明治型日本人
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2008/02/16 22:54 投稿番号: [62 / 402]
「行こかメリケン、戻ろかジャパン」に描かれた「元年者」以来のハワイ移民の100年、その間に現れる日本人はとても元気が良い。
最初の明治元年者の渡航を許可したのが徳川幕府だし、その後の明治新政府斡旋移民も、260余年続いた江戸時代を引きずる人たちだった。大政奉還という日本史の大節目に位置した彼らは、しかし将軍様と天子様の変換に情実が乱れるということもない。
『葵じゃなくて菊に傅け』といわれても反発する庶民はいなかったし、つまりどっちでも良いのである。そのかわり、決まったことには誠をささげる。
日本人の性として、縁あって『お上』が定まれば、そこに『一所懸命』を尽くし、究極には楠正成や赤穂浪士の生き様を良しとする『臣民』にまで昇華させる。将軍さまであろうと天子様であろうと所詮は自らが属するものの象徴にすぎない。
そういう風に考えないと在アメリカにおける日系1世と2世以降の意識の断絶が説明できないだ。
両者は、『忠義』の主体が日本とアメリカ、故国と敵国に判然と分かれるのである。
「日清戦争以降、大日本帝国が行った「日露戦争」、朝鮮併合、さらに「満州事変」を経て「支那事変」から「大東亜戦争」にいたる堂々の進撃は、ハワイの日本人にも敏感に影響し、また反応し、『帝国勝利』のたびに他人種に対し胸を張ることになるのだが、その代償は、疑惑と不信と排斥であった。
日系アメリカ市民を含む『日本人』全体には、その背後に『大日本帝国』がひかえており、陰で糸をひいているという猜疑心が強かった。
1920年の合衆国上院移民委員とハワイ代表の秘密会談で議長は、『選挙では、将来日本人より、中国人がもっと危険性がないのか?』と質問した。これに対しハワイ知事は、『中国人投票者は、決して中国を思わないで、米国のみを思う。中国人の背後には何者もいない。彼らはれっきとした米国市民であり、米国以外何も念頭にない』と、日本人と対比させて答えている。
そしてこれは、何もハワイ知事だけの独自の観察ではなく、当時のハワイ、アメリカにおける支配層の考えでもあった。
彼らからすれば二世への日本人学校教育も、仏教布教も、二重国籍が多いことも、すべて二世以下を永久に『日本人』として引きとどめ、『大日本帝国』の外国における「よき臣民」にさせるための機関ないし手段であるという解釈をしていた。そして、日本語新聞や日本語雑誌は、『大日本帝国』の代弁者であり、指導者であると見なした。
茶番ものの解釈ではあるが、実際にとった行動を覚めた目で観察すれば、偏見が生じるのも、むべ、なるかなと思わざるを得ないところもある。すなわち日本領事館が『在留日本人』の出生・死亡届を受付け、徴兵猶予願いを扱い、『国勢調査』をしたことは、とくに魂胆があると思われた。
当局者は、日本国籍所持者に対する義務づけられた事務に過ぎないと懸命になって弁明した。だが、弁明すればするほど疑惑は深まった。
領事館がリーダーシップをとって、天皇誕生日や正月をはじめ、あらゆる主なパーティには日の丸と『御真影』が登場し、『天皇陛下万歳』とあらゆる「万歳」が叫ばれ、『遥拝式』が行われ、さらに、領事館と密接な連繋をとりつつ、艦首に『菊の御紋章』の「帝国海軍」の練習艦隊が『国威を発揚』させながら訪問し、『在留日本人』はそのたびに熱狂するのだから、その間には、必ずや密接な関係があると思うわけである。
さらに日中戦争が始まると、その『聖戦』ぶりを日本語新聞、雑誌はボルテージを上げて報道し、『在留邦人』の『愛国心』と『忠誠心』を煽った。彼らはこぞって将兵慰問団を組織し、慰問品、慰問文を発送し、満州開拓団を計画した。さらに「恤兵献金」『事変献金』を日本語新聞社や領事館を通じて送り、そのうえに『愛国公債』にも呼びかけに対して応募し始めたが、これは、1939年合衆国裁判所から禁止された。
そもそもハワイにおける日本人移民に対する排斥は、むしろ経済的・物質的な面ではなく、風俗習慣、宗教、文化、生活態度、そして天皇信仰、軍人至上主義に対する疑惑で、いわば精神的なものに根拠をおくものであり、それは執拗で永続的なものであった。移民初期の頃に対する非難は、『アメリカに同化せず、喧嘩早い。頑固で短気。生活状態が悪い。公徳心が低く、風紀が悪い』
またのちには、『出生率が高い、祖国愛が異常に強い、強調心欠如、アメリカへの忠誠心が疑わしい、二重国籍者』などが主な非難点となる。
最初の明治元年者の渡航を許可したのが徳川幕府だし、その後の明治新政府斡旋移民も、260余年続いた江戸時代を引きずる人たちだった。大政奉還という日本史の大節目に位置した彼らは、しかし将軍様と天子様の変換に情実が乱れるということもない。
『葵じゃなくて菊に傅け』といわれても反発する庶民はいなかったし、つまりどっちでも良いのである。そのかわり、決まったことには誠をささげる。
日本人の性として、縁あって『お上』が定まれば、そこに『一所懸命』を尽くし、究極には楠正成や赤穂浪士の生き様を良しとする『臣民』にまで昇華させる。将軍さまであろうと天子様であろうと所詮は自らが属するものの象徴にすぎない。
そういう風に考えないと在アメリカにおける日系1世と2世以降の意識の断絶が説明できないだ。
両者は、『忠義』の主体が日本とアメリカ、故国と敵国に判然と分かれるのである。
「日清戦争以降、大日本帝国が行った「日露戦争」、朝鮮併合、さらに「満州事変」を経て「支那事変」から「大東亜戦争」にいたる堂々の進撃は、ハワイの日本人にも敏感に影響し、また反応し、『帝国勝利』のたびに他人種に対し胸を張ることになるのだが、その代償は、疑惑と不信と排斥であった。
日系アメリカ市民を含む『日本人』全体には、その背後に『大日本帝国』がひかえており、陰で糸をひいているという猜疑心が強かった。
1920年の合衆国上院移民委員とハワイ代表の秘密会談で議長は、『選挙では、将来日本人より、中国人がもっと危険性がないのか?』と質問した。これに対しハワイ知事は、『中国人投票者は、決して中国を思わないで、米国のみを思う。中国人の背後には何者もいない。彼らはれっきとした米国市民であり、米国以外何も念頭にない』と、日本人と対比させて答えている。
そしてこれは、何もハワイ知事だけの独自の観察ではなく、当時のハワイ、アメリカにおける支配層の考えでもあった。
彼らからすれば二世への日本人学校教育も、仏教布教も、二重国籍が多いことも、すべて二世以下を永久に『日本人』として引きとどめ、『大日本帝国』の外国における「よき臣民」にさせるための機関ないし手段であるという解釈をしていた。そして、日本語新聞や日本語雑誌は、『大日本帝国』の代弁者であり、指導者であると見なした。
茶番ものの解釈ではあるが、実際にとった行動を覚めた目で観察すれば、偏見が生じるのも、むべ、なるかなと思わざるを得ないところもある。すなわち日本領事館が『在留日本人』の出生・死亡届を受付け、徴兵猶予願いを扱い、『国勢調査』をしたことは、とくに魂胆があると思われた。
当局者は、日本国籍所持者に対する義務づけられた事務に過ぎないと懸命になって弁明した。だが、弁明すればするほど疑惑は深まった。
領事館がリーダーシップをとって、天皇誕生日や正月をはじめ、あらゆる主なパーティには日の丸と『御真影』が登場し、『天皇陛下万歳』とあらゆる「万歳」が叫ばれ、『遥拝式』が行われ、さらに、領事館と密接な連繋をとりつつ、艦首に『菊の御紋章』の「帝国海軍」の練習艦隊が『国威を発揚』させながら訪問し、『在留日本人』はそのたびに熱狂するのだから、その間には、必ずや密接な関係があると思うわけである。
さらに日中戦争が始まると、その『聖戦』ぶりを日本語新聞、雑誌はボルテージを上げて報道し、『在留邦人』の『愛国心』と『忠誠心』を煽った。彼らはこぞって将兵慰問団を組織し、慰問品、慰問文を発送し、満州開拓団を計画した。さらに「恤兵献金」『事変献金』を日本語新聞社や領事館を通じて送り、そのうえに『愛国公債』にも呼びかけに対して応募し始めたが、これは、1939年合衆国裁判所から禁止された。
そもそもハワイにおける日本人移民に対する排斥は、むしろ経済的・物質的な面ではなく、風俗習慣、宗教、文化、生活態度、そして天皇信仰、軍人至上主義に対する疑惑で、いわば精神的なものに根拠をおくものであり、それは執拗で永続的なものであった。移民初期の頃に対する非難は、『アメリカに同化せず、喧嘩早い。頑固で短気。生活状態が悪い。公徳心が低く、風紀が悪い』
またのちには、『出生率が高い、祖国愛が異常に強い、強調心欠如、アメリカへの忠誠心が疑わしい、二重国籍者』などが主な非難点となる。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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