南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
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未だに南京大虐殺を信じている低脳がいる①
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/19 22:40 投稿番号: [28778 / 29399]
だいたい、戦いの最中にドンパチやりながら、「使用弾薬何発。残り弾薬数何発」と、何度も伝令を出して司令部に報告を入れなければならないのが日本の軍隊です。
それだけ日本軍は物資に乏しかった。
そのあたり、使っている武器にも、その性格がよく出ています。
日本軍の主力銃は、三八指揮歩兵銃です。
この銃は、いわゆる元込め式の単発銃です。
弾を一発一発込めて、装填してから撃つ。
いわゆる「乱射」や「集団虐殺」のようなこと自体、なじまないのです。
ハナからそういうことを想定した銃ではない。
だいたい単発銃で、30万人をいったいどうやって殺すのか。
30万人に、1発ずつ銃弾を撃ち込んで殺すとしても、それには30万発の弾薬がいります。
そんな弾薬、日本軍は持っていません。
機関銃で殺したに違いない?!
バカなことを!
当時の日本軍の機関銃は、米国製の1秒間に何発という高性能機関銃ではない。
パン・・・パン・・・パン・・・と断続的に撃つのが精いっぱい。1分間に打てる弾はおおむね40発。しかも5分も撃ったら過熱して、砲身を冷やさないと、焼き付いた。
お暇な方は計算してみてください。それで30万人殺すには、いったい何日かかるのか。
かつてそのことを指摘した人がいます。
そしたら支那いわく「日本兵は日本刀で、何万人も斬り殺した」
バカをいっちゃぁいけません。日本刀はたしかに切れ味鋭いけれど、3人も斬ったら、脂にまみれて斬れなくなる。人間の体というのは、脂にまみれて斬れなくなった刀でも通せるほどヤワじゃないです。
加えて、当時のシナ人の便服というのは、めちゃめちゃ生地が厚い。銃剣で突き刺そうとしても、素人では刃が立たなかったというのも、有名な話です。
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証拠隠滅とか言う人ほど
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/19 21:44 投稿番号: [28777 / 29399]
皇軍最強といいたいらしい。まさに極右ですな。
>特に
虐殺事件など戦争犯罪に問われるような
軍にとって都合の悪い
証拠書類の多くは
廃棄されたため、
かろうじて
処分を免れた
断片的な資料から
事件の実相に迫るしか手段がない
というのが現状だ。
よくもまぁ、証拠がないのにあったとここまで大口をたたけるのでしょうね
ちなみに世間様ではこのようなことを”言いがかり”とか”冤罪”と言うのだが
>事実、敗戦決定から
撤退あるいは占領軍進駐までの期間に
多くの書類を焼却処分した
という記録や証言が
存在する。
つまり貴方はこう言いたいと。
秦の始皇帝をはじめ歴代の独裁者は国家の総力をあげて焚書をやりまくっても残るものは残ったのに日本政府や軍は敗戦の混乱期のしかも進駐軍か来るまでのわずかな時間で場合によっては部隊が壊滅または投降などしてそのような命令を実行できないのにもかかわらずしかも連合国の追跡調査をさせないほど完璧に証拠隠滅したと。
正に皇軍様万々歳ですな。
これは メッセージ 28774 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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証拠隠滅(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/19 21:00 投稿番号: [28776 / 29399]
日本軍は、敗戦時に
軍部も政府も
責任の追及を恐れて、
証拠湮滅のために
多くの軍関係書類を
焼却処分した。
とくに
軍にとって都合の悪いもの、たとえば
戦争犯罪、
国際法違反に問われるような証拠を
隠滅するうえで
重要な書類を、全組織を挙げて
処分したのだ。
こうしたことが、南京事件や従軍慰安婦、細菌兵器開発や
占領地での強制動員など、日本軍による残虐行為の実態を
解明するうえで
大きな障壁となり、さらには「南京事件
は無かった」
などという否定論が
日本国内の
一部で
臆面もなく
振り回される要因
ともなっている。
しかし、限られた期間に
軍の書類すべてを処分するのは
できなかったはずだ。
事実、公文書の
最重要書類が、
軍の焼却指示にもかかわらず、所轄の軍将校が
隠匿し、
GHQの追求から逃れた
という記録が
残されている。
例えば、防衛研究所戦史部が
保管している『大陸命』に
付せられた『経歴票』
には、次のように
記されている。
「昭和20年8月14日大東亜戦争終戦に方り陸軍一般に
保管書類焼却の指令が出されたが、第二課〔参謀本部作戦
課〕においては
本大陸命綴のみは
焼却せず、庶務将校
椎名典義中尉が都内某所に隠匿し、第一復員省(局)史実
調査部(資料整理部)編成に伴い、占領米軍の公私に亘る
一般資料追及の監視を避けて
部長宮崎周一中将が自宅に
保管した。
〔中略〕
昭和21年12月宮崎中将退職に伴い後任部長服部卓四郎
大佐が
保管を継承し、同大佐は
占領時代終了を待って
正統戦争史の本格的編纂にあたるためこれを自宅に保管した」
こうした記録からも
わかるとおり、焼却されずに軍幹部が
隠し持つなどして
残された書類もあった
と考えられる。
歴史の事実を知るためには、隠滅を免れた資料を
一つ一つ
確認していく
根気のいる
地道な検証作業が
必要であり、
否定派による
感情的で口汚い人格攻撃などに惑わされずに、
冷静に
調査を進めることが
何よりも重要なのだ
と思う。
虐殺の証拠は
ないのではなく、組織的に
消されたのだ。
こうした現実を
踏まえれば、南京虐殺マボロシ派のような、
軍国政府を
免罪し、侵略戦争を美化しようとする
勢力が、
被害を受けた
人々に対して
「証拠を示せ」
などと
声高に
がなりたてることが、いかに
卑怯で
醜い態度か、
いささかでも理性のある者ならば
理解できるだろう。
これは メッセージ 28775 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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証拠隠滅(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/19 20:59 投稿番号: [28775 / 29399]
近年、鳥取市の
鳥取県立公文書館で
敗戦の際に日本軍が
自治体に出した
徴兵関係書類の焼却命令を記録したメモが
確認された。
同県日野郡二部村(現・西伯郡伯耆町)
の
「兵事動員ニ関スル日誌」の
1945年8月15日の項に
はさまっていたのだ。
軍の焼却命令を伝える文書は珍しく、
軍部による
指示の具体的内容を知るうえで
貴重な資料だ。
メモは、はがき大の紙に「連隊区司令部ヨリノ通知」として、
「現在入営並ニ応召者ノ名簿丈ケヲ残シ其他ノ兵事関係書類ヲ
全部至急焼去スル事」
などと書かれていた。
末尾には赤字で
「二部駐在所
津島巡査」
とあり、当時、
村の駐在所に勤務していた巡査(故人)が軍部からの命令を
書き取り、村役場に渡したもの
とみられる。
召集令状の回収・焼却なども
指示されており、その内容は
日誌にも
転記されていた。
日誌の翌16日午前の項には、
「関係一切ノ焼去ヲ実施ス」
との記述が
あることから、
軍の命令通りに
焼却が行われた
とみられる。
戦前、全国の市町村役場には「兵事係」
が置かれ、兵役や
招集など戦時対応に係る
兵事関係書類が
存在していた。
東海大の
山本和重教授(軍隊社会史)によると、現存する
兵事関係書類は、全国で
わずかに
約20町村分だという。
それは、敗戦直後に
陸軍などの命令で、全国の役場などで
一斉に
焼却処分されたためだ。
市町村に対する
兵事書類の全国一斉焼却命令
だけでなく、
軍機関係書類の処分が
敗戦直後に
組織的に
行われた。
吉田裕著『現代歴史学と戦争責任』
(青木書店97年)には
「敗戦前後における公文書の焼却と隠蔽」(P127〜141)
の章で、書類の焼却処分のことが
詳しく
書かれている。
その中には、たとえば
敗戦当時、官房文書課事務官だった
大山正が
「内務省の文書を
全部焼くようにという命令が
でまして、後になってどういう人にどういう迷惑がかかるか
判らないから選択なしに全部燃やせということで、内務省の
裏庭で三日三晩、えんえんと夜空を焦がして燃やしました」
と
回想している。
処分されずに残った
記録資料も
進駐してきた米軍に
押収されたため、軍関係資料は
ほとんど
残らなかった。
現在
残されている資料の多くは、兵士などの軍関係者が
個人で
隠し持っていたものや、米国との協定に基づいて
返還を受け、防衛省が保管しているものに
限られている。
これは メッセージ 28774 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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証拠隠滅(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/19 20:57 投稿番号: [28774 / 29399]
南京事件の全容解明を
困難にしている
要因の一つに、
敗戦時に
軍が
多くの書類を
焼却するなど処分したことが
挙げられる。
特に
虐殺事件など戦争犯罪に問われるような
軍にとって都合の悪い
証拠書類の多くは
廃棄されたため、
かろうじて
処分を免れた
断片的な資料から
事件の実相に迫るしか手段がない
というのが現状だ。
事実、敗戦決定から
撤退あるいは占領軍進駐までの期間に
多くの書類を焼却処分した
という記録や証言が
存在する。
一例としては、近年
米国で公開された
資料がある。
これは
米国立公文書館に保管されていたもので、米陸軍省が
大戦中に傍受・解読した日本軍の暗号通信を要約したものだ。
資料によると、指示は45年8月15日午前0時に始まった。
「ご真影や連隊旗、天皇の手によって書かれた
書類を集め、
部隊指揮官は
崇拝の念をもって
焼却せよ――」
と、
陸軍省が
主な野戦司令部に
命令していた。
さらに
玉音放送が
敗戦を告げた
同日午後には、
「陸軍の機密文書と重要書類は、保持している者が焼却せよ」
という命令を
追加している。
前線に近い部隊になるにつれ、処分対象は
具体的になった。
たとえば
同月20日、上海にある
支那方面隊では、
将校の登録簿や
勤務経歴を
「即座に焼却せよ」
とした。
戦争責任を追及される際、誰がどこに配属されていたかが
分からないようにするためだった
とみられる。
インドネシアの
海軍第23根拠地隊では
8月24日、
「化学戦用機材」
や、残酷兵器として
ハーグ会議で
使用禁止が宣言されていた「ダムダム弾」の処分を命じた。
戦後、国際的な批判にさらされることを
恐れたからだ。
軍にとって
何が都合悪いかを
冷静に識別し、組織的に
処分したことが
こうした記録などからも
明確に判る。
敗戦直後から
焼却命令が出されていた
という事実を
裏づける
貴重な証言もある。
一例を
紹介しよう。
「赤紙と徴兵
105歳
最後の兵事係の証言から」
(吉田敏浩著)
には、滋賀県大郷村(現・長浜市)の
元兵事係、西邑仁平さんの告発内容が
収録されている。
「焼却命令には合点がいきませんでした。
村からは
多くの戦没者が出ています。これを処分してしまったら、
戦争に征かれた人の労苦や功績が
無になってしまう、
遺族の方に申し訳ない、と思ったんです」
村人に毎日のように赤紙(召集令状)を届け続けた兵事係、
西邑仁平さん(一昨年105歳で死亡)
は、敗戦の時、
軍から
24時間以内の焼却命令が
出ていたのに背き、
命がけで
大量の兵事書類を
残した。
戦前の徴兵制の運用の詳しい実態が、焼却せずに残した
兵事書類を通じて
明らかにされた
貴重な史料だ。
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◆「南京大虐殺」という史上最大のヨタ話
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/19 19:57 投稿番号: [28773 / 29399]
戦後に参戦者の手記、日記、インタビュー等から、盛んに「虐殺」を言っている記事で、その取材の仕方が全く偏向したものである例を挙げます。
まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。
虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。
そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。
場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨(ふんがい)している例もあります。
また、証言者が、
「中隊の軍紀は非常に厳正でありました。」
などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。
自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭(めいりょう)なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮買ったものであると、読者が抗議しています。
また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。
そのような記事について、
「そんなことはあり得ないことである」
と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)なのです。
都城連隊関係者が、朝日新聞に対して名誉毀損の抗議訴訟を起こして朝日が敗訴した件、京都新聞の無責任な記事に対する歩兵20連隊第3中隊の抗議に対する態度、また「平和のための京都の戦争展」の朝日新聞の記事に対し私が抗議しましたが全く無回答、これが新聞の態度です。
全く礼儀知らずと言うほかありません。
さらに、偏向的時後取材により「南京大虐殺」を盛んに主張する例を挙げます。
朝日新聞の本多勝一という記者が「中国の旅」という本を書いています。
これは彼が戦後・満州・中国に行って、日本人がそんなに悪い事をしたかを中国人に取材して、全く無批判に鵜呑みにして書いたものですが、その内の南京関係の例をあげてみましょう。
イ、姜根福の証言。
日本軍は南京城北の燕子磯で10万人くらい機関銃で射殺した。
紫金山で2千人を生き埋めにした。
あるいは軍用犬に中国人を襲わせ、その人肉を食わせた。城内で20万人を虐殺、死体を積み上げて石油をかけて焼いた。
ロ、伍長徳の証言。
南京戦直後、日本兵に銃剣で肩を刺されたが逃げ、揚子江に飛び込んで、日が暮れるまで水中に隠れていた。日本軍は逮捕した青年を高圧線にぶら下げてあぶり殺し、工業用硝酸をかけて殺した。
ハ、李秀英(女性)の証言。
日本兵に強姦されそうになり抵抗、その銃剣を奪って格闘して追い払った。しかし37ヶ所も刺されて気絶していたのを、親族の者達に助けられた。
2千人を生き埋めにするための労力と時間と穴の大きさは、どれ程のものであったのでしょうか?
軍用犬に人を襲わせて、その肉を食わせるなどという馬鹿なことがあり得るのでしょうか?
石油や工業用硝酸を、戦場でいつ、どこで入手したのでしょうか?
揚子江は確かに冬でも凍りはしませんが、12月の揚子江に飛び込んで、首だけ出していて一体日が暮れるまで我慢できるのでしょうか?
高圧線に、どうやって人間を吊り下げるのでしょうか?
当時の日本兵は現役バリバリで士気も高く、女性と格闘して銃剣を奪われ、尻尾を巻いて逃げ出すような情けない兵士がいる訳がありません。
37ヶ所も刺されて失神した者が、また蘇生するなどという事があり得るでしょうか?
どれ1つ取ってもすぐウソだと判る事ばかりです。
それを本多勝一記者は、「なるほど、ごもっともです」とそのまま本にしているのです。
本多記者については、
「朝日の中には、本多君に対して良くない感情を持っている人が沢山いる」という事を朝日新聞の同僚の記者が言っていますし、又石原慎太郎氏は平成3(1991)年の「文藝春秋」に、
「朝日には本多という奇妙な性格の記者がいて、盛んに南京虐殺のことを書く」と言っております。
本多勝一記者は、
「日本の子弟に国際性を持たせるため、南京大虐殺の教育を徹底させる必要がある」と言っています。
私は売国奴、何を血迷ったか、妄語断じて許すべからずと、憤(いきどお)りに駆られます。
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◆まさに噴飯ものの戯言「南京大虐殺」
投稿者: madabakayatuterunokaomae 投稿日時: 2012/12/19 19:55 投稿番号: [28772 / 29399]
南京攻略した日本軍の先兵の記述によると、国民党軍は戦闘を放棄し、南京市内で略奪の限りを尽くす中国兵士たち。
当時の中国軍には、「占領されるくらいなら何もかも破壊してしまえ」との考えがあったそうで、南京以外にも日本軍が攻め込む前に村ごと焼き払って敗走した事が何度もあったそうです。
南京市民から略奪した後は、国民党軍の殆どが敗走し、一部が奪い取った衣服を身にまとい国際法に抵触する便衣兵となって、日本軍が占領したあとも散発的なゲリラ行為を続けてたそうです。
こうして、便衣兵を処分したのですが、それも武装解除してから市街追放する程度で、当時の「処分」=「処刑」とは違うわけです。
勿論抵抗した便衣兵やそれに疑われた人物がその場で射殺されたこともあるでしょうが、南京での死亡者の殆どがこの類であり、その数は決して多くはなかったのです。(抵抗する捕虜や便衣兵の殺害は戦場においては正当なる行為です)
当時の記録でも日本軍が南京を占領してから数万単位で人口が増加してる事実。
非常に危険だった中国大陸においては、国民党軍が治めてる地域よりも日本軍が治めている南京の方が安全と判断したからこその人口増なんですよね。
追記
日本軍が攻めてくるというのに、これから攻められる南京城に逃げ込む馬鹿がどこにいるというのでしょうか。
安全な山や草の生い茂った野原に逃げ込んで身を隠すに決まっているでしょう。
国民党軍にしても共産軍にしてもゲリラ戦術を取っていたんですから真正面から戦闘を挑んでくる訳がないのです。
南京市の人口20万人の中の中国軍のほとんどが我さきに逃げ出して、南京城はほとんど空っぽだったと考えるのが当然だし、それが歴史の真実だったでしょう。
石井松根大将らの南京入場の映像からもそれは伺い知ることが出来るのです。
そして日本軍が撤退した3ヶ月後に、人口が25万人へと5万人も増えたのは周辺の町から南京城へ避難した人たちによって膨らんだからに違いないのです。
何故ならば、安全区以外にいる一般中国市民は、日本のスパイとみなされて共産軍によって虐殺されるかもしれないからです
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Re: 目撃者証言(3)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/18 09:30 投稿番号: [28771 / 29399]
>南京制圧
第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
目立ち始めました。
(略)奥の部屋に踏み込むと、下半身
裸の婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
加えて虐殺し、女性の性器に
棒を差し込んでおくような、
残虐な事例も
何回か目にしました。
↑これは中国兵の通常の殺し方。
日本兵がやったという記録は何処にも無い。
これは メッセージ 28763 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 目撃者証言(2)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/18 09:27 投稿番号: [28770 / 29399]
首をはねることが出来るのは慣れれば左程難しくは無いが、後の刀の手入れが大変なんだよ。
当分は使い物にならなくなるからね。
客観的にも当時の軍隊の状態からしても、有り得ない。
井手純二の手記には間違いが多よね。
当時の中国人が大人しく付いて来ることなどある訳がない。
下士官用の軍刀は二分の一しか附刃していないし、日本刀も同じく二分の一刃を潰してある。
これで切れる訳がない。
日本軍が提げている刀は、指揮刀で突撃の時に突き刺すことが出来るようになっているだけだよ。
これは メッセージ 28762 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 目撃者証言(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/18 09:21 投稿番号: [28769 / 29399]
南京入城後、便衣平を差し出したのは南京安全委員会の連中だよ。
便衣兵の内高級将校は匿ったようだけどね。
然し内通者によって摘発されたんだよ、これ中国人。
これは メッセージ 28761 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(4)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/18 08:45 投稿番号: [28768 / 29399]
>砲兵隊を最前線に置く方が戦法として理にかなっているのだが。
↑第一線は歩兵だよ、其の歩兵を掩護するのが機関銃だよ、夫れ等を後方から支援するのは砲兵だよ。
砲兵は第一線の何処にでも掩護出来る様な場所に陣地を於くんだよ。
大砲を歩兵の前に置くのは君位だろうね、自由が利かずに、直ぐ殲滅される。
これは メッセージ 28758 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(3)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/18 08:42 投稿番号: [28767 / 29399]
>誰かが改竄したのだろう。
>資料の改竄をするお前さんがとやかくいう話ではないようだが。
↑矢張り改竄された居た、偽物と言うことだね、納得。
これは メッセージ 28757 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(2)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/18 08:41 投稿番号: [28766 / 29399]
>軍隊では階級が違えば、天国と地獄。
↑天国と地獄という事は無いよ、日本軍の場合。
司令官は、軍の先頭に居るんだよ。
歩兵第三十八連隊命令
十二月九日午後一時五十分
於
東流鎮
一.東流鎮西北側ニハ兵力不明ノ敵ヲ見ル
二.第一大隊(第三、第四中隊欠)ハ前兵トナリ前面ノ小敵ヲ撃破シ中隊ノ目標ニ向ヒ前進スベシ
三.連隊本部、第三中隊、連隊砲(一小隊欠)、速射砲1/2、野砲二小隊ハ前衛本隊トス順序ハ前兵ノ後方約七百米ヲ続行スベシ
四.余ハ前衛本隊ノ先頭ヲ行進ス
連隊長
助川大佐
>だがどこにでも世渡り上手の人間はいるもので、うまく上官に取り入って、軍の上層部の動きまで把握しているものもいたという話はよく聞く。
↑誰から聞くのか知らんが、上層部の考えが解っていれば、命令はいらんだろう、然し命令は毎日有るんだよ。
これは メッセージ 28756 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/18 08:36 投稿番号: [28765 / 29399]
使用の改竄をしても良いなどとは主張したことはないよ。
日記はやっぱり改竄されていたんだね、君の主張に依ると。
これは メッセージ 28755 (仁多 さん)への返信です.
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目撃者証言(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/17 21:55 投稿番号: [28763 / 29399]
南京事件否定派の東中野教授は
『南京事件証拠写真を検証する』
という著書で、いくつかの写真を
「検証」
してみせた。
しかし、これは
はじめから
南京虐殺とは関係ない写真ばかりを
引き合いに出し、「証拠とならない」
と言ってみせることで、
事件の証拠はない
と思わせる
トリックに
すぎなかった。
その東中野教授が、「検証」
しようとしない
写真がある。
それは、村瀬守保氏が
撮影した写真だ。
村瀬氏は、当時
目黒輜重連隊
兵站自動車第17中隊に所属し、
補給部隊として
南京戦の後を
辿りながら、貴重な記録写真を
多数
撮影した人物だ。
村瀬氏の
写真は
撮影の日時、場所、
状況などが
はっきりしているが、こうした、信憑性の高い写真を
初めから
除いたうえで
「検証した」
というのは、詐欺だ。
以下、『村瀬守保写真集
私の従軍中国戦線』
から引用する。
南京制圧
第一線に近づくにつれて、部落を通過するたびに虐殺死体が
目立ち始めました。
(略)奥の部屋に踏み込むと、下半身
裸の婦人が、下腹部を切り裂かれて、死んでいます。
少し奥には、五〜六歳の子供が、うつぶせに死んでいました。
プーンと、血生臭いにおいが、立ちこめています。 (略)
このような虐殺死体は、随所に見られました。 婦人に暴行を
加えて虐殺し、女性の性器に
棒を差し込んでおくような、
残虐な事例も
何回か目にしました。
南京の攻略が
大幅に遅れたので、第一線部隊の
兵隊は、
厳しい命令を受けて、目が血走っていました。
小休止で一緒に休んだ時の話をきくと、「南京一番乗りは
師団の至上命令だ。南京へいけば、女はいくらでもいるし、
酒もある。速くいったものは、やりたいほうだい、何でも
やれるぞ」
と上官からハッパをかけられているのです。
(略)
ようやく足止めが解除されて、ある日荷物受領に揚子江岸の
下関埠頭へ行きました。
すると、広い河岸が一杯に死体で
うまっているのです。 岸辺の泥に埋まって幅十メートル位は
あろうか、と思われる
死体の山でした。
揚子江岸で大虐殺が行われたという
その現場でしょうか、
軍服を着た者は
ほとんどなく、大部分が平服の
民間人で、
婦人や子供も
交じっているようでした。
死体に油をかけて、焼こうとしたため黒焦げになった死体も、
数多くありました。
死臭で息もつけない中を、工兵部隊が
死体を
沖に運んで
流す作業を
やっていましたが、
こんなやり方では、一〜二ヵ月は
かかりそうでした。
補給部隊が
第一線を追っていく途上で、虐殺死体が
第一線に
近づくほど目立っていった
という事実が
記されている。
否定派お得意の“中国軍の自作自演”の可能性については、一言も
述べておらず、「やりたいほうだい、何でもやれるぞ」
いう声を
聞いた事実を記すことで、実行犯が誰かなのかを
示唆している。
例によって南京虐殺否定派は、村瀬氏を
嘘つき呼ばわりするか、
あるいは、村瀬氏が見たのは
戦闘で死んだ
兵士の死体であり、
民間人というのは間違いだ
などと
主張するだろう。
しかし、当時の軍隊生活と
戦場の実体験を有する者の記述を、
現場を見ていない者が
憶測をならべて、ウソや間違いだ
などと
断じるのは、やはり
無理な話だろう。
犯行現場に居た者、目撃した者の証言は、犯罪捜査の場面でも、
また、裁判の場でも、重要な証拠として
採用されるものだ。
これは メッセージ 28762 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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目撃者証言(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/17 21:54 投稿番号: [28762 / 29399]
南京事件否定論は、いずれも「なかったはずだ」「信じられない」
「あったはずがない」
という
主観論、憶測に
過ぎない。
これに対し、その時・その現場に
居た者の証言は
客観的で、
具体的な供述であり、「直接証拠」
としての価値を有している。
前述の
井出純二氏の手記を
続けて
引用しよう。
私は
彼らが屠所へ引かれる羊のように
おとなしく
追い立てられるのが、ふしぎで
ならなかった。
(中略)
もっとも、その前に北支戦線で
やはり捕虜を日本刀で
処刑する現場を見たことがあるが、このときも観念して
おとなしく
斬られていた。
あきらめのよいのは
中国人の民族性なのだろうか。
(中略)
さていよいよ処刑が始まった。日本刀もあれば下士官用の
ダンベラを
振りかざす者もいるが、捕虜は
おとなしく
坐りこんでいる。
それを
次々に斬って、水面に
けり落しているのだが、
ダンベラは
粗末な新刀だから
斬れ味は
悪い。
一撃で首をはねることができるのは
かなりの名人で、
二度、三度と
斬りおろして
やっと首が落ちるのが
大多数だが、念入りにやるのも
面倒くさいのか、
一撃して
半死半生のままの捕虜を
けり落していた。
傍まで行くと、四十歳前後の
ヒゲの応召兵が
「戦友○○のカタキ討ちだ。
思い知れ」
と大声で
怒鳴りながら
ダンベラを
ふるっている。
(中略)
その後もう一度同じような処刑風景を見たが、別の日に
江岸で
数人の兵が
指さしながら
見物しているので、
「何ですか」
と聞いてみると、十数人の捕虜を乗せた
舟を
揚子江の中流まで
漕ぎ出して
捕虜を突き落し、
舟の上から
機銃で
射ち殺しているところだった。
その前後、江岸にたまった死体を
工兵隊らしい連中が、
舟の上からサオとカギを使って流しているのを目撃して、
カメラに収めた。
北支でも
そうだったが、こうした
処刑場面を
第三者の目から
隠そうという気持が、
当事者には
まったく
なかったようだ。
将校か指揮官でもいたら
事情を聞いてみたはずだが
姿は
なかった。
末端の兵隊に掃除させているような
感覚だったのだろう。
(中略)
そのころ
市内の電柱に、日本軍の名で
「兵器修理工場を
つくる。
少しでも
兵器取扱いの経験者は来れ、優遇する」
といった
求人広告が
貼ってあるのを見た。
中国で
兵器取扱いの経験者
といえば、旧軍人とみて
まず間違いなし
というわけで、これも
苦しまぎれの
敗残兵狩出しの
奇策だったようだ。
(1984年発行「増刊歴史と人物
秘史・太平洋戦争」より)
これは メッセージ 28761 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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目撃者証言(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/17 21:53 投稿番号: [28761 / 29399]
容疑者の自白、そして
被害者や
目撃者による
証言は、
犯罪捜査でも
裁判でも、犯行事実を証明する直接証拠となる。
南京虐殺事件に関しても、同様のことが
言える。
被害者や
目撃者の証言は、「直接証拠」
にほかならない。
当時の陸軍航空兵軍曹・飛行第8大隊付従軍記者、井出純二氏も
重要な
証言者の一人だ。
その手記を
以下に引用してみたい。
いわゆる南京虐殺事件は、十七日の入城式と
翌十八日の
慰霊祭を前に、治安の確立を焦った
日本軍が、
市民の間に逃げこんだ便衣兵を、大量に
狩り立てて
殺したのが
主体ではないか
と推測する。
中支方面軍最高指揮官である松井大将が、慰霊祭における
訓示の中で、特に軍の暴行にふれて
批難、叱責したのも、
今後の再発を予見し、戒めてのことではなかったのか。
にもかかわらず、それから
十数日経った後、南京埠頭で
私が見た
光景は、なんと
解すべきか。
軍司令官の威令、日本の軍規は、なぜに
そこまで
堕落していたのか。
ましてや
私が見た限りでは、大量、組織的、軍命令による
白昼堂々の
“公的処刑”
としか
見えなかったのは、
いったい
どうしたことなのか。
私は、松井大将の声涙くだる異例の訓示と、この現実との
相関について、いまだに
その解釈に
苦しんでいる。
(中略)
鉄橋の手前で、収容所から
運ばれてきたらしい
二十人ばかりの
中国人捕虜が
トラックから降ろされ、
江岸へ
連行されて行く。
釈放するからと偽って
連れてきたのか、みんな
大きな
フロシキ包みをかかえ、厚い綿入りの冬服を
着ていた。
軍服姿は
見当らなかったが、二十、三十歳代の男が主で、
坊主刈りが
多いので、便衣兵かなあと
眺めていた。
江岸まで200メートルもあったろうか、道路のカーブを
曲ると、江岸の斜面から水際にかけて
処刑された死体が
ゾロゾロと
重なっている。
追い立てられて
よろよろと歩いてきた
捕虜たちは
気づいて
動揺したようだが、ここまで来ると、
もう
逃げ道はない。
井出氏が
中国人捕虜の大量殺害を
目撃した時期は、
日本軍の入城・占領から、すでに
十数日が
経過していた。
当然ながら、すでに「戦闘中」
ではない。
にもかかわらず、
「大量、組織的」
な殺害が
遂行されていた
というのだ。
松井大将が
わざわざ「異例の訓示」で、「軍の暴行」にふれて
「批難、叱責した」
ほどだったが、その訓示と実際に目撃した
光景とは
相反するものであり、理解に苦しむものだった――
これが、
その時、その現場に居た者による
目撃証言だ。
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Re: 陣中日記(4)
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/17 21:10 投稿番号: [28760 / 29399]
なんだおまえ、また横から偉そうにしゃしゃり出てきやがって。
おまえは「戦前の日本の貧しい農村の娘は慰安婦婦になれて幸せだった」とぬかしたクズだろが!
クズにごちゃごちゃ言われる筋合いはない。
ところでおまえ、なんで靖国参拝しないの?
このドアあほうが!
これは メッセージ 28759 (kon**o_ano*o さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(4)
投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2012/12/17 20:17 投稿番号: [28759 / 29399]
アホ〜!偽造写真ばかりの南京大虐殺〜。
お前、本当に有ったと思ってんのかいなぁ〜。
シナ畜生どもの日本兵の殺し方学んだかいなぁ〜。
顔の皮膚を削ぎ、耳、鼻、目を刳り貫き、口にはその日本兵の一物を切り取り、口に咥えさせ窒息死させた、蛮族がシナ畜。
そのシナ畜の督戦兵って、同じシナ人の前線兵が逃亡するのを射殺したんだなぁ〜。又、塹壕では味方のシナ人を鎖で繋ぎ、逃亡を防いでいた、人間を人間とも扱わないシナ畜。
こいつ等の言う事が、南京大虐殺日本人が遣った〜!お前も洗脳されてそう思ってんのか〜。下種な日本人よの〜。
これは メッセージ 28758 (仁多 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(4)
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/17 20:02 投稿番号: [28758 / 29399]
>砲兵隊は通常数キロ以上後方に居るものだから、目撃することは無いよ。
砲兵隊を最前線に置く方が戦法として理にかなっているのだが。
これは メッセージ 28752 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(3)
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/17 20:00 投稿番号: [28757 / 29399]
>R本部とは何ぞや、軍隊用語とは違うよね。
>兵隊が使わない用語だね。
誰かが改竄したのだろう。
資料の改竄をするお前さんがとやかくいう話ではないようだが。
これは メッセージ 28751 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(2)
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/17 19:59 投稿番号: [28756 / 29399]
>上等兵が軍の動きを把握しているなど、有り得ないことだね。
軍隊では階級が違えば、天国と地獄。
だがどこにでも世渡り上手の人間はいるもので、うまく上官に取り入って、軍の上層部の動きまで把握しているものもいたという話はよく聞く。
これは メッセージ 28750 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(1)
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/17 19:54 投稿番号: [28755 / 29399]
>陣中日記の様式に反する、記録だね。
資料でさえ改竄してもよいと主張するお前さんが、たかが日記にそう固いこと言うこともあるまい。
日記くらい自由に書かせてやれ。
これは メッセージ 28749 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
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Re: ■南京市民と日本軍とのふれあい
投稿者: nidanidao 投稿日時: 2012/12/17 19:50 投稿番号: [28754 / 29399]
>餅を大量に取り寄せ、市民たちにお雑煮を振る舞ったりした。
もしそれが事実なら、この日本軍南京司令官、相当な切れ者だろう。
餌で飢えたハイエナをおびき寄せて一網打尽。
手間が省けるというわけか。
これは メッセージ 28747 (z_gusinlp さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(5)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 11:09 投稿番号: [28753 / 29399]
山砲隊に機関銃が有ったなどという事は絶対に無い。
これは メッセージ 28745 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(4)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 11:08 投稿番号: [28752 / 29399]
砲兵隊は通常数キロ以上後方に居るものだから、目撃することは無いよ。
これは メッセージ 28744 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(3)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 11:05 投稿番号: [28751 / 29399]
通信班には護衛隊が附いているのが常識で在り、通信兵が直接銃殺することは無い、通信機器を護ることが任務だからね。
R本部とは何ぞや、軍隊用語とは違うよね。
兵隊が使わない用語だね。
これは メッセージ 28743 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(2)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 10:30 投稿番号: [28750 / 29399]
上等兵が軍の動きを把握しているなど、有り得ないことだね。
これは メッセージ 28742 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28750.html
Re: 陣中日記(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 10:29 投稿番号: [28749 / 29399]
陣中日記の様式に反する、記録だね。
陣中日記、日誌は参謀が書くことに成って居る。
兵卒が書くのは軍隊手帳に書く日記だけだよ。
詳細は参謀以外には分からない。
これは メッセージ 28741 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28749.html
■南京市民と日本軍とのふれあい
投稿者: z_gvsinlp 投稿日時: 2012/12/16 21:48 投稿番号: [28747 / 29399]
http://blog-imgs-41.fc2.com/n/e/z/nezu621/20091209023704854.jpg
支那と日本の売国左翼が、1937年に起こったと捏造した「南京大虐殺」。
いまだにこういう脳腐れの人格破壊者がいるということは、ほんとうに呆れると同時に哀れさえも覚えてしまいます。
ありもしない捏造史を、さもあったことにしようとする悪質なプラパガンタなど、葬られて当然です。
この南京問題について、あらためて当時の事実を掲掲します。
南京というのは、いわゆる城砦都市です。
その南京に、蒋介石率いる国民党兵士が大量にやってきて、市民に銃を突きつけて、「これから日本がここを攻めてくるから、おまえら、銃を持って戦え!」とやった。
それが南京での戦闘のはじまりです。
南京市民は、仕方なく銃を持って、城塞の塀に並び、日本軍めがけて発砲した。
ところが、日本軍は正規の軍隊です。
南京城塞側は、国民党兵士に後ろから銃を突きつけられて、わけもわからずめくら撃ちしている市民兵です。勝負にならない。
日本軍の猛攻が始まると、国民党の連中がまっさきに逃げ出した。
銃をとっていた南京市民は、そもそも戦意は希薄です。
後ろにいた国民党兵士達がいなくなると、我先に逃げ出した。
そして南京城は、あっさりと陥落。
日本軍が入場すると、戦いのあった反対側の城砦の壁には、何本もの紐が垂れ下がり、その紐の下には、シナ人たちの銃が、投げ捨ててあった。
日本軍が、南京に入場します。そして国民党の兵士たちがさんざん荒らしまわった城内の治安を回復した。
日本の軍人たちが、市民に手を出さないとわかると、周辺に逃げていた南京市民達が戻ってきます。当然のことです。なぜか。安全で安心だからです。
それだけではない。日本軍によって南京市の治安が回復されたと知って、多くの周辺都市からもシナ人たちが集まってきた。
このため、南京城攻防戦の前の南京市の市民の数が20万人だったのに、日本軍の占領後は南京の人口は25万人に増加したのです。
年が明け、正月になると、日本軍は内地(日本本土)から、正月の松飾りや、餅を大量に取り寄せ、市民たちにお雑煮を振る舞ったりした。
日本軍舎の前では、シナ人の子どもたちが爆竹を鳴らして、歓声をあげていた。
以上が、南京で起った事実です。
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陣中日記(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:39 投稿番号: [28745 / 29399]
山砲兵第19連隊第3大隊
上等兵の日記の記述は
さらに、次のように
続いている。
拾二月拾五日
晴
南京城外其地に我が拾三師団は休養する事となった、
午前馬糧の徴発に忙しかった、敵首都南京城も助川部隊
が拾三日午前拾時三十分に占領してしまったのである、
城内にも入城する事が出来た。
拾二月拾六日
晴
午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯の目的にて馬風山
方面 に向ふ 、二三日前捕慮せし支那兵の一部五千名を
揚子江の沿岸に連れ出し
機関銃を以て射殺す、
其の后銃剣にて思う存分に突刺す、
自分も此の時ばかりと憎き支那兵を三十人も突刺した事で
あろう。
山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは
鬼をもひしがん勇気が出て力一ぱいに突刺したり、
うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も
居る、
一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、
こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、
(略)
帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。
(『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P350〜351)
次は、山砲兵第19連隊第8中隊の伍長に日記の記述。
〔十二月〕十四日
午前四時起床、直ちに出発する、道路暗くて而も寒い、
前進して午前八時頃敵の降伏兵の一団に逢ひ敗残者の
悲哀、武装解除に珍らしき目を見張る、
更に数団、全部にて三千名に達せん、
揚子江を船で逃げる兵を小銃軽機にて射撃するのも面白し、
目の前に南京城を見て降伏兵の一段を馬上より見下すのも
気持が悪くない、南京牧場宿営、女を混じへた敵兵の姿。
(略)
〔十二月〕十六日
(略)夕方二万の捕慮が火災を起し警戒に行った中隊の兵の
交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日
揚子江畔にて銃殺と決し
護衛に行く、
そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。
月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、
断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、
戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、
一生忘るる事の出来ざる光影であった。
この兵士の記録にも、大勢の捕虜を
揚子江の畔に連れ出して
機関銃による銃殺や
銃剣による刺殺によって
殺害したこと、
12月16日には、自分も30人ほどを突き殺したことなどを
記録している。
南京攻略に従軍した日本軍の兵力は約10万。
この兵士だけが特別で異常な存在でなければ、数日間のうちに
何万もの中国人を
殺害するのは、十分
可能だったろう。
これは メッセージ 28744 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:38 投稿番号: [28744 / 29399]
前述した歩兵第65連隊連隊砲中隊一等兵の陣中メモには
12月17日に
捕虜1万数千人を銃殺し、翌18日から
その遺体の片付け作業に日数が費やされたと記録している。
遺体片付けについては、同連隊所属の
別の兵士の日記にも、
次のような
記録がある。
12月18日
入城式も終はって、今度は一時にひまとなった。
朝飯を食してより南京見物に行く。
(中略)
中隊では死体片づけに全員行っている。
夕方になる。
夕飯の準備をしているうちに戦友が真っ黒な顔をして
帰ってくる。
聞いてみれば、煙にて染まったとか。
中隊全員で
朝から夕方までかかって、遺体の片付けに
当たっていた。
もちろん、日本軍兵士の遺体ではない。
次に、同じ時期のことを記録した
山砲兵第19連隊
第3大隊段列・編成
伍長の陣中日記を
引用しよう。
十二月十六日
晴天
南京城外
休養、市内に徴発に行く、(中略)午後四時山田部隊にて
捕いたる敵兵約七千人を銃殺す、揚子江岸壁も一時死人の
山となる、実に惨たる様なりき。
十二月十七日
晴天
南京城外
午前九時宿営地出発、軍司令官の南京入場式、
歴史的盛儀に参列す、
午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、
二日間にて山田部隊
二万人近く銃殺す、各部隊の捕慮は
全部銃殺するものの如し。
十二月十八日
晴天
南京城外
午前三時頃より風あり雨となる、朝起床して見ると各山々は
白く雪を頂初雪となる、
南京城内外に集結せる部隊数
約十ヶ師団との事なり、午後五時残敵一万三千程銃殺す
(『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P373)
次に、山砲兵第19連隊第3大隊
上等兵の日記を引用する。
拾二月拾三日
晴
七時半某地を出発した、揚子江附近の道路を通過する際
我が海軍の軍艦がゆうゆうと進江して居るのがよく見えた
敵の敗残兵は諸所に殺されて居た、午后八時某地に到着
宿営す。
拾二月拾四日
晴
午前三時半出発して前線に進む、(略)
途中敗残兵を
六五にて
一千八百名以上
捕慮にして
其の他沢山の
正規兵で合計五千人の敗残兵を拾三師団にて捕慮にした
全部武装解除をしたのも見事なものである、
命令我が大隊は馬風山砲台を占領して東外村に宿営す、
(略)
捕慮兵は両手をしばられ歩兵に警戒せられて或る広場に
集められて居た、馬風山砲台には日章旗高く揚げられて
万歳を唱へられた、
種々なる感想を浮べて前進を続け東外村に宿営す、(略)
これは メッセージ 28743 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:36 投稿番号: [28743 / 29399]
日本軍兵士たちの陣中日記には、南京戦を
実体験した
当事者が見た、「そのとき」の真実が
記録されている。
次に引用するのは、歩兵第65連隊
本部通信班所属の
有線分隊長・編成
伍長が残した
日記の記述だ。
十二月十四日
未明油座君支那の工兵大尉を一人とらへ来る。
年、二十五才なりと、R本部は五時出発、
吾は第五有線班の撤収をまちて八時半出発。
午後一時四十分敗残兵一人を銃殺。
敵の銃をひろひて撃てるものなり。
第一大隊は一万四千余人の捕虜を道上にカンシしあり。
天気よし、彼の工兵大尉に車をひかせて南京へ向かふ、
鹵獲銃は道路に打ちくだく。
一丘をこえて南京の城壁目(間)近に見ゆ。
城壁一千米手前にて彼の工兵大尉を切る、
沈着従容たり、時午後四時也。
午後五時半、R本部に至るも本部未着六時四十分頃着す。
十二月十五日
午前九時朝食、十時頃より×××伍長と二人して徴撥に
出かける、何もなし、唐詩三百首、一冊を得てかへる、
すでに五時なり。
揚子江岸に捕虜の銃殺を見る、
三四十名づつ一度に行ふものなり。
次は、歩兵第65連隊連隊砲中隊・編成
一等兵の陣中メモ。
〔十二、〕十四
午後五時出発夜頃より敵兵続々と捕虜トス、幕府山要塞を
占領し午後二時戦斗を中止す、廠舎に捕虜を収容し其の前
に宿営警戒す、捕虜数約一万五千。
〔十二、〕十五
今日も引続き捕虜あり、総計約弐万となる。
〔十二、〕十六
飛行便の書葉到着す、谷地より正午頃兵舎に火災あり、
約半数焼失す、夕方より捕虜の一部を揚子江岸に引出
銃殺に附す。
〔十二、〕十七
未曾有の盛儀南京入場式に参加、一時半式開始。
朝香宮殿下、松井軍司令官閣下の閲兵あり、
捕虜残部一万数千銃殺に附す
〔十二、〕十八
朝より小雪が降った、銃殺敵兵の片付に行く、臭気甚し
〔十二、〕十九
本日も敵兵の片付に行く、自分は行かなかった。
この記録によれば、12月17日の一日間、同連隊だけで
捕虜の殺害数は
1万数千人にも達したこと、
遺体の処理に日数を要し、小雪が降る季節にもかかわらず
「臭気甚だしい」
という状況だった
ということが判る。
これは メッセージ 28742 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:35 投稿番号: [28742 / 29399]
もうすこし、日本軍兵士の陣中日記を
引用してみよう。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成
上等兵の日記だ。
十二月十三日
晴
午前六時宿営出発。
余(途)中数十名の敗残兵を
射殺し
十時銃胞(砲)声の中に
入りたるの感あり、
銃胞(砲)声を近くに聞く事始めての我等は、
胸の度きをおぼゆる。いつか一ヶ中隊だけ独立となり、
且、一小隊わ将校斥候に出て居らず、此の附近、
道には地雷を二十米をき位にあり、山わざんごうあり、
鉄条網ありて厳強なる陣地の如し。
午后三時頃はからず烏龍山砲台なるを知り占領。
砲台は主として揚子江に面し陸にはとちかを築き
陣地の補強工事中なり。
十二月十四日
晴
警備。
敗残兵掃蕩のため中隊長准尉一小隊の一分隊と
我四分隊とで砲台に行く。
幾名とも知れず射殺す。
十二月十五日
晴
敗残兵数百降伏し来るとの報に一同出動、約二千米。
山中に小銃約百丁、チェック四、銃重機二其の他多数の
弾薬を置き逃走。右武器を前日占領の自動車にて中隊に
運ぶ。
(略)
十二月十七日
晴
警備。(略)毎日敗残兵の銃殺幾名とも知れず。
毎日、敗残兵を
銃殺した。
その数は、「幾名とも知れず」
という記録だ。
次は、歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充
少尉の日記だ。
十二月十五日
一昨日来の疲れのため下士官以下に警戒をたのみ睡眠す
本日も出発の様子なく警戒に任ず。中隊は衛兵を多数出し
又自分は巡察将校を命ぜられ全く警戒のため非常に疲労す。
夕方より一部食事をやる、兵へも食糧配給出来ざる様にて
捕慮兵の給食は勿論容易なるものでない。
十二月十六日
警戒の厳重は益々加はりそれでも(午)前十時に
第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも
疎の間で午食事中俄に火災起り
非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時
大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮兵約三千を
揚子江岸に引率し之を射殺す、
戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。
参考資料:『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
小野賢二ほか編、大月書店(1996年3月発行)
これは メッセージ 28741 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:32 投稿番号: [28741 / 29399]
盛んに「虐殺事件マボロシ論」
を振り回すヤカラの中には、
何十万人もの捕虜を殺害することなど物理的に不可能だから
大虐殺があったという証言はウソだ、などと大マジメな顔で
決めつける者もいる。
じつに正直に、みずから
見識の乏しさを
披瀝するものだ。
大量虐殺は、南京城陥落直後の数日間に限ったことではなく、
長期にわたる攻防戦と
占領後の掃蕩作戦の中で
発生した
事件であることを理解すべきだ。
そして、一部の無法者が
犯した行為ではなく、数万にのぼる
武装兵士が、組織的に
実行したのだ。
近代軍が、何万の生命を奪うことは
可能だ。
その実態は、夥しい証言と記事により
明らかになっている。
一例として
南京戦にあたった将校の陣中日記が現存している。
以下は、歩兵第65連隊第1大隊に所属した
上等兵の日記だ。
◇十二月十四日
朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り
計一万五千名位 。
◇十二月十五日
今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。
◇十二月十六日
今日南京城に物資徴発に行く。
捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
◇十二月十七日
今日は南京入城なり(一部分)。
俺等は今日も捕虜の始末だ。
一万五千名、今日は山で。
大隊で負傷、戦死有り。
第65連隊の
第1大隊だけで、しかも
2日間だけで、
捕虜を
1万7500名も
殺害した
という記録だ。
日本軍全体で、捕虜の処理に
何日間もかけたとすれば、
殺害された捕虜の総数は、想像を絶する。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成
上等兵の日記だ。
拾二月拾七日
(略)午后一時から
南京入場式。
夕方は
大隊と一所の処で
四中隊で
一泊した。
その夜は
敵のほりょ二万人ばかり揚子江にて銃殺した。
拾二月拾八日
大隊本部に行った、そして午后
銃殺場所見学した、
実にひどいざん場でした。
やはり、戦闘によって
ではなく、「捕虜」にした敵兵を
大量に
銃殺処分にした
ということを
記録している。
降伏した敵兵、捕虜を
武装解除後に
殺害することは
違法行為であり、それ以前に
人道上許されない蛮行だ。
参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編
(増補改訂版
平成5年12月8日)
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Re: 日本歴史学習事典(1)
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/12/16 16:30 投稿番号: [28740 / 29399]
>国際的には
疑いのない歴史的事実として
認識されているが、
だからどうしたってことだな。真実は必ずしも多数決では決まらない。
それに、
>「1937年
12月13日に
南京を占領した
日本軍は、
住民を
巻き込んだ
包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を
展開した。
日本軍は住民の大多数が避難していた国際安全区に攻撃を加えないよう十分注意した。戦闘後、安全区国際委員会から感謝状がでているくらいだ。この時点で、この事典の信憑性がおおきくゆらぐ。
>この時、すでに
戦闘部隊の体をなさず、戦意を
喪失した
膨大な数の
投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
違反して
処刑、殺害した。」
そもそも総指揮官唐生智が戦闘直前に部下を置き去りにして敵前逃亡したのが「戦闘部隊の体をなさず」の一番の原因。この唐生智は、独軍事顧問等の強い降伏勧告に対して、自己の見栄から南京死守を主張して気乗りのしない蒋介石を説き伏せて徹底抗戦にもっていった張本人だ。それが敵前逃亡とは。
>投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に違反して
処刑、殺害した。
国際法に違反したかどうか議論のあるところ。そもそも敗残兵掃討は戦闘の常識だろう。「投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵」一把一からげにして同列に扱うのは印象操作だ。また、膨大な数の「軍民」がと軍と市民を一把一からげにするのも同様。
要するに、学者、専門家を含む大多数の日本人そのものがいまだに戦後レジームの中に浸っているのだから、このような記述がなされるのは当然だ。それを真実のごとく振り回すやつは滑稽だ。
これは メッセージ 28729 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 日本歴史学習事典(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/16 12:16 投稿番号: [28739 / 29399]
「1937年
12月13日に
南京を占領した
日本軍は、
住民を
巻き込んだ
包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を
展開した。
この時、すでに
戦闘部隊の体をなさず、戦意を
喪失した
膨大な数の
投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
違反して
処刑、殺害した。」
↑この様は馬鹿なことを各専門家が居ることは嘆かわしいよね。
以下に当日の戦闘状況を示しましょうね。
一一四師作命第六十二号
第百十四師団命令十二月十三日午前九時半於朱家楼子北方高地
一.城内ノ敵ハ頑強ニ抵抗シツツアリ
国崎支隊ハ既ニ浦口ニ達シ敵ノ退路ヲ遮断シアリ集団ノ掃蕩地区ハ共和門―公園道―中正道―漢中路ノ線(含ム)以南ノ地区トス
二.師団ハ攻撃ヲ続行シ城内ノ敵ヲ殲滅スベシ
三.両翼隊ハ城内ニ進入シ砲撃ハ固ヨリ凡ユル手段ヲ盡クシテ敵ヲ殲滅スベシ
之ガ為要スレバ城内ヲ焼却シ特ニ敗敵ノ欺騙行為ニ乗ゼラレザルヲ要ス
両翼隊砲兵ノ配属ヲ解ク
四.砲兵隊ハ逐次陣地ヲ曽家門李家凹付近ノ線ニ推進シ城内ノ破壊ニ任ジ且両翼隊ノ城内掃蕩ニ協力スベシ
五.騎兵隊ハ前任務ヲ続行スベシ
六.戦車第五大隊ハ城内ニ進入シ両翼隊ノ掃蕩ニ協力スベシ
七.師団通信隊ハ前任務ヲ続行スベシ
八.予備隊ハ箕家門(曽家門)ニ位置スベシ
九.余ハ箕家門(曽家門)ニ至ルベシ
師団長
末松
中将
下達法
要旨ヲ電話シ後命令受領者ヲ集メ口達筆記セシム
第二.所見
一.戦場ノ地形ト敵陣施設ニ対スル観察
戦場一般ノ地形ハ湖東平地ノ如ク「クリーク」ノ数多カラズト雖起伏多ク蔭蔽錯雑ニシテ展望不良ナリ
南京南方ノ台地ニ於イテ殊ニ然リ
敵ハコノ地形ヲ利用シテ数線ニ鉄条網ヲ有スル「トーチカ」陣地ヲ構築シ且巧ミニ偽装シアルタメ之ガ偵察ニハ特別ノ困難ヲ感ジタリ
飛行機ノ通報ノ如キモ概略ノ陣地線ハ示サレアルモ「トーチカ」位置ノ如キハ確認シ得ザルガ如シ
今回ノ攻撃ハ之等充分ニ施設セラレタル陣地ニ対シ殆ド奇襲敵遭遇戦的ニ攻撃ヲ敢行シタルモノニシテ準備ニ於テハ必ズシモ遺憾ナシト断言シ得ザルモノアリト雖志気上ニ於ケル差異ノ他前述ノ地形ニヨリ却ッテ我ハ隱蔽接近シテ一挙ニ突撃スルノ利点ヲ獲得シ比較的損害ヲ少ナクシテ成功ヲ見ルニ至リタルモノト思考ス
二.本地方ノ作戦ニ於ハ成ルベク多クノ山砲ヲ有セシムルヲ可トス
如何ニ奇襲的ニ攻撃スル場合ト雖施設充分ナル陣地ニ対シテハ必ズ砲兵火力ノ協力ヲ得ルコト必要ナリ
而シテ前述ノ如キ波状地帯ナルニ鑑ミルトキ砲兵ハ山砲ヲ可トシ成ルベク多ク之ヲ有セシムルヲ適当ナリト思考ス
三.本地方ノ作戦ニ於ハ成ルベク多クノ工兵ヲ有セシムルヲ可トス
之ガ為師団工兵連隊ノ中隊ハ三個ナルヲ要ス
本地方ハ比較的「クリーク」ノ数少ナシト雖猶多数ノ橋梁破壊サレアルタメニ全般的ノ行動ガ著シク阻害セラレタル例少ナカラズ
且道路外ヲ車両ノ通過スルコト困難ナルタメ砲兵陣地ノ如キハ道路ニ沿ヒて重畳的配備セザルノ已ム得ザルニ至リシコト少ナカラズ之等ノ不利ヲ速ニ医スルタメニハ努メテ多ク工兵ヲ使用シ得シムルヲ要ス
歩工兵ノ協力ニヨリ陣地直前ノ障害物ヲ破壊セザルベカラザル場合多キニ於テ殊ニ然リ
之ガタメ師団工兵中隊数ハ三個トスルヲ要ス
二ヶ中隊ハ工兵兵力ノ重点形勢ニ於イテ亦不利ナルモノアリ
四.特設師団ニモ中隊ニ少ナクモ一人ノ現役将校ヲ有セシムルヲ要ス
特設師団ニ於イテ尤モ感ズルは幹部特ニ中隊以下ノ幹部ノ能力不充分ナルコト之ナリ
而シテ其ノ原因ハ之等幹部ノ殆ド全部ガ予備役ヲ以テ充当セラレアルニヨラズンバアラズ
兵ノ能力勇敢サニ於イテハ見ルベキモノ少ナカラズ
只中隊長以下ノ幹部ノ能力足ラザルタメ隊トシテ活動価値ニ於イテ甚ダ遺憾ニ感ゼラルモノナシトセズ
是ガ為少ナクモ中隊内に活動ノ基幹タルベキ現役将校一人ヲ有セシムルヲ必要ト感ズ
これは メッセージ 28729 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 日本歴史学習事典(4)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/16 04:17 投稿番号: [28738 / 29399]
>辞書や百科事典類は、当然
素人が執筆するものではない。
少なくとも
日本で発行されている
辞書・事典については
専門知識を有すると社会的に公認される
各分野の権威が
相当の研究成果と
学術的根拠に基づいて
編纂している。
↑其の専門家が資料を無視しているんだよね。
中国の顔色を窺って、歴史を歪曲しているのは明白だよ。
日中歴史研究会の解説ではそう言っていたね、日本は負けたから仕方が無いとね、日本の主張は通せないと。
これは メッセージ 28733 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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