チェコのビロード革命>左翼こそ弾圧の
投稿者: xyzhaya2gou 投稿日時: 2007/06/13 07:29 投稿番号: [35978 / 52541]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E9%9D%A9%E5%91%BD
<以下、一部のみ抜粋>
ビロード革命
ビロード革命(ビロードかくめい、Sametová revoluce)とは1989年11月に起こったチェコスロバキア(当時)における、
共産党体制崩壊をもたらした民主化革命のこと。
この革命では後のルーマニア革命のように大きな流血に至る事態は起こらなかった。そのためこの革命を軽く柔らかなビロード(ベルベット)の生地に喩えて「ビロード革命」と言う。
前史
1968年に起こった改革運動、いわゆる「プラハの春」が
ワルシャワ条約機構の軍事介入で潰された
経験をもつチェコスロバキアでは1969年以降、グスターフ・フサークの下で「正常化」路線が進められてきた。
しかし国内には共産党政権に対する不満、民主化を求める集団が、無視できない政治集団として存在していた。
プラハの春以降地下に潜った反体制的知識人や、1977年に憲章77を発表した知識人のグループである。1988年以前からフサークの運営する政府に対する不満は高まり、
最早チェコスロバキア共産党単独で政権を維持することが不可能である事は、日に日に明らかになっていった。
経緯
チェコスロバキアでの民主化を求めるデモは、ベルリンの壁崩壊以前から頻発しており既にプラハの春の時と同じくらいの規模のデモも起こっていた。
さらに壁が崩壊するとこの動きは加速され、1989年11月17日からは10万人単位でのデモが毎日のように行われた。1週間後の11月24日には党第一書記のヤケシュが退任。
その後、共産党による一党独裁を廃止する事によって収拾が図られた。
複数政党制による選挙では、「憲章77」起草の中心人物である劇作家のヴァーツラフ・ハヴェルらが率いる「市民フォーラム」が勝利を収め(スロヴァキアでは同系統の「暴力に反対する公衆」が第一党となった)、プラハの春の結果失脚した元党第一書記のアレクサンデル・ドゥプチェクが連邦会議議長、ハヴェルが大統領に就任し12月には非共産党系による新政権が発足した。
チェコスロバキアでは、ここに至るまで流血の事態は避けられ、比較的穏便に政権交代がなされた。
この結果、チェコスロバキアにおける民主化要求の運動は「ビロード革命」と言うありがたい名前を頂戴することが出来た。
これは メッセージ 35977 (xyzhaya2gou さん)への返信です.
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