悪の華
投稿者: hendazo04 投稿日時: 2007/12/22 09:20 投稿番号: [16 / 402]
軍の駐留するところで兵隊の不祥事は国の内外を問わず発生する。
戦士には休息が必要である。そして、その場所には酒と女とギャンブルが付き物だ。
焼き払いの後、「新たな大規模な売春屈が市外パイナップル缶詰工場付近の一画に現出した。
当時オアフ島には約8000人のアメリカ兵士が駐留しており、この兵隊たちへの必要的罪悪として売笑婦たちを市内各地に散在させることは、風紀上および教育上好ましくないので、一ヶ所に集中すべきだともっともらしい口実の元に、日本人の増田知次郎が一部のアメリカ人と組み、当局を説得して、‘合法的に‘設立したのである。」
当時の新聞、雑誌に、
「‘新醜業婦街‘ 遊郭の現況
同所はエワ側にあり、高塀に囲まれし五棟よりなる。その部屋の数二百二十五室、現在醜業婦の数百四十七人の内百三十五人は日本人にして、皆政府に登録せられしものなり、同所内の万事は警察と衛生局の監督の下に行われ、よく行き届くなり。
醜業は今この一区域に限られ各所に散在するの不体裁は止みたり。
警察および他の官庁が賄賂を請求し、また受け取りおれりなどの説あれど、その証拠得がたし。」
「醜業婦取り扱い
寡婦或いは処女(十六才以上)の、他に寄るべきなく衣食住に窮するものは、その理由を政府に具陳して娼婦となるの鑑札を請う。
政府は医師をして身体検査を行わしめ、娼婦として差し支えなきや否やを確かめ、しかる後にこれに鑑札を付して開業せしむるなり。
而して別に徴税なし。」
「焼き払いにあった中華街花街の小屋は表口一間、奥行き2間ほどで、表の一方にハ璃窓があった。娼婦はホーロク姿か和服に束髪で、厚化粧して客を待つ。
客はハ璃窓から中をうかがい、己の好みにあえば玉代をたずねた後に入室する。
商売は、毎夕七時ころから十一時までで、玉代は{並等}が50セント、「上等」は1ドル。
娼婦たちは1夕20ドルから50ドルをかせいだ。その内毎日50セントを「倶楽部」(やくざ組織)に税金のように納入した。
また、女たちのほとんどは亭主もちであり、その亭主は「倶楽部」の会員であった。」
「これらの倶楽部は、例えば日清戦争祝勝会や天長節などの国粋的な行事には格好づけ、権威付けに参加協力したが、本業は売笑婦のヒモで無頼の徒の集団だった。彼らは賭博、喧嘩、人身売買、さらには脅迫、ゆすりもやった。」
「彼らは人の弱みに付け込んで強請りもし、もし手向かいすれば、たちまち得たりとばかりに殴る、蹴るの暴行に及んだ。そして彼らに不利な事態になれば、直ちに警察にはせ参じ、使い慣れたブロークン・イングリッシュで事実を曲げて自分たちに有利に吹聴報告し、裏からは金銭で警吏を買収した。」
倶楽部は芸者組合も作った。巻頭写真に、10人の芸者が横一線に並んだ記念写真がある。1899年とあるから、焼き払われる直前のものだ。
もとより白黒で不鮮明な写真だが、ループでよくみると彼女らは10代から30代で、それぞれ帯び下に派手な模様をあしらった着物を着ている。全員髪を盛り上げ後ろで束ねているみたいだが、正面から見ると髷のようにも見える。暑苦しいが皆美形だ。
「ホノルルには、日本人芸者が二十余名いて、彼女たちの1ヶ月の収入は七,八十ドルから百ドルで、客に招かれた際は、通常一席二時間で二㌦の席料をとった。芸妓たちの年齢は二十才以下が多く、一夕にして客の散財額は百ドル、最低額は十ドル内外であった。
ホノルル芸者の奇習の一つは、毎年一月一日には数名が三味線をたずさえて馬車を駆り、「お得意様」宅の門に至り、「万歳!」を三唱することである。」
どうしてこんな「奇習」が生まれたんだろ。
移民の国アメリカでは、さまざまな出身地のコミュニティでギャング組織が形作られた。
移民ギャングの代表はなんと言ってもイタリアマフィアだろう。彼らが登場する映画は100を超える。
そんな中「ワンス アポン ア タイム イン アメリカ」というユダヤギャングの創成期を描いた傑作があった。(R・デニーロ、J・ウッズ)
また、「イヤー オブ ザ ドラゴン」というマイケル・チミノ監督のこれも傑作がある。主題はチャイニーズマフィアだ。(M・ローク、J・ローン)
いずれも上位ギャングとしてイタリアンマフィアがあり、その確執が興味深い。
「ギャング オブ ニューヨーク」はWASPとアイリッシュの対決だった。
戦士には休息が必要である。そして、その場所には酒と女とギャンブルが付き物だ。
焼き払いの後、「新たな大規模な売春屈が市外パイナップル缶詰工場付近の一画に現出した。
当時オアフ島には約8000人のアメリカ兵士が駐留しており、この兵隊たちへの必要的罪悪として売笑婦たちを市内各地に散在させることは、風紀上および教育上好ましくないので、一ヶ所に集中すべきだともっともらしい口実の元に、日本人の増田知次郎が一部のアメリカ人と組み、当局を説得して、‘合法的に‘設立したのである。」
当時の新聞、雑誌に、
「‘新醜業婦街‘ 遊郭の現況
同所はエワ側にあり、高塀に囲まれし五棟よりなる。その部屋の数二百二十五室、現在醜業婦の数百四十七人の内百三十五人は日本人にして、皆政府に登録せられしものなり、同所内の万事は警察と衛生局の監督の下に行われ、よく行き届くなり。
醜業は今この一区域に限られ各所に散在するの不体裁は止みたり。
警察および他の官庁が賄賂を請求し、また受け取りおれりなどの説あれど、その証拠得がたし。」
「醜業婦取り扱い
寡婦或いは処女(十六才以上)の、他に寄るべきなく衣食住に窮するものは、その理由を政府に具陳して娼婦となるの鑑札を請う。
政府は医師をして身体検査を行わしめ、娼婦として差し支えなきや否やを確かめ、しかる後にこれに鑑札を付して開業せしむるなり。
而して別に徴税なし。」
「焼き払いにあった中華街花街の小屋は表口一間、奥行き2間ほどで、表の一方にハ璃窓があった。娼婦はホーロク姿か和服に束髪で、厚化粧して客を待つ。
客はハ璃窓から中をうかがい、己の好みにあえば玉代をたずねた後に入室する。
商売は、毎夕七時ころから十一時までで、玉代は{並等}が50セント、「上等」は1ドル。
娼婦たちは1夕20ドルから50ドルをかせいだ。その内毎日50セントを「倶楽部」(やくざ組織)に税金のように納入した。
また、女たちのほとんどは亭主もちであり、その亭主は「倶楽部」の会員であった。」
「これらの倶楽部は、例えば日清戦争祝勝会や天長節などの国粋的な行事には格好づけ、権威付けに参加協力したが、本業は売笑婦のヒモで無頼の徒の集団だった。彼らは賭博、喧嘩、人身売買、さらには脅迫、ゆすりもやった。」
「彼らは人の弱みに付け込んで強請りもし、もし手向かいすれば、たちまち得たりとばかりに殴る、蹴るの暴行に及んだ。そして彼らに不利な事態になれば、直ちに警察にはせ参じ、使い慣れたブロークン・イングリッシュで事実を曲げて自分たちに有利に吹聴報告し、裏からは金銭で警吏を買収した。」
倶楽部は芸者組合も作った。巻頭写真に、10人の芸者が横一線に並んだ記念写真がある。1899年とあるから、焼き払われる直前のものだ。
もとより白黒で不鮮明な写真だが、ループでよくみると彼女らは10代から30代で、それぞれ帯び下に派手な模様をあしらった着物を着ている。全員髪を盛り上げ後ろで束ねているみたいだが、正面から見ると髷のようにも見える。暑苦しいが皆美形だ。
「ホノルルには、日本人芸者が二十余名いて、彼女たちの1ヶ月の収入は七,八十ドルから百ドルで、客に招かれた際は、通常一席二時間で二㌦の席料をとった。芸妓たちの年齢は二十才以下が多く、一夕にして客の散財額は百ドル、最低額は十ドル内外であった。
ホノルル芸者の奇習の一つは、毎年一月一日には数名が三味線をたずさえて馬車を駆り、「お得意様」宅の門に至り、「万歳!」を三唱することである。」
どうしてこんな「奇習」が生まれたんだろ。
移民の国アメリカでは、さまざまな出身地のコミュニティでギャング組織が形作られた。
移民ギャングの代表はなんと言ってもイタリアマフィアだろう。彼らが登場する映画は100を超える。
そんな中「ワンス アポン ア タイム イン アメリカ」というユダヤギャングの創成期を描いた傑作があった。(R・デニーロ、J・ウッズ)
また、「イヤー オブ ザ ドラゴン」というマイケル・チミノ監督のこれも傑作がある。主題はチャイニーズマフィアだ。(M・ローク、J・ローン)
いずれも上位ギャングとしてイタリアンマフィアがあり、その確執が興味深い。
「ギャング オブ ニューヨーク」はWASPとアイリッシュの対決だった。
これは メッセージ 1 (hendazo04 さん)への返信です.
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