小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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金容淳死亡と金正日体制の未来②

投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2004/01/19 06:13 投稿番号: [102123 / 232612]
黄長菀、金容淳との葛藤の中で脱北

金容淳は歌を上手に歌い、踊りも上手く、酒をよく飲む社交的な人物であり、性格も円満で親切であり、対人関係にて非常に有能な人であった。私生活では金正日と息がぴったり合う人物であり、喜び組のパーティーにはほとんど毎回出席する得意客であった。金正日と酒の席をともにする人々のなかで最強の酒豪を選ぶなら張成沢、金容淳、桂応泰、金基南などがいるものの、踊りと歌では、誰も金容淳には適わなかった。

公務にあっても金正日の気持ちを的確に言葉にする金容淳を、幹部たちのなかには嫉妬する人々もいて、ひどい場合には彼を「お世辞屋」と呼ぶこともあった。特に黄長菀と金容淳は11歳の年齢差があるのだが、二人ともモスクワ留学出身であり、党の国際担当秘書と最高人民会議外交委員長職を経た、一種のライバル意識を持っていた。

学者風の黄長菀は金容淳を乱暴で生意気な人間と扱い、金容淳は黄長菀を高慢で融通の利かない老人と考えた。金容淳は体質的に奔放であり、多くの艶聞をまき散らした人物だ。金正日の妹・金敬姫と夫の張成沢の間は永らく夫妻関係が円満ではなく、離婚直前まで行ったこともある。だが金容淳は金敬姫と隠密な関係を結んで過ごし、その事実を知った黄長菀は金日成に告げ、金容淳を叱責して謹慎に処した。

この事件が黄長菀の運命を変える契機となった。このことで恨みを抱いた金容淳と金敬姫は、黄長菀の足をすくう機会を狙っていたのだが、あまりに潔癖で隙がない黄長菀には、倒すべき弱点が見あたらなかったのだ。やがて1994年7月8日に金日成が死亡すると、黄長菀は自分を信任した金日成がいない北朝鮮を空虚に、また金正日の統治スタイルと北朝鮮の悲惨な現実に幻滅を感じ始めた。疎外感を持った黄長菀は、主体思想の暢達と伝播に専念するよう努力するうち、モスクワ主体思想講演会に行き心血を注いだ討論と講演により、多くの教授、学者、学生たちから拍手喝采を受け、偉大な主体思想学者として賞賛された。

この事実を把握した金容淳は、金敬姫と合わせて金正日に黄長菀を去勢するよう建議した。金正日は『主体思想は偉大な首領、金日成同志が唱えた哲学であり統治理論であって、なぜ黄長菀の学説になってしまうのか。黄長菀は一学者として、われわれの父の哲学を理論的に整理した人間にすぎない。彼は偉大な首領を冒涜し、その方の名誉を横取りした反逆者だ』としながら、黄長菀を非難しはじめ、彼を粛清するためにより決定的な弱点をねらっていた。その最中、黄長菀は危機感を抱いて韓国に亡命することを決心し、1997年2月12日、その決心を決行したのである。
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