金容淳死亡と金正日体制の未来③
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/01/19 06:14 投稿番号: [102124 / 232612]
金正日、後継者になった後に幹部らを粛清
地球上で最も権力闘争が熾烈な場所は北朝鮮である。ソ連の手先である偽物の金日成が北朝鮮にやって来て、本物の金日成の役割を果たすため、彼の抗日闘争史を虚偽捏造して、自らの一人独裁体制を構築するために数多くの人々を殺し、延安派・ソ連派・甲山派などを反党分派として追い込み粛清した。
その息子、金正日も権力世襲に反対する数多くの幹部を殺し、政治犯収容所に送って粛清した。金正日は1974年2月、党第5期8次全員会議で党政治委員会委員として抜擢され、金日成の後継者として党の公認を得た後でも常に不安を感じ、自分の前の「越えるべき大きい山」と見なされる人々を常時警戒して生きていた。
このうち、世襲反対の理由で政治犯収容所へ送られた高級幹部は、1975年9月には政治局候補委員ユ・ジャンシク、1977年10月の副主席・金ドンギュ、1982年1月には国家保衛部部長金ビョンハと副総理金ギョンヨン、1986年2月の副総理・洪成龍、1988年12月の内閣総理・李根模らであり、父・金日成の篤い信任と特別な保護のゆえにどうすることもできない脅迫となる存在は、まず一番に異母兄弟である金平日であり、次は南一と呉振宇らであった。
金正日は公式の後継者になってから、「党中央」という呼称で呼ばれはじめ、北朝鮮労働党の全権を掌握し、金日成は外国の国家元首や外交使節と面会する程度の業務にのみ、表面に現れた。
このときから護衛司令部が改編され、第1総局は金日成担当護衛業務を、第2総局は金正日担当護衛業務を取扱うようになったのだが、第2総局の隊員たちは服装、給食などあらゆる待遇が第1総局の隊員たちより格段に良く、外に出れば第1総局の隊員たちは第2総局の隊員たちに殴られていたという。
その後、金正日は金日成が死亡するときまで金日成の執務室や私邸の電話を盗聴し、金日成の動静を逐一把握しては干渉し、そのやり方が行き過ぎて、一時は金日成が息子に権力世襲したことを後悔したこともあるという。
これは メッセージ 102123 (sofiansky2003 さん)への返信です.
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