南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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>天安門事件を知らないという、それが?

投稿者: k_ystk 投稿日時: 2005/05/16 12:51 投稿番号: [8518 / 29399]
>日本軍の住民大虐殺事件の東京高裁判決だ。
>裁判所は事件そのものは認めているよ。

そうらしいね。

>虐殺住民約3000人だ。

判決文に約3000人と書いてあったのかな?
虐殺の定義も書いてあるのかな?


ところで、虐殺ってなんだろうね。

『妊婦から胎児を取り出して
ヒゲダンスのグレープフルーツのように
刀でキャッチボールした。』
『非戦闘員の女性をとっ捕まえて
女性の性器に枝をブッ挿した。』

こういう行為なら、虐殺(むごたらしい方法で殺す、
無慈悲な方法で殺す)と言えるだろうけど、
ゲリラ兵の首を刎ねて処刑したというなら、
虐殺したってことにならないんじゃない。

>実際の南京大虐殺の証言 楊明貞さん

投稿者: shinjitu_no_rekishi 投稿日時: 2005/05/16 12:17 投稿番号: [8517 / 29399]
証言の裏付けは取れてるのか?
ちゃんと検証して裏付けの取れた物しか証拠にならんよ。
俺の祖父も中国人に殺されている。ホントかウソか?
のように、言うだけならタダ   だから。

>>立証責任を果たすべき

投稿者: shinjitu_no_rekishi 投稿日時: 2005/05/16 12:02 投稿番号: [8516 / 29399]
>否定派の、無かったという証拠はあるのかしら?
無かったという立証責任もあるわよ♪

無かったという証拠?
無かった南京大虐殺に状況証拠(30万人虐殺に必要な武器、物資など、旧日本軍にそのような余裕は無い事・南京に於ける中国人の人口が減っていない事など)以外存在する訳が無いだろう。
逆に肯定派のあったという証拠は、物的証拠・状況証拠など反論しようの無いありとあらゆる証拠が必要(あったというのならば存在するはず)
あんたが言う証拠は、あんたの祖父が中国で悪いことをやったという証言でしょ?
それは、単なる{あんたの祖父個人の犯罪}では?
以前にも頼んだのだが早く確固たる証拠を逃げずに出してくれよ。

大丈夫か中国の記憶 江沢民

投稿者: okunomasaru42 投稿日時: 2005/05/16 10:39 投稿番号: [8515 / 29399]
本当に中国の人の記憶は大丈夫かと思う。
江沢民自身の出世の糸口となった天安門事件への記憶が定かでないのである。
法輪功事件についても彼の記憶には疑問がある。
もちろん文化大革命にいたっては、記憶と言うより「創作」的な記述である。

前国家主席でさえその記憶が曖昧なのである。

記憶の悪戯 天安門事件と他の記憶

投稿者: okunomasaru42 投稿日時: 2005/05/16 10:34 投稿番号: [8514 / 29399]
三度の天安門事件やその前の文革についての記憶が曖昧であり、
大躍進についても記憶定かでない中国で、
それ以前の記憶が性格と言うことはあり得ない。
江沢民の著書にさえ
肝心の彼が主席になったいきさつとしての天安門事件の記憶が曖昧である。

この国の人の記憶がどれほどのものであろうか。

>>1932年平頂山事件

投稿者: kisikaisei2004 投稿日時: 2005/05/16 08:00 投稿番号: [8513 / 29399]
ゲリラの掃討作戦だったようですね。

この件、既に中国で裁判され、何故か日本の民間人複数が有罪として処刑されてます。

>1932年平頂山事件

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/05/16 07:43 投稿番号: [8512 / 29399]
事実は事実として受け止めるだけなんじゃないの。
高裁がそういう判断を示したのは確たる証拠および、証言をもって行ったのだろうから
それは謙虚に受け止めるべきであろう。

事実まで捻じ曲げようなんていっているわけじゃないよ。

捏造について、またはただの憶測についておかしいといっているだけだよ。

>天安門事件を知らないという、それが?

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/16 06:53 投稿番号: [8511 / 29399]
それで、君は平頂山事件を知っているのか?

2日前に新聞に掲載されていたぞ。

日本軍の住民大虐殺事件の東京高裁判決だ。
裁判所は事件そのものは認めているよ。
虐殺住民約3000人だ。
天安門事件の被害者と同数くらいだろう。

天安門事件は中国の内政問題だよ。

そんなことは中国人に任せておけよ。
時がくれば彼らが解決する。

其れよりも日本国内の問題を解決しろよ。(笑)

天安門事件を知らないという

投稿者: okunomasaru42 投稿日時: 2005/05/16 06:42 投稿番号: [8510 / 29399]
留学生のほとんどが
わずかに十年足らず前の天安門事件を知らないというのである。
彼等の中には
天安門事件を
「捏造」とまで言い張るものもいる。

果たして60年前のことをどれだけの人が知っているのであろう。

1932年平頂山事件(住民虐殺事件)に

投稿者: yominokuni56 投稿日時: 2005/05/16 06:35 投稿番号: [8509 / 29399]
2005年5月14日土   読売新聞
平頂山事件

生存者3名が日本政府を相手取り総額6000万円の損害賠償を求めた控訴審判決が13日東京高裁であった。「宮崎公男裁判長」は「戦争による賠償問題は政府間で決められるべき問題で個人が賠償を求めることは出来ない」」 と請求を棄却した。
一審東京地裁判決を支持し、原告の控訴を棄却した。
揚宝山さん(82)国側は1.2審を通じて事実確認をしておらず、原告らが被害を受けた事を認定、その上で一審判決同様、旧憲法下での国の不法行為は責任を問われないとうする「国家無答責の法理」を適用、「旧日本軍は原告に極めて悲惨な体験をさせたと言えるが、賠償は認められない。」とした。

国家無答責=旧憲法下において、公務員の不法行為に関して、国家は賠償する責任が無いとするもの。(都合の良い規定ですな)
「平和に対する罪」なんてのと裏返しに考えても意味があると思いますね。
”戦争は罪ではない”と憲法改正しますか?(笑)


資料)平頂山事件
(1)   1931年9月18日、瀋陽(旧奉天)北部の柳条湖で日本軍が謀略により南満州鉄道を爆破。これを中国側の仕業として、いわゆる満州事変が始まり、翌1932年3月1日には、傀儡国家「満州国」の建国を宣言したため、抗日運動が活発化した。

  1)抗日運動の中で組織された「抗日民衆自衛軍」は、1932年9月15日未明、日本の中国植民地支配の象徴であった撫順炭坑を襲撃し、日本の撫順独立守備隊との間で戦闘となり、抗日民衆自衛軍はもちろん、日本側も11名の死傷者を出した。

(2)   抗日民衆自衛軍の襲撃から数時間後、撫順独立守備隊首脳らは緊急会議を召集し『抗日民衆自衛軍が炭坑を襲撃する前に平頂山を通過したにも関わらず、平頂山の住民は通報を怠った。したがって住民は「匪賊」と通じているのを戒めとする』と言う理由で、平頂山の住民を全員虐殺し、住家を焼き払う事を決めた。

(3)   1932年9月16日の日中、撫順独立守備隊は平頂山の住民を一ヶ所に集め包囲し、一斉に機銃掃射を浴びせた。機銃掃射が終わると、兵士達は死体の山に踏み込み、生存者を調べ、見つけると銃剣で突き刺し息の根を止めた。赤ん坊も、子供も妊婦も情け容赦無く突き刺した。後日日本軍は虐殺の事実を隠蔽するため、遺体に石油をまいて焼却し、ダイナマイトで崖を爆破し、死体を埋めた。これによって、約400世帯、約3000人が住んでいたと言われる平頂山が消滅し、住民の大部分が虐殺され、その場から逃げ出した者は極僅かに過ぎなかった。

(4) 平頂山事件の特徴として3点挙げられる。

1つは、虐殺の被害者が全て一般住民であると言うこと。

2つ目は、加害者側である日本では殆ど知られていない事件であると言うこと。

3つ目は最終的に責任を取らされた者が、事件の責任者とは言えない日本人であったと言うことである。

中国では平頂山事件は広く知れていて、事件現場は「平頂山殉難同胞遺骨館」として保存されている。私達は、そこで累々と折り重なっている人骨を目の当りにする事で、今尚平頂山事件の様相を、その凄惨さを垣間見る事ができる。


資料説明
  「中国人戦争被害者の要求を支える会」は平頂山事件から奇跡的に生き残った方々3名が、1996年8月14日に日本政府に対し損害賠償請求訴訟を提起し現在係争中の他、数多くの訴訟を支えております。上記資料は、その内「平頂山訴訟」より要旨を引用させて頂きました

二度と繰り返すな 南京大虐殺

投稿者: fdsafdasfdasfasgfasfd 投稿日時: 2005/05/16 05:58 投稿番号: [8508 / 29399]
  日本がアジアの孤児とならないためにも、日本の歴史の真実に眼をつぶらないこと、そして、アジアの人々と共通の歴史認識を持つことが何よりも必要だと思います

実際の南京大虐殺の証言 楊明貞さん 

投稿者: fdsafdasfdasfasgfasfd 投稿日時: 2005/05/16 05:50 投稿番号: [8507 / 29399]
証言者   楊   明貞さん        通訳   王   雪芳さん

1931年2月1日生まれ   69歳   女性

  1937年12月13日、私の家に日本の兵隊が一人きた。母が「座ってください」と言ったら母を蹴飛ばして、その兵隊は帰っていった。
  その後、新たに2,3人兵隊が来て「タバコとマッチを出せ」と言った。
  次に5〜6人の兵隊が来て、豚肉を徴発し、帰り際に、隣の老夫婦と、私の祖父を撃ち殺した。
母は7歳の私を抱いて震えていたが、その母のところに来てイヤリングや金などを取って行った。

  *この間、通訳に対して、号泣しながら、腹を裂く仕草、股をあける仕草、手を突き刺す仕草や「バシバシ」という言葉があった。

  このままでは危険だと感じた父母は「安全区」に行こうとしたが安全区の手前に日本兵が銃剣を構えており、入ることができなかった。それで仕方なく戻ろうとしたとき、日本の兵隊が来た。そして、7歳の私の服を脱がそうとした。父は日本語で「ヤメロ、ヤメロ」と言って止めようとした。その兵隊は横ビンタを喰らわせ、そして軍刀で父を斬り殺した。
  母と私は家に戻った。そして、母は、顔にスミを塗って「醜い女」の格好をした。
  また、兵隊たちが私の家にやってきて、その母を辱めた。そして、殺した。
  さらに、飽きたらず私も辱めた。私は歩くことが出来なくなった。

  それから3日目、孤児となって震えていた私のところに父の知り合いの人の16歳の嫁が来てくれた。そこへまた兵隊がやってきて、その嫁を辱め殺した。

  歩けなくなった私のところに、12,13歳くらいの二人の友達が見舞いに来てくれた。そこへまた兵隊がやってきて二人を強姦し、そのあとで、軍刀で下腹部を何度も刺して殺した。それから、私の下腹部を見たうえ、軍刀で私の頭を斬った。

  私の父母は竹製品を売る商売をしており、小金も貯めていた。そして、私をとても可愛がってくれた。

  父母も友達もなくなった私は歩くことも出来ないため杖を使いながら、乞食となって、ゴミひろいをし、揚げパンや焼き餅などを拾って食べた。
12歳の時、26歳の男と生活をするようになったが、日本の兵隊から辱めを受けたことについては誰にも言わなかった。

  父や母の遺体がどこにあるかまったく判らない。南京市内には山のように死体があった。
  当時を振り返れば胸がつかえる。   共産党時代になって生活も安定し4人の子供にも恵まれている。
  もうつらいから、ここまでにしたい。

* もう一人の通訳の方に、この文章をお見せし確認しました。間違いないとのことです。ただ、通訳をされた方は、若い女性です。あまりに恥辱的なことは省いて、私達に伝えたとのことです。その内容を教えて頂きましたが、通訳者の意思も汲んで文章にはしないことにします。
* 12歳や16歳で「嫁」とありますが、当時の中国では、貧しい家庭の娘は早くから「婚約」し、男性の家で家事などの手伝いをしていたとのことで、世に言う「夫婦」となるのは、もっと先のことだそうです。

http://members.jcom.home.ne.jp/kondou00/nankin01.htm

もし当時の日本兵は洗脳されていたら?

投稿者: fdsafdasfdasfasgfasfd 投稿日時: 2005/05/16 05:43 投稿番号: [8506 / 29399]
結論から言えば、完全に洗脳されていた
オウムによる一連のサリン事件を思い出して欲しい   そこには罪悪感などは僅かにも存在しなかった



1)捕虜処置の方針
日本軍はみずからの将兵が捕虜になることを不名誉なこととして厳しく禁じていました。このような精神の自然の延長として、戦争において敵兵の捕虜を得た場合に、彼等を虐待し、虐殺してもよいとする風潮が生ずることになりました。さらに実際に南京攻略時のように大量の捕虜が発生したときには、下の3)で述べるように自軍の補給でさえも確立していなくて、まして捕虜への給養など考えていませんでした。そこで「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリコレヲ片付クルコト」(第16師団長、中島今朝吾の陣中日記)にも見られるように、捕虜虐殺は組織的に実行されました。

2)日本軍のなかの頽廃
日本の軍隊の内部は、例えば野間宏の『真空地帯』に描かれたように、天皇=上官の命令には絶対服従、苛酷で恣意的な懲罰など、抑圧構造が兵士たちを圧迫していました。このような抑圧構造の最下層にあった兵士たちが、その憤懣をより弱い者、無力な捕虜や一般市民に向けることになりました。

3)食糧の「調達」
日本軍の作戦には、現実的な兵站(へいたん=弾薬・食糧などの補給)の計画が軽視されていて、弾薬はともかく、食糧は多くを「現地調達」に頼っていました。従って戦闘の合間に、小部隊単位で民家に入って食糧を「調達=掠奪」せざるをえなくなり、これが次第にこうじて食糧以外の金品財産を強奪し、拒まれると虐殺し、あるいはレイプなどの性暴力に及ぶ過程を生んでいきました。(この兵站軽視が、敗戦の前には「名誉の戦死者」の大部分が餓死であったという、自滅の道に導くことになります。)

4)「神国優越」の思想
南京大虐殺のようなすさまじい暴虐行為の根底には、自国民優越すなわち他民族蔑視の思想が働いていたことを否定できません。
明治維新以後いちはやく「脱亜入欧」に走った日本は、近隣諸国を「遅れた国」であり、帝国主義支配の対象であるとのみ考えました。江戸時代には文化の源泉として崇拝していた中国を、日清戦争に勝ったあとは一転して侮蔑の目で見るようになり、国民の間に「神州不滅」の優越思想をすり込みました。
日清戦争のなか旅順陥落のときにおこった虐殺事件は、南京大虐殺の原型であり、さらに日中戦争で中国全土にわたって「三光作戦」として広がっていきました。
     (文責:西村 史朗)

南京大虐殺 を行おうとすると

投稿者: fdsafdasfdasfasgfasfd 投稿日時: 2005/05/16 05:37 投稿番号: [8505 / 29399]
実際に殺戮行為を行うのは生身の人間である
殺戮、虐殺を行う日本兵自身が極度の罪悪感などで精神的に潰れ、無抵抗な民衆の大虐殺など無理があるのではないか?

近年湾岸戦争でも、湾岸戦争症候群というのが大きな社会問題になった

たとえ圧倒的勝利した側の兵でも、耐えられない精神的なダメージがあるのではないか?
したがって、無抵抗な人々を殺戮しつくした南京大虐殺は心理学的にもまず不可能ではなかったか?


という疑問がでてくる

しかし・・

投稿者: muzukasiiwane 投稿日時: 2005/05/16 02:28 投稿番号: [8504 / 29399]
>否定派の、無かったという証拠はあるのかしら?

ガッツも真っ青の馬鹿発言だな。

>南京大虐殺は歴史の事実です

投稿者: noisefellow 投稿日時: 2005/05/16 02:12 投稿番号: [8503 / 29399]
> 火のないところに煙はたたない

あなたはマッチポンプという言葉を知っていますか?

早く洗脳を解きなさい>馬鹿・・・

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/16 01:21 投稿番号: [8502 / 29399]
もう、そこまで捏造に洗脳されて哀れ
だな工作員君!!
本とに共産主義は世界の悪魔!!
恐ろしい・・・

南京大虐殺の犠牲者は河も堰き止めた

投稿者: bakabakabakakabaka 投稿日時: 2005/05/16 01:14 投稿番号: [8501 / 29399]
人類史上最悪の虐殺事件
自国軍の兵でさえ、万単位の犠牲者を出す数々の作戦を平気で遂行する冷血鬼

目を覚ませ!

中国人は斬首がうまいね!>馬鹿・・・

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/16 00:52 投稿番号: [8500 / 29399]
>残首写真を参考にしなさい!!
確か、1枚目は中国人を日本兵に張替え
て使われた有名な捏造写真の元版だから、
よく見たまえ!!

小泉は南京大虐殺記念館で土下座しろ

投稿者: bakabakabakakabaka 投稿日時: 2005/05/16 00:31 投稿番号: [8498 / 29399]
虐殺被害者の地へ赴き
謝罪すべきである

上海虐殺を二度と繰り返すな

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/16 00:23 投稿番号: [8496 / 29399]
上海における中国人の日本人捕虜虐殺行為を忘れてはいけません。

http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/index.html

定期便ご苦労さん>馬鹿・・・

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/16 00:21 投稿番号: [8495 / 29399]
火の無いところに煙を立てる!!
それが捏造ですね!!
国民党の虐殺は日常茶飯事だったようですが!!

中国の歴史を見れば

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/16 00:21 投稿番号: [8494 / 29399]
>火のないところに煙はたたない
>虐殺が日常化していたのですか

殷の紂王から現在の中華人民共和国まで、中国では虐殺が日常化していたのでしょうね

南京も上海も悲惨 二度と繰り返すな 

投稿者: bakabakabakakabaka 投稿日時: 2005/05/16 00:20 投稿番号: [8493 / 29399]
>1937年8月28日正午、日本軍は上海南駅に爆撃を行い、待合室にいた200人あまりの人が亡くなり・・・・

日本は自軍の将兵の命さえ軽んじていたんですから、敵国中国の赤ん坊、婦女、お年寄りなんて虫けら程度の認識だったんでしょう

Re南京大虐殺は歴史の事実です

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/05/16 00:13 投稿番号: [8492 / 29399]
写真集「レイプ・オブ・南京」
「反日宣伝用」を掲載、米やらせ映画の場面

  史実のわい曲や誤りが指摘されている中国系アメリカ人、アイリス・チャン女史(30)の著書「レイプ・オブ・南京」と同じタイトルの写真集「レイプ・オブ南京」(史詠氏著)に使われた赤ん坊の写真は、米国の反日宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」に写っていることが、25日までの自由主義史観研究会(会長・藤岡信勝東大教授)に設置されたプロパガンダ写真研究会の調べでわかった。研究会では今日26日、これまで進めてきたチャン女史の著書への検証作業を、東京都内で開かれる「反撃集会」で発表する。

  今回、明らかになったのは≪1937年8月28日正午、日本軍は上海南駅に爆撃を行い、待合室にいた200人あまりの人が亡くなり、けが人多数を出した。爆撃の後、血を流し泣きながら赤ん坊が1人残された≫とキャプションを付けた写真。
  入手先は米国の雑誌「ライフ」となっており、この写真の発表について同書では≪この写真は世界中を駆け巡り、日本の侵略による残虐行為に対し世界中から非難が集まった≫と説明している。
  この写真はライフ1937年の10月4日号に掲載され、同じ年のアメリカ雑誌「ルック」にも掲載された。しかし、ルックの写真では赤ん坊の横に男性と子供が立っている光景が写っており、ライフでは横の男性がカットされ、がれきに1人取り残された痛ましい姿のみが強調されている。
  写真は”日本の侵略”を批判するさいに再三、登場するが、大阪市にある戦争資料館「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」では「上海爆撃   泣き叫ぶ子供」と題して展示してきたが、「爆撃後の市街に赤ん坊1人だけでいる姿が不自然」として撤去された経緯のある、信ぴょう性に疑問が指摘されていた。
  さらに米国で反日宣伝の目的で作られたやらせ映画「バトル・オブ・チャイナ」には、大人の男性がこの赤ん坊を抱きかかえ駅のホームから線路に運ぶシーンが出てくる。プロパガンダ写真研究会では「反日宣伝のやらせ写真を撮影するために現場を演出している課程が映像に写った」と判断し、今後もプロパガンダ写真の調査を続ける方針だ。(産経新聞・平成10年9月26日朝刊より)

Re> yominokuni57変質的詐欺師の女です

投稿者: yominokuni57 投稿日時: 2005/05/16 00:06 投稿番号: [8491 / 29399]
プロパガンダ戦「南京事件」

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/book/matuo_itilou.html

南京大虐殺は歴史の事実です

投稿者: bakabakabakakabaka 投稿日時: 2005/05/15 23:59 投稿番号: [8490 / 29399]
火のないところに煙はたたない
虐殺が日常化していたのですか

こう言う写真からアイコラを!

投稿者: devilguri 投稿日時: 2005/05/15 23:29 投稿番号: [8489 / 29399]
捏造したんですね
今の解析技術の水準なんて・・・・
当時の国民党宣伝部では想像もできない
技術水準ですからね!!
簡単にばれるのに!!
それにしても刃厚の青龍刀の切れ味ですね!!
細身のほとんどお飾りの日本刀ではこうはいかないですね!

斬首写真

投稿者: shiranobenjuro 投稿日時: 2005/05/15 22:29 投稿番号: [8487 / 29399]
kanntaroudayo氏の指摘しておられるのと同類と思われる写真を
わたしも見ました。昭和25、6年ごろです。

写真手前左に、後ろ手に縛られた首のない人物が座っており、
その前(写真右)に首(頭)が転がっています。
その向こうに、巡査風の人物が刀を振りかざして立っています。
さらに奥に、たくさんの見物人がならんでいます。

異様な光景でしたので、半世紀以上たった今も覚えています。
これを見せてくれた同級生の話だと
満州での撮影ということでした。
子供の目にもトリックであることは、
一目で分かりました。血も流れていませんので。

あの手の写真は、まだ日本に少なからず残っているでしょう。むろん支那にも。

>>>立証責任を果たすべき

投稿者: k_ystk 投稿日時: 2005/05/15 22:14 投稿番号: [8486 / 29399]
>>否定派の、無かったという証拠はあるのかしら?

>アホですか?(笑)

(藁)

>あなたがいきなり、「人を殺していないことを証明しろ、
>できないなら死刑だ」と言われたら、
>自分が人殺しをしていないことを必死に
>証明しようとしますか?
>まず、証拠を出せと言うでしょう。

その通り!!だな
立証責任は肯定派にあり。
否定派は、挙げられた証拠をつぶさに
検証するだけで良い。

>>立証責任を果たすべき

投稿者: heinz_bar 投稿日時: 2005/05/15 20:40 投稿番号: [8485 / 29399]
>その前に、

>否定派の、無かったという証拠はあるのかしら?

アホですか?(笑)

検察側が証明しなければ、裁判にならないでしょ。

あなたがいきなり、「人を殺していないことを証明しろ、できないなら死刑だ」と言われたら、

自分が人殺しをしていないことを必死に証明しようとしますか?

まず、証拠を出せと言うでしょう。

南京虐殺を証明できなければ、疑わしきは罰せずで無罪です。

また、証明せずにあったと主張すれば、それは詐欺行為です。

おい

投稿者: blueangel_heart_777 投稿日時: 2005/05/15 20:21 投稿番号: [8484 / 29399]
答えられないからって逃げようとするなバカタレチャンコロ

>立証責任を果たすべき

投稿者: okussama_des 投稿日時: 2005/05/15 20:03 投稿番号: [8483 / 29399]
>もちろん議論すること自体は否定しないが、肯定派に求められているのはそんなことではなく立証責任である。



その前に、

否定派の、無かったという証拠はあるのかしら?

無かったという立証責任もあるわよ♪

>>>根拠

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/05/15 18:41 投稿番号: [8482 / 29399]
うん。
その方向でいいんじゃない。

別に否定はしてないよ。

たださ、言い方がストレートじゃないんでいやみだと思っただけさ。

別に

投稿者: kanntaroudayo 投稿日時: 2005/05/15 18:14 投稿番号: [8481 / 29399]
信じなくてもいいよ。しかしもしかしたら君の近所の古い家にあるかもね。私が見たくらいだから、どこにでもころがってるかもね。ちなみに私は参考までに自分自信が実際に当時シナにいた方に見たものきいたものを述べただけ。それ以上はだれに迷惑がかっても悪いので申しません。興味があれば調べてくださいと書いているでしょう。

自分でも知りたければ動いてください。
その気がある人にはヒントになるだろうということです。

>このサイトを御検討下さい。やはり嘘。

投稿者: nannkinnasobi 投稿日時: 2005/05/15 18:01 投稿番号: [8480 / 29399]
証拠について下記のごとくである。
<<歴史家は南京大虐殺を写真によって証明しているわけではない。写真が証拠であるとして主張しているわけでもない。否定派が「『肯定派』が写真を南京大虐殺の証拠にしている」と騒いでいるだけなのである。>>

あれだけ生々しい写真を掲示しておいて、どこにこれは南京大虐殺の証拠ではありませんと宣言しているのか。

証拠として主張していないなら、これらの写真は南京大虐殺とは一切関わりがありませんと書いておくべきだろう。

最も印象に残る主張として残忍な殺害現場の写真を出しておいて、否定されるやいなや、証拠だとは一言もいっていないと言うのか。

この大うそつきども!

>>根拠

投稿者: kororota_bee 投稿日時: 2005/05/15 17:55 投稿番号: [8479 / 29399]
公平性に欠けるよ。
肯定派も否定派も同条件でなきゃ。
そうだろ?

伝聞などの証拠力のない肯定派に対して、否定派は正にそれで論破しようとしてるんだろ?それじゃ肯定派に対して言ってきたのは何だったんだよ。

>根拠

投稿者: kintakunte2002 投稿日時: 2005/05/15 17:48 投稿番号: [8478 / 29399]
いやみな書き方だねえ。

揚げ足取りもいいが、もうちとましな議論にならんもんかいな。

馬賊の話はよく出てくる話だが、手元にないのをせめても仕方ないだろ。

中国や韓国の捏造の話をしているんじゃなかったっけ。

ちょっと横道にそれただけのことに目くじら立てても意味のないことだよ。

根拠

投稿者: kororota_bee 投稿日時: 2005/05/15 17:40 投稿番号: [8477 / 29399]
あなたが批判する「南京大虐殺肯定派」の根拠と同レベルでしたか。

多数の大陸従軍者が

投稿者: kanntaroudayo 投稿日時: 2005/05/15 17:20 投稿番号: [8476 / 29399]
びっくり写真として自分達の部隊の写真とともに持って帰っていました。自分も昔みせてもらったことがあります。敗戦後焼き捨てた人も多いでしょうが古い家にいけば結構あるかもしれませんね。興味があれば大陸従軍経験のある老人の方に聞いてみてください。ほとんどの人は語りたがらないでしょう。戦友会以外では。でも以外と身近にあるかもしれませんよ。ただひとつわかるのは戦闘行為では拠点都市の攻撃とかの激戦以外は漢人も日本人もわりと被害が少なかったことでした。ゲリラ戦には苦労したらしいですがほとんどの戦闘ではどちらかが分が悪ければ退却をはじめると戦闘は掃討戦に移り現地を占領行動に移る為死者はわりと少なかったようです。基本は砲撃の後の歩兵の攻撃ですから。逃げるほうも攻めるほうも太平洋戦争と違っていたようですね。貴重な弾薬を大切に使いつつ軍馬と進軍だったようです。八路軍のゲリラもいたそうですが敵としては蒋介石軍と戦っていたのであって赤軍匪賊として掃討戦をおこなっていたようです。あまり残虐行為はする必要自体が無かったようですね。もちろん戦争は殺人ではあります。いわゆる間諜(スパイ)や裏切り者や犯罪者の処刑はあったようです。いわゆる駐屯地の集落などでは村人らによる馬賊の処刑などもあったらしいですが、双方にうらみがあるので彼らのほうが結構残酷なこともしていたそうです。
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