ポーランド民主化運動>左翼こそ弾圧の
投稿者: xyzhaya2gou 投稿日時: 2007/06/13 07:14 投稿番号: [35977 / 52541]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%8C%96%E9%81%8B%E5%8B%95
<一部のみ抜粋>
ポーランド民主化運動
民主化の背景
1980年からはレフ・ワレサ率いる独立自主管理労働組合「連帯」が活動を活発化しており、翌1981年「連帯」を非合法化。1983年に戒厳令が解除されたばかりであった。しかし非合法とされながらも「連帯」は以降も活動を続け、彼らを中心とした勢力は依然として国内改革と民主化を要求し、
ポーランド共産党による政権を揺るがし続けた。
民主化の推移
ポーランドでの民主化を模索する動きは先ず1981年に非合法化された「連帯」を合法化する所から始まった。さらに1989年の2月からはポーランド統一労働者党政権と「連帯」をはじめとする民主化勢力との間で話し合いが行われ、両者の間で自由選挙の実施をすることで合意がなされた。この合意は6月に実行に移された。東欧では先頭を切って自由選挙が実施され、ワレサ率いる「連帯」が圧勝した。新政権として民主化を求める非労働党勢力が主導権を握りつつも、労働党勢力を政権に取り入れる連立政権が発足し、ヤルゼルスキが暫定的な大統領に就任。首相以下閣僚に「連帯」などの非労働党勢力出身の人物を任命して、新生ポーランドがスタートした。
新政権は、ポーランド統一労働者党に極めて有利であった憲法を改正・
ポーランド人民共和国からポーランド共和国へ国名を改正・
国民の直接選挙による大統領選挙の導入などを決定。この結果を受けた1990年、国民の直接選挙によって選ばれた初めての大統領で「連帯」のワレサが当選。政権の完全委譲が果たされた。
ポーランド民主化運動の影響
ポーランドは旧東欧諸国の中で初めて「複数政党制」による自由選挙を実施した。
のちのベルリンの壁崩壊の影に隠れてしまったが、当時としてはきわめて画期的な出来事であり、東欧が変わり始めた兆しとして世界中の耳目を集めた。
当然ではあるが、こうした兆候が隣接する東ドイツへ波及していったことを否定することは出来ない。
これは メッセージ 35972 (yamasakura6522 さん)への返信です.
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