実際の南京大虐殺の証言 楊明貞さん
投稿者: fdsafdasfdasfasgfasfd 投稿日時: 2005/05/16 05:50 投稿番号: [8507 / 29399]
証言者
楊
明貞さん
通訳
王
雪芳さん
1931年2月1日生まれ 69歳 女性
1937年12月13日、私の家に日本の兵隊が一人きた。母が「座ってください」と言ったら母を蹴飛ばして、その兵隊は帰っていった。
その後、新たに2,3人兵隊が来て「タバコとマッチを出せ」と言った。
次に5〜6人の兵隊が来て、豚肉を徴発し、帰り際に、隣の老夫婦と、私の祖父を撃ち殺した。
母は7歳の私を抱いて震えていたが、その母のところに来てイヤリングや金などを取って行った。
*この間、通訳に対して、号泣しながら、腹を裂く仕草、股をあける仕草、手を突き刺す仕草や「バシバシ」という言葉があった。
このままでは危険だと感じた父母は「安全区」に行こうとしたが安全区の手前に日本兵が銃剣を構えており、入ることができなかった。それで仕方なく戻ろうとしたとき、日本の兵隊が来た。そして、7歳の私の服を脱がそうとした。父は日本語で「ヤメロ、ヤメロ」と言って止めようとした。その兵隊は横ビンタを喰らわせ、そして軍刀で父を斬り殺した。
母と私は家に戻った。そして、母は、顔にスミを塗って「醜い女」の格好をした。
また、兵隊たちが私の家にやってきて、その母を辱めた。そして、殺した。
さらに、飽きたらず私も辱めた。私は歩くことが出来なくなった。
それから3日目、孤児となって震えていた私のところに父の知り合いの人の16歳の嫁が来てくれた。そこへまた兵隊がやってきて、その嫁を辱め殺した。
歩けなくなった私のところに、12,13歳くらいの二人の友達が見舞いに来てくれた。そこへまた兵隊がやってきて二人を強姦し、そのあとで、軍刀で下腹部を何度も刺して殺した。それから、私の下腹部を見たうえ、軍刀で私の頭を斬った。
私の父母は竹製品を売る商売をしており、小金も貯めていた。そして、私をとても可愛がってくれた。
父母も友達もなくなった私は歩くことも出来ないため杖を使いながら、乞食となって、ゴミひろいをし、揚げパンや焼き餅などを拾って食べた。
12歳の時、26歳の男と生活をするようになったが、日本の兵隊から辱めを受けたことについては誰にも言わなかった。
父や母の遺体がどこにあるかまったく判らない。南京市内には山のように死体があった。
当時を振り返れば胸がつかえる。 共産党時代になって生活も安定し4人の子供にも恵まれている。
もうつらいから、ここまでにしたい。
* もう一人の通訳の方に、この文章をお見せし確認しました。間違いないとのことです。ただ、通訳をされた方は、若い女性です。あまりに恥辱的なことは省いて、私達に伝えたとのことです。その内容を教えて頂きましたが、通訳者の意思も汲んで文章にはしないことにします。
* 12歳や16歳で「嫁」とありますが、当時の中国では、貧しい家庭の娘は早くから「婚約」し、男性の家で家事などの手伝いをしていたとのことで、世に言う「夫婦」となるのは、もっと先のことだそうです。
http://members.jcom.home.ne.jp/kondou00/nankin01.htm
1931年2月1日生まれ 69歳 女性
1937年12月13日、私の家に日本の兵隊が一人きた。母が「座ってください」と言ったら母を蹴飛ばして、その兵隊は帰っていった。
その後、新たに2,3人兵隊が来て「タバコとマッチを出せ」と言った。
次に5〜6人の兵隊が来て、豚肉を徴発し、帰り際に、隣の老夫婦と、私の祖父を撃ち殺した。
母は7歳の私を抱いて震えていたが、その母のところに来てイヤリングや金などを取って行った。
*この間、通訳に対して、号泣しながら、腹を裂く仕草、股をあける仕草、手を突き刺す仕草や「バシバシ」という言葉があった。
このままでは危険だと感じた父母は「安全区」に行こうとしたが安全区の手前に日本兵が銃剣を構えており、入ることができなかった。それで仕方なく戻ろうとしたとき、日本の兵隊が来た。そして、7歳の私の服を脱がそうとした。父は日本語で「ヤメロ、ヤメロ」と言って止めようとした。その兵隊は横ビンタを喰らわせ、そして軍刀で父を斬り殺した。
母と私は家に戻った。そして、母は、顔にスミを塗って「醜い女」の格好をした。
また、兵隊たちが私の家にやってきて、その母を辱めた。そして、殺した。
さらに、飽きたらず私も辱めた。私は歩くことが出来なくなった。
それから3日目、孤児となって震えていた私のところに父の知り合いの人の16歳の嫁が来てくれた。そこへまた兵隊がやってきて、その嫁を辱め殺した。
歩けなくなった私のところに、12,13歳くらいの二人の友達が見舞いに来てくれた。そこへまた兵隊がやってきて二人を強姦し、そのあとで、軍刀で下腹部を何度も刺して殺した。それから、私の下腹部を見たうえ、軍刀で私の頭を斬った。
私の父母は竹製品を売る商売をしており、小金も貯めていた。そして、私をとても可愛がってくれた。
父母も友達もなくなった私は歩くことも出来ないため杖を使いながら、乞食となって、ゴミひろいをし、揚げパンや焼き餅などを拾って食べた。
12歳の時、26歳の男と生活をするようになったが、日本の兵隊から辱めを受けたことについては誰にも言わなかった。
父や母の遺体がどこにあるかまったく判らない。南京市内には山のように死体があった。
当時を振り返れば胸がつかえる。 共産党時代になって生活も安定し4人の子供にも恵まれている。
もうつらいから、ここまでにしたい。
* もう一人の通訳の方に、この文章をお見せし確認しました。間違いないとのことです。ただ、通訳をされた方は、若い女性です。あまりに恥辱的なことは省いて、私達に伝えたとのことです。その内容を教えて頂きましたが、通訳者の意思も汲んで文章にはしないことにします。
* 12歳や16歳で「嫁」とありますが、当時の中国では、貧しい家庭の娘は早くから「婚約」し、男性の家で家事などの手伝いをしていたとのことで、世に言う「夫婦」となるのは、もっと先のことだそうです。
http://members.jcom.home.ne.jp/kondou00/nankin01.htm
これは メッセージ 1 (yuukouheiwa さん)への返信です.