の金平日が「越えなければならない山」として接近した。党政治局の一部で、後継者として性格がきつく傲慢不遜な金正日よりは、人間性も円満で外貌も優れた金平日を擁立しようという主張があり、特に中央党では金正日拒否の雰囲気が芽生え始めると、そうした雰囲気を積極的に封じた人物が金容淳である。金正日はあわててすばやく軍部と手を結び、党の勢力を制圧する価値のある先軍政治の構図をはじめた。金日成死亡後、金正日と金容淳が密着した理由もこのためである。
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