南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実
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Re: 陣中日記(4)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 11:08 投稿番号: [28752 / 29399]
砲兵隊は通常数キロ以上後方に居るものだから、目撃することは無いよ。
これは メッセージ 28744 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(3)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 11:05 投稿番号: [28751 / 29399]
通信班には護衛隊が附いているのが常識で在り、通信兵が直接銃殺することは無い、通信機器を護ることが任務だからね。
R本部とは何ぞや、軍隊用語とは違うよね。
兵隊が使わない用語だね。
これは メッセージ 28743 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(2)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 10:30 投稿番号: [28750 / 29399]
上等兵が軍の動きを把握しているなど、有り得ないことだね。
これは メッセージ 28742 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 陣中日記(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/17 10:29 投稿番号: [28749 / 29399]
陣中日記の様式に反する、記録だね。
陣中日記、日誌は参謀が書くことに成って居る。
兵卒が書くのは軍隊手帳に書く日記だけだよ。
詳細は参謀以外には分からない。
これは メッセージ 28741 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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■南京市民と日本軍とのふれあい
投稿者: z_gvsinlp 投稿日時: 2012/12/16 21:48 投稿番号: [28747 / 29399]
http://blog-imgs-41.fc2.com/n/e/z/nezu621/20091209023704854.jpg
支那と日本の売国左翼が、1937年に起こったと捏造した「南京大虐殺」。
いまだにこういう脳腐れの人格破壊者がいるということは、ほんとうに呆れると同時に哀れさえも覚えてしまいます。
ありもしない捏造史を、さもあったことにしようとする悪質なプラパガンタなど、葬られて当然です。
この南京問題について、あらためて当時の事実を掲掲します。
南京というのは、いわゆる城砦都市です。
その南京に、蒋介石率いる国民党兵士が大量にやってきて、市民に銃を突きつけて、「これから日本がここを攻めてくるから、おまえら、銃を持って戦え!」とやった。
それが南京での戦闘のはじまりです。
南京市民は、仕方なく銃を持って、城塞の塀に並び、日本軍めがけて発砲した。
ところが、日本軍は正規の軍隊です。
南京城塞側は、国民党兵士に後ろから銃を突きつけられて、わけもわからずめくら撃ちしている市民兵です。勝負にならない。
日本軍の猛攻が始まると、国民党の連中がまっさきに逃げ出した。
銃をとっていた南京市民は、そもそも戦意は希薄です。
後ろにいた国民党兵士達がいなくなると、我先に逃げ出した。
そして南京城は、あっさりと陥落。
日本軍が入場すると、戦いのあった反対側の城砦の壁には、何本もの紐が垂れ下がり、その紐の下には、シナ人たちの銃が、投げ捨ててあった。
日本軍が、南京に入場します。そして国民党の兵士たちがさんざん荒らしまわった城内の治安を回復した。
日本の軍人たちが、市民に手を出さないとわかると、周辺に逃げていた南京市民達が戻ってきます。当然のことです。なぜか。安全で安心だからです。
それだけではない。日本軍によって南京市の治安が回復されたと知って、多くの周辺都市からもシナ人たちが集まってきた。
このため、南京城攻防戦の前の南京市の市民の数が20万人だったのに、日本軍の占領後は南京の人口は25万人に増加したのです。
年が明け、正月になると、日本軍は内地(日本本土)から、正月の松飾りや、餅を大量に取り寄せ、市民たちにお雑煮を振る舞ったりした。
日本軍舎の前では、シナ人の子どもたちが爆竹を鳴らして、歓声をあげていた。
以上が、南京で起った事実です。
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陣中日記(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:39 投稿番号: [28745 / 29399]
山砲兵第19連隊第3大隊
上等兵の日記の記述は
さらに、次のように
続いている。
拾二月拾五日
晴
南京城外其地に我が拾三師団は休養する事となった、
午前馬糧の徴発に忙しかった、敵首都南京城も助川部隊
が拾三日午前拾時三十分に占領してしまったのである、
城内にも入城する事が出来た。
拾二月拾六日
晴
午后一時我が段列より二十名は残兵掃湯の目的にて馬風山
方面 に向ふ 、二三日前捕慮せし支那兵の一部五千名を
揚子江の沿岸に連れ出し
機関銃を以て射殺す、
其の后銃剣にて思う存分に突刺す、
自分も此の時ばかりと憎き支那兵を三十人も突刺した事で
あろう。
山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは
鬼をもひしがん勇気が出て力一ぱいに突刺したり、
うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も
居る、
一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、
こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった、
(略)
帰りし時は午后八時となり腕は相当つかれて居た。
(『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P350〜351)
次は、山砲兵第19連隊第8中隊の伍長に日記の記述。
〔十二月〕十四日
午前四時起床、直ちに出発する、道路暗くて而も寒い、
前進して午前八時頃敵の降伏兵の一団に逢ひ敗残者の
悲哀、武装解除に珍らしき目を見張る、
更に数団、全部にて三千名に達せん、
揚子江を船で逃げる兵を小銃軽機にて射撃するのも面白し、
目の前に南京城を見て降伏兵の一段を馬上より見下すのも
気持が悪くない、南京牧場宿営、女を混じへた敵兵の姿。
(略)
〔十二月〕十六日
(略)夕方二万の捕慮が火災を起し警戒に行った中隊の兵の
交代に行く、遂に二万の内三分の一、七千人を今日
揚子江畔にて銃殺と決し
護衛に行く、
そして全部処分を終る、生き残りを銃剣にて刺殺する。
月は十四日、山の端にかかり皎々として青き影の処、
断末魔の苦しみの声は全く惨しさこの上なし、
戦場ならざれば見るを得ざるところなり、九時半頃帰る、
一生忘るる事の出来ざる光影であった。
この兵士の記録にも、大勢の捕虜を
揚子江の畔に連れ出して
機関銃による銃殺や
銃剣による刺殺によって
殺害したこと、
12月16日には、自分も30人ほどを突き殺したことなどを
記録している。
南京攻略に従軍した日本軍の兵力は約10万。
この兵士だけが特別で異常な存在でなければ、数日間のうちに
何万もの中国人を
殺害するのは、十分
可能だったろう。
これは メッセージ 28744 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:38 投稿番号: [28744 / 29399]
前述した歩兵第65連隊連隊砲中隊一等兵の陣中メモには
12月17日に
捕虜1万数千人を銃殺し、翌18日から
その遺体の片付け作業に日数が費やされたと記録している。
遺体片付けについては、同連隊所属の
別の兵士の日記にも、
次のような
記録がある。
12月18日
入城式も終はって、今度は一時にひまとなった。
朝飯を食してより南京見物に行く。
(中略)
中隊では死体片づけに全員行っている。
夕方になる。
夕飯の準備をしているうちに戦友が真っ黒な顔をして
帰ってくる。
聞いてみれば、煙にて染まったとか。
中隊全員で
朝から夕方までかかって、遺体の片付けに
当たっていた。
もちろん、日本軍兵士の遺体ではない。
次に、同じ時期のことを記録した
山砲兵第19連隊
第3大隊段列・編成
伍長の陣中日記を
引用しよう。
十二月十六日
晴天
南京城外
休養、市内に徴発に行く、(中略)午後四時山田部隊にて
捕いたる敵兵約七千人を銃殺す、揚子江岸壁も一時死人の
山となる、実に惨たる様なりき。
十二月十七日
晴天
南京城外
午前九時宿営地出発、軍司令官の南京入場式、
歴史的盛儀に参列す、
午後五時敵兵約一万三千名を銃殺の使役に行く、
二日間にて山田部隊
二万人近く銃殺す、各部隊の捕慮は
全部銃殺するものの如し。
十二月十八日
晴天
南京城外
午前三時頃より風あり雨となる、朝起床して見ると各山々は
白く雪を頂初雪となる、
南京城内外に集結せる部隊数
約十ヶ師団との事なり、午後五時残敵一万三千程銃殺す
(『南京大虐殺を記録した皇軍たち』P373)
次に、山砲兵第19連隊第3大隊
上等兵の日記を引用する。
拾二月拾三日
晴
七時半某地を出発した、揚子江附近の道路を通過する際
我が海軍の軍艦がゆうゆうと進江して居るのがよく見えた
敵の敗残兵は諸所に殺されて居た、午后八時某地に到着
宿営す。
拾二月拾四日
晴
午前三時半出発して前線に進む、(略)
途中敗残兵を
六五にて
一千八百名以上
捕慮にして
其の他沢山の
正規兵で合計五千人の敗残兵を拾三師団にて捕慮にした
全部武装解除をしたのも見事なものである、
命令我が大隊は馬風山砲台を占領して東外村に宿営す、
(略)
捕慮兵は両手をしばられ歩兵に警戒せられて或る広場に
集められて居た、馬風山砲台には日章旗高く揚げられて
万歳を唱へられた、
種々なる感想を浮べて前進を続け東外村に宿営す、(略)
これは メッセージ 28743 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:36 投稿番号: [28743 / 29399]
日本軍兵士たちの陣中日記には、南京戦を
実体験した
当事者が見た、「そのとき」の真実が
記録されている。
次に引用するのは、歩兵第65連隊
本部通信班所属の
有線分隊長・編成
伍長が残した
日記の記述だ。
十二月十四日
未明油座君支那の工兵大尉を一人とらへ来る。
年、二十五才なりと、R本部は五時出発、
吾は第五有線班の撤収をまちて八時半出発。
午後一時四十分敗残兵一人を銃殺。
敵の銃をひろひて撃てるものなり。
第一大隊は一万四千余人の捕虜を道上にカンシしあり。
天気よし、彼の工兵大尉に車をひかせて南京へ向かふ、
鹵獲銃は道路に打ちくだく。
一丘をこえて南京の城壁目(間)近に見ゆ。
城壁一千米手前にて彼の工兵大尉を切る、
沈着従容たり、時午後四時也。
午後五時半、R本部に至るも本部未着六時四十分頃着す。
十二月十五日
午前九時朝食、十時頃より×××伍長と二人して徴撥に
出かける、何もなし、唐詩三百首、一冊を得てかへる、
すでに五時なり。
揚子江岸に捕虜の銃殺を見る、
三四十名づつ一度に行ふものなり。
次は、歩兵第65連隊連隊砲中隊・編成
一等兵の陣中メモ。
〔十二、〕十四
午後五時出発夜頃より敵兵続々と捕虜トス、幕府山要塞を
占領し午後二時戦斗を中止す、廠舎に捕虜を収容し其の前
に宿営警戒す、捕虜数約一万五千。
〔十二、〕十五
今日も引続き捕虜あり、総計約弐万となる。
〔十二、〕十六
飛行便の書葉到着す、谷地より正午頃兵舎に火災あり、
約半数焼失す、夕方より捕虜の一部を揚子江岸に引出
銃殺に附す。
〔十二、〕十七
未曾有の盛儀南京入場式に参加、一時半式開始。
朝香宮殿下、松井軍司令官閣下の閲兵あり、
捕虜残部一万数千銃殺に附す
〔十二、〕十八
朝より小雪が降った、銃殺敵兵の片付に行く、臭気甚し
〔十二、〕十九
本日も敵兵の片付に行く、自分は行かなかった。
この記録によれば、12月17日の一日間、同連隊だけで
捕虜の殺害数は
1万数千人にも達したこと、
遺体の処理に日数を要し、小雪が降る季節にもかかわらず
「臭気甚だしい」
という状況だった
ということが判る。
これは メッセージ 28742 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:35 投稿番号: [28742 / 29399]
もうすこし、日本軍兵士の陣中日記を
引用してみよう。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成
上等兵の日記だ。
十二月十三日
晴
午前六時宿営出発。
余(途)中数十名の敗残兵を
射殺し
十時銃胞(砲)声の中に
入りたるの感あり、
銃胞(砲)声を近くに聞く事始めての我等は、
胸の度きをおぼゆる。いつか一ヶ中隊だけ独立となり、
且、一小隊わ将校斥候に出て居らず、此の附近、
道には地雷を二十米をき位にあり、山わざんごうあり、
鉄条網ありて厳強なる陣地の如し。
午后三時頃はからず烏龍山砲台なるを知り占領。
砲台は主として揚子江に面し陸にはとちかを築き
陣地の補強工事中なり。
十二月十四日
晴
警備。
敗残兵掃蕩のため中隊長准尉一小隊の一分隊と
我四分隊とで砲台に行く。
幾名とも知れず射殺す。
十二月十五日
晴
敗残兵数百降伏し来るとの報に一同出動、約二千米。
山中に小銃約百丁、チェック四、銃重機二其の他多数の
弾薬を置き逃走。右武器を前日占領の自動車にて中隊に
運ぶ。
(略)
十二月十七日
晴
警備。(略)毎日敗残兵の銃殺幾名とも知れず。
毎日、敗残兵を
銃殺した。
その数は、「幾名とも知れず」
という記録だ。
次は、歩兵第65連隊第4中隊・第3次補充
少尉の日記だ。
十二月十五日
一昨日来の疲れのため下士官以下に警戒をたのみ睡眠す
本日も出発の様子なく警戒に任ず。中隊は衛兵を多数出し
又自分は巡察将校を命ぜられ全く警戒のため非常に疲労す。
夕方より一部食事をやる、兵へも食糧配給出来ざる様にて
捕慮兵の給食は勿論容易なるものでない。
十二月十六日
警戒の厳重は益々加はりそれでも(午)前十時に
第二中隊と衛兵を交代し一安心す、しかし其れも
疎の間で午食事中俄に火災起り
非常なる騒ぎとなり三分の一程延焼す、午后三時
大隊は最後の取るべき手段を決し、捕慮兵約三千を
揚子江岸に引率し之を射殺す、
戦場ならでは出来ず又見れぬ 光景である。
参考資料:『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』
小野賢二ほか編、大月書店(1996年3月発行)
これは メッセージ 28741 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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陣中日記(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 17:32 投稿番号: [28741 / 29399]
盛んに「虐殺事件マボロシ論」
を振り回すヤカラの中には、
何十万人もの捕虜を殺害することなど物理的に不可能だから
大虐殺があったという証言はウソだ、などと大マジメな顔で
決めつける者もいる。
じつに正直に、みずから
見識の乏しさを
披瀝するものだ。
大量虐殺は、南京城陥落直後の数日間に限ったことではなく、
長期にわたる攻防戦と
占領後の掃蕩作戦の中で
発生した
事件であることを理解すべきだ。
そして、一部の無法者が
犯した行為ではなく、数万にのぼる
武装兵士が、組織的に
実行したのだ。
近代軍が、何万の生命を奪うことは
可能だ。
その実態は、夥しい証言と記事により
明らかになっている。
一例として
南京戦にあたった将校の陣中日記が現存している。
以下は、歩兵第65連隊第1大隊に所属した
上等兵の日記だ。
◇十二月十四日
朝四時出発。三十分位にて捕虜千名、十時頃二千名位有り
計一万五千名位 。
◇十二月十五日
今日一日捕虜多く来たり、いそがしい。
◇十二月十六日
今日南京城に物資徴発に行く。
捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。
◇十二月十七日
今日は南京入城なり(一部分)。
俺等は今日も捕虜の始末だ。
一万五千名、今日は山で。
大隊で負傷、戦死有り。
第65連隊の
第1大隊だけで、しかも
2日間だけで、
捕虜を
1万7500名も
殺害した
という記録だ。
日本軍全体で、捕虜の処理に
何日間もかけたとすれば、
殺害された捕虜の総数は、想像を絶する。
次は、歩兵第65連隊第1中隊・編成
上等兵の日記だ。
拾二月拾七日
(略)午后一時から
南京入場式。
夕方は
大隊と一所の処で
四中隊で
一泊した。
その夜は
敵のほりょ二万人ばかり揚子江にて銃殺した。
拾二月拾八日
大隊本部に行った、そして午后
銃殺場所見学した、
実にひどいざん場でした。
やはり、戦闘によって
ではなく、「捕虜」にした敵兵を
大量に
銃殺処分にした
ということを
記録している。
降伏した敵兵、捕虜を
武装解除後に
殺害することは
違法行為であり、それ以前に
人道上許されない蛮行だ。
参考資料:『南京戦史資料集2』南京戦史編集委員会編
(増補改訂版
平成5年12月8日)
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Re: 日本歴史学習事典(1)
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/12/16 16:30 投稿番号: [28740 / 29399]
>国際的には
疑いのない歴史的事実として
認識されているが、
だからどうしたってことだな。真実は必ずしも多数決では決まらない。
それに、
>「1937年
12月13日に
南京を占領した
日本軍は、
住民を
巻き込んだ
包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を
展開した。
日本軍は住民の大多数が避難していた国際安全区に攻撃を加えないよう十分注意した。戦闘後、安全区国際委員会から感謝状がでているくらいだ。この時点で、この事典の信憑性がおおきくゆらぐ。
>この時、すでに
戦闘部隊の体をなさず、戦意を
喪失した
膨大な数の
投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
違反して
処刑、殺害した。」
そもそも総指揮官唐生智が戦闘直前に部下を置き去りにして敵前逃亡したのが「戦闘部隊の体をなさず」の一番の原因。この唐生智は、独軍事顧問等の強い降伏勧告に対して、自己の見栄から南京死守を主張して気乗りのしない蒋介石を説き伏せて徹底抗戦にもっていった張本人だ。それが敵前逃亡とは。
>投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に違反して
処刑、殺害した。
国際法に違反したかどうか議論のあるところ。そもそも敗残兵掃討は戦闘の常識だろう。「投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵」一把一からげにして同列に扱うのは印象操作だ。また、膨大な数の「軍民」がと軍と市民を一把一からげにするのも同様。
要するに、学者、専門家を含む大多数の日本人そのものがいまだに戦後レジームの中に浸っているのだから、このような記述がなされるのは当然だ。それを真実のごとく振り回すやつは滑稽だ。
これは メッセージ 28729 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 日本歴史学習事典(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/16 12:16 投稿番号: [28739 / 29399]
「1937年
12月13日に
南京を占領した
日本軍は、
住民を
巻き込んだ
包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を
展開した。
この時、すでに
戦闘部隊の体をなさず、戦意を
喪失した
膨大な数の
投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
違反して
処刑、殺害した。」
↑この様は馬鹿なことを各専門家が居ることは嘆かわしいよね。
以下に当日の戦闘状況を示しましょうね。
一一四師作命第六十二号
第百十四師団命令十二月十三日午前九時半於朱家楼子北方高地
一.城内ノ敵ハ頑強ニ抵抗シツツアリ
国崎支隊ハ既ニ浦口ニ達シ敵ノ退路ヲ遮断シアリ集団ノ掃蕩地区ハ共和門―公園道―中正道―漢中路ノ線(含ム)以南ノ地区トス
二.師団ハ攻撃ヲ続行シ城内ノ敵ヲ殲滅スベシ
三.両翼隊ハ城内ニ進入シ砲撃ハ固ヨリ凡ユル手段ヲ盡クシテ敵ヲ殲滅スベシ
之ガ為要スレバ城内ヲ焼却シ特ニ敗敵ノ欺騙行為ニ乗ゼラレザルヲ要ス
両翼隊砲兵ノ配属ヲ解ク
四.砲兵隊ハ逐次陣地ヲ曽家門李家凹付近ノ線ニ推進シ城内ノ破壊ニ任ジ且両翼隊ノ城内掃蕩ニ協力スベシ
五.騎兵隊ハ前任務ヲ続行スベシ
六.戦車第五大隊ハ城内ニ進入シ両翼隊ノ掃蕩ニ協力スベシ
七.師団通信隊ハ前任務ヲ続行スベシ
八.予備隊ハ箕家門(曽家門)ニ位置スベシ
九.余ハ箕家門(曽家門)ニ至ルベシ
師団長
末松
中将
下達法
要旨ヲ電話シ後命令受領者ヲ集メ口達筆記セシム
第二.所見
一.戦場ノ地形ト敵陣施設ニ対スル観察
戦場一般ノ地形ハ湖東平地ノ如ク「クリーク」ノ数多カラズト雖起伏多ク蔭蔽錯雑ニシテ展望不良ナリ
南京南方ノ台地ニ於イテ殊ニ然リ
敵ハコノ地形ヲ利用シテ数線ニ鉄条網ヲ有スル「トーチカ」陣地ヲ構築シ且巧ミニ偽装シアルタメ之ガ偵察ニハ特別ノ困難ヲ感ジタリ
飛行機ノ通報ノ如キモ概略ノ陣地線ハ示サレアルモ「トーチカ」位置ノ如キハ確認シ得ザルガ如シ
今回ノ攻撃ハ之等充分ニ施設セラレタル陣地ニ対シ殆ド奇襲敵遭遇戦的ニ攻撃ヲ敢行シタルモノニシテ準備ニ於テハ必ズシモ遺憾ナシト断言シ得ザルモノアリト雖志気上ニ於ケル差異ノ他前述ノ地形ニヨリ却ッテ我ハ隱蔽接近シテ一挙ニ突撃スルノ利点ヲ獲得シ比較的損害ヲ少ナクシテ成功ヲ見ルニ至リタルモノト思考ス
二.本地方ノ作戦ニ於ハ成ルベク多クノ山砲ヲ有セシムルヲ可トス
如何ニ奇襲的ニ攻撃スル場合ト雖施設充分ナル陣地ニ対シテハ必ズ砲兵火力ノ協力ヲ得ルコト必要ナリ
而シテ前述ノ如キ波状地帯ナルニ鑑ミルトキ砲兵ハ山砲ヲ可トシ成ルベク多ク之ヲ有セシムルヲ適当ナリト思考ス
三.本地方ノ作戦ニ於ハ成ルベク多クノ工兵ヲ有セシムルヲ可トス
之ガ為師団工兵連隊ノ中隊ハ三個ナルヲ要ス
本地方ハ比較的「クリーク」ノ数少ナシト雖猶多数ノ橋梁破壊サレアルタメニ全般的ノ行動ガ著シク阻害セラレタル例少ナカラズ
且道路外ヲ車両ノ通過スルコト困難ナルタメ砲兵陣地ノ如キハ道路ニ沿ヒて重畳的配備セザルノ已ム得ザルニ至リシコト少ナカラズ之等ノ不利ヲ速ニ医スルタメニハ努メテ多ク工兵ヲ使用シ得シムルヲ要ス
歩工兵ノ協力ニヨリ陣地直前ノ障害物ヲ破壊セザルベカラザル場合多キニ於テ殊ニ然リ
之ガタメ師団工兵中隊数ハ三個トスルヲ要ス
二ヶ中隊ハ工兵兵力ノ重点形勢ニ於イテ亦不利ナルモノアリ
四.特設師団ニモ中隊ニ少ナクモ一人ノ現役将校ヲ有セシムルヲ要ス
特設師団ニ於イテ尤モ感ズルは幹部特ニ中隊以下ノ幹部ノ能力不充分ナルコト之ナリ
而シテ其ノ原因ハ之等幹部ノ殆ド全部ガ予備役ヲ以テ充当セラレアルニヨラズンバアラズ
兵ノ能力勇敢サニ於イテハ見ルベキモノ少ナカラズ
只中隊長以下ノ幹部ノ能力足ラザルタメ隊トシテ活動価値ニ於イテ甚ダ遺憾ニ感ゼラルモノナシトセズ
是ガ為少ナクモ中隊内に活動ノ基幹タルベキ現役将校一人ヲ有セシムルヲ必要ト感ズ
これは メッセージ 28729 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 日本歴史学習事典(4)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/16 04:17 投稿番号: [28738 / 29399]
>辞書や百科事典類は、当然
素人が執筆するものではない。
少なくとも
日本で発行されている
辞書・事典については
専門知識を有すると社会的に公認される
各分野の権威が
相当の研究成果と
学術的根拠に基づいて
編纂している。
↑其の専門家が資料を無視しているんだよね。
中国の顔色を窺って、歴史を歪曲しているのは明白だよ。
日中歴史研究会の解説ではそう言っていたね、日本は負けたから仕方が無いとね、日本の主張は通せないと。
これは メッセージ 28733 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 日本歴史学習事典(3)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/16 04:14 投稿番号: [28737 / 29399]
南京の解説に使われている、資料の出所は不明だよね。
戦闘詳報の命令書には、平凡社のような記述は何処にも無い。
これは メッセージ 28731 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 日本歴史学習事典(2)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/16 00:48 投稿番号: [28736 / 29399]
国語辞書 − 大辞泉
goo国語辞書は、約24万2,000語(2010年7月現在)を収録した小学館提供の『デジタル大辞泉』を搭載しています。本辞典は、現代日本語をはじめ、カタカナ語・古語・専門語・故事・慣用句などを収録した本格的な大型国語辞典です。また、デジタルデータの特性を生かし、年3回の定期更新によって、政治・経済・医学・ITなど最新用語の追加や、時代とともに変化する記述内容の修正を行っています。
これは メッセージ 28730 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 日本歴史学習事典(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/16 00:47 投稿番号: [28735 / 29399]
国語辞典は歴史書では無い。
馬鹿じゃないのかね、(嘲笑
これは メッセージ 28729 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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日本歴史学習事典(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 00:01 投稿番号: [28734 / 29399]
日本で発刊されている主な辞書事典類、歴史専門書などで
南京虐殺事件そのものを否定して
記述しているものは、
一つもないだろう。
いずれも
学術的な書籍だからだ。
純粋な学問とは次元の異なる
イデオロギー、政治思想が
絡んできて、はじめて
「虐殺はウソ」、「捏造」
という
否定論が
持ち出されることになる。
否定論には、「中国の情報戦略」
だとか、反日左翼の策謀
だとか、プロパガンダ
などという、学問とは
関係のない
思想差別や
論者への人格攻撃が
必ず
付きまとっている。
しかし、歴史辞典や
歴史教科書、公文書類は、特定思想や
政治宣伝に関係して編集されるものではない。
したがって
それらの記述は、すべて
南京での虐殺は
事実と記される。
日本で採用されている歴史教科書は、すべて
南京事件を
記載しており、あの「作る会」編集の歴史教科書でさえも
例外ではない。
ただし、「作る会」教科書は
「日本軍
によって民衆にも多数の死傷者がでた」という程度でしか
記述していない。
これでは、まるで偶発的に
民間人が
戦闘にまきこまれて
犠牲になった
という印象をうける。
こうした表現は、じつに
不正確なものだ。
「民衆にも多数の死傷者がでた」
というのは、南京だけに
限ったことではなく、中国大陸各地で
日本軍が行動した
ほとんど
あらゆる戦場で起こったことで、これだけでは
なぜ「南京事件」が
世界的な非難の的に
なったのかが
理解できないだろう。
南京事件が
なぜ特別の注目を集めるかといえば、それは
戦闘中だけでなく、とくに
戦闘終了後も、捕虜や一般の
市民に対する
殺戮行為が
大規模に、しかも
組織的に
行われた点
なのであり、その肝心の事実を
抜きにして
「民衆にも多数の死傷者がでた」
というだけの叙述では
とても
この事件の本質を
知ることはできない。
完璧な人間など、どこにも
存在しない。
ましてや
成長過程では、誰しもが
失敗を経験する。
若気の至りで他人に迷惑をかけたり
試行錯誤を経て
世間から尊敬されるような人格者に
成長していく。
個人同様に
はじめから「完璧な国家」
も存在しない。
あらゆる国家は過去において必ず
あやまちを起こした。
悲しいことだが、高度な民主主義社会に到る過程では
避けられない運命だった。
しかし、ここから先が
その国民の資質と
国家の未来を
決定する。
過去の過ちを
ひた隠そうとする人間は
品性下劣だ。
その程度は低く、他人(他国民)から
信頼されない。
けれども、自分の過ちに気づき、その間違いを自力で
乗り越えるとき、その人間(国家)には
未来がある。
自己の行為を厳しく点検・反省する一連の苦行により
人間(国家)の質が
高められるばかりか、自浄作業
そのものが、他人(他国)の信頼を
かちとるからだ。
自分の犯した間違いを認めようとせず、自画自賛だけ
繰り返す者は、一見、愛国者に見えて、じつは国民の
質を貶め、日本国の名誉を汚し、国際社会から永遠に
この国を隔離しようとする
売国奴である
と思う。
これは メッセージ 28733 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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日本歴史学習事典(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/16 00:00 投稿番号: [28733 / 29399]
辞書や百科事典類は、当然
素人が執筆するものではない。
少なくとも
日本で発行されている
辞書・事典については
専門知識を有すると社会的に公認される
各分野の権威が
相当の研究成果と
学術的根拠に基づいて
編纂している。
たとえば、いま
手元にある『日本の歴史』(中央公論社)
第25巻『太平洋戦争』
の執筆者は、歴史学者の林茂氏だ。
歴史学に
少しでも
縁のある人間ならば、林茂の名前は
おそらく
一度ならず
聞いたことがあるだろう。
しかし、否定派の諸氏では
知らない者も多いと思うので
念のため説明すると、林氏(1912年〜1987年)は、
戦前は
東京帝国大を卒業後、京城帝国大助教授、戦後は
東京大学教授などを歴任した
日本を代表する歴史学者だ。
その林氏が執筆した
「南京占領と虐殺事件」
の解説を、
以下に
引用しておこう。
まず
南京事件の前史について
次のように
語っている。
「上海の防禦陣地を破られたあとは、南京までのあいだには
中国の防禦線はなく、日本軍は日に六、七里というスピード
で進撃を続けた。この間、『軍補給点の推進は
師団の追撃
前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る約百里
の間、殆んど糧秣の補給を受くることなく、殆んど現地物資
のみに依り、追撃を敢行せり』(『第九師団作戦の概要』)
という状態であり、徴発を名とした掠奪が行われた。同時に
『敗残兵狩り』
という名目で、一般民衆にたいする
虐殺・
暴行がくりひろげられ、それはやがて、世界を驚かせた南京
虐殺事件の前史をなしている」
短い文章だが、この作戦に加わった第9師団の作戦記録で
証拠づけをしながら、記述を
すすめているところなどは、
さすがに
歴史学者の筆だ
と思う。
続けて、南京事件の本史について述べた文章を引用しよう。
「南京城に対する攻撃は、十二月十日から開始され、十三
日には日本軍の手中におちた。
国民党政府は漢口に逃げ
のびていた。
そしてその日から、日本兵は捕虜の虐殺を
はじめた。」
このあと、林氏は
当時の旅団長として
攻撃を指揮した
佐々木到一中将の記述を引用しながら敗残兵虐殺の事実を
記述している。
どうやら、南京事件否定派の
定義では、
林氏も
捏造をたれ流す“反日サヨク”の筆頭になりそうだ。
もちろん
同氏は、学者として
事実を記したにすぎない。
記述は、事件の国際的反響をも含め
次のように続いている。
「その後も、みさかいもなく
一般民衆にたいする虐殺が
つづくのであり、十五日の夜だけで
二万人が殺されたと
いわれる。(中略)
このニュースは世界に大々的に報道
されたが、日本人は、戦後の東京裁判で
追求されるまで、
この事件を知らないでいた」(『太平洋戦争』64頁)
これは メッセージ 28731 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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マルチポストのコピペ屑がここにも登場
投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2012/12/16 00:00 投稿番号: [28732 / 29399]
相変わらず芸無しの阿呆だな。
これは メッセージ 28730 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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日本歴史学習事典(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 23:59 投稿番号: [28731 / 29399]
平凡社『日本史大事典』第5巻に記述されている南京事件の
項目は、詳細で
かつ
かなり正確な解説だ。
抜粋して
以下に
引用する。
【南京虐殺】
「日中戦争で南京占領に際し
日本軍によって
中国軍民に
加えられた大規模な残虐行為。」
「一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に
拡大、日本軍は上海で
中国軍の激しい抗戦に
直面し、
大きな損害を被った。
十一月上旬
ようやく
中国軍を
退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の
上海派遣軍(軍司令官
朝香宮鳩彦王中将)と
第一〇軍(軍司令官
柳川平助中将)を、与えられていた
任務を逸脱して
国民政府の
首都南京に向かって急進撃
させた。」
「上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた
日本軍兵士は
自暴自棄となり、補給がともなわず
現地徴発に頼ったこと、
中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれて
いたことなども加わって、南京への進撃途上で
すでに掠奪・
強姦・虐殺・放火などの非行が
常態化する状況となった。」
「十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、
徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで
大量に
処刑し、多数の一般市民を
その巻き添えにし、略奪・強姦・
放火を重ねた。
さらに
十二月二十二日、佐々木到一少将が
城内粛清委員長に就任、中国兵の狩出しと
処刑を続け、
三十八年二月初めに及んだ。」
「犠牲者数については
中国側の公式見解は三十万人とするが、
戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ
進撃途中から
三十八年二月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人
前後に達するとみられる。(以下、省略)」
以上、平凡社版『日本史大事典』
からの引用だ。
南京大虐殺を事実という者に対し、「サヨク」や
「反日」、
あるいは
「共産主義者の回し者」の類だ、と
悪罵を吐く
ウヨにかかれば、平凡社も
その類に
されてしまうだろう。
だが、平凡社にかぎらず、国内の主要な出版社が
発行する
歴史辞典・百科事典の類は、いずれも
学術的に
証明され、
信用に足る記録と
情報に基づいて
編纂されているのだ。
これは メッセージ 28730 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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日本歴史学習事典(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 23:57 投稿番号: [28730 / 29399]
権威ある辞書・事典の類で、南京大虐殺事件を
否定
または
存疑として
記述するものを
見つけ出すことは、非常に難しい。
国内の歴史教科書にも
事件自体に疑いを差し挟んでいるものは
例の「作る会」教科書も含め、おそらく
一つもないと思われる。
南京大虐殺否定論は、右翼たちが、学術的には見向きもされない
根拠のない主張を
勝手に
言い立てているにすぎない。
虐殺否定論は、公の場では認められていない、アングラ的言説だ。
このアングラ説に
とびついた
漫画(ゴー宣)や、「トンデモ本」
などのカルト本のおかげで、世界中から不信感を
招いている。
そういうものしか読まないような者は、こちらが
真説なのだと
思い込んでしまう傾向があるらしい。
じつに
困ったことだ。
小学生レベルの人間でも理解しやすい
子供向け学習事典もある。
たとえば、ネットで検索する百科事典の解説を
引用してみよう。
以下、『学研の学習百科事典
学研キッズネット』
の解説文だ。
ナンキンぎゃくさつじけん【南京虐殺事件】
「日中戦争(せんそう)中の1937(昭和12)年12月、中華民国
(ちゅうかみんこく)の首都
南京占領
(ナンキンせんりょう)
前後に日本軍(ぐん)がひきおこした
投降兵(とうこうへい)・
一般住民(いっぱんじゅうみん)を
殺害(さつがい)した事件。
南京大虐殺
(ナンキンだいぎゃくさつ)ともいう。」
「日本軍が
殺害(さつがい)した
中国人の
人数については
数万から30万までの諸説(しょせつ)があるが、この事件は
中国民衆(みんしゅう)の
怒(いか)りを
高め、国民政府
(こくみんせいふ)は
武漢(ウーハン)に
うつって
抗戦
(こうせん)を
つづけた。」
読み仮名があるので、否定派の諸氏でも
読めるだろう。
否定派諸氏なら、学研は反日サヨクが牛耳っている出版社だと
言い出すかもしれないが、実際は
そうではなく、学問的に
すでに定説となっている事実を
書いているだけのものだ。
図書館などに足を運ばない諸氏には、電子書籍もお奨めしたい。
マイクロソフト社の電子百科事典『エンカルタ百科事典』では
以下のように
解説している。
南京大虐殺
ナンキンだいぎゃくさつ
「日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の
大量虐殺事件。(中略)軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された
中国人は
数万人とする説から
43万人とする説まであるが、
少なくとも
20万人以上であった
と推定されている。」
「12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。
その後数週間にわたって、南京城内外で敗 残兵狩りや、一般市民
に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。 この日本軍に
よる蛮行は
アメリカなど世界中で
報道されたが、日本国民には
知らされず、第2次世界大戦後の
東京裁判(極東国際軍事裁判)で
はじめて明らかにされた。(以下、略)」
これは メッセージ 28729 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28730.html
日本歴史学習事典(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 23:56 投稿番号: [28729 / 29399]
日本国内の書店には
「南京大虐殺はなかった」、「外国人の捏造」、
「情報戦による謀略」、「反日プロパガンダ」、「自虐史観」などの
文言を書き連ねた
事件否定論を流布する
“トンデモ本”が
並んでいる。
来日した外国人
留学生などが
心底から驚き、
これが
日本社会の共通認識なのだろうか
と疑いを持つ。
国際的には
疑いのない歴史的事実として
認識されているが、
日本国内の一部では、70年代の頃から、中国人の捏造だとか、
あるいは
投降兵の殺害行為は正当な行為であった、などという
否定論や
正当化論が
繰り返されている。
しかし、否定論・正当化論は公的に
受け入れられてはいない。
少なくとも
日本で刊行される辞書・事典などには、否定論や
正当化論に基づく
解説などは、まったく
見当たらず、当然
政府や自治体の
公的文書、刊行物にも取り上げられていない。
つまり
否定論などは、少なくとも
学術・学問的には、
歯牙にもかけられていない
ということだ。
『山川
世界史小辞典(改訂新版)』(04年
山川出版社)は、
230名の専門家が
最新の研究成果を取り入れて
執筆した
約9,400項目を収録し、世界史を学習するうえで
必携書
といえる
権威ある歴史辞典の一つだが、その497ページに
掲載されている「南京事件」の項目は、次のように記している。
「
〔1937〕南京大虐殺
ともいう。
日中戦争初期に
中国国民政府の首都
南京を攻略した
日本軍が、中国軍民に
対して
大規模な
残虐行為を行った事件。」
「1937年
12月13日に
南京を占領した
日本軍は、
住民を
巻き込んだ
包囲殲滅戦、残敵掃蕩戦を
展開した。
この時、すでに
戦闘部隊の体をなさず、戦意を
喪失した
膨大な数の
投降兵、敗残兵、捕虜、負傷兵を、戦時国際法に
違反して
処刑、殺害した。」
「日本軍の軍事占領は翌3月まで続き、この間に
敗残兵狩り、
便衣兵(私服になった兵士)狩りを行い、兵士の嫌疑をかけた
成年男子市民も
殺害した。」
「中国女性の強姦、食物や物資の略奪、人家の放火・破壊など
軍紀の乱れによる
不法行為も
多発した。」
「南京城内とその周辺
さらに付近の農村を含めて
十数万の
中国軍民が
犠牲になった
と推測されている。」
以上が、『山川
世界史小辞典(改訂新版)』
からの引用文だが
どこを
見ても、「〜というウソ」
だとか「中国人の作り話」、
「共産主義者のプロパガンダ」
などといった解説は
ひと言も
付記されてはいない。
否定論者の諸氏は、この辞典を執筆した
学者は反日サヨクにちがいない、と
妄言を吐くほかない。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28729.html
Re: プロパガンダに騙される人
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/15 17:47 投稿番号: [28728 / 29399]
客観的証拠が無いのに云々するのは駄目ですよ。
君のような人が、流言蜚語を生み出すんですよ。
当方の資料は誰がどの様に評価しても、当時の儘の資料ですから、伝聞、風聞、裏付けの無い資料とは違います。
資料の確認をしたければ其の方法を教えますよ、どの資料を知りたいか教えてください。
これは メッセージ 28727 (勝 一 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28728.html
Re: プロパガンダに騙される人
投稿者: katu_hajime 投稿日時: 2012/12/15 17:20 投稿番号: [28727 / 29399]
>眉唾という証拠を出しましょうね、それまでは眉唾ではありませんよ。
なんでもかんでも証拠だせ!証拠だせ!って、
別に裁判やってるわけじゃないんですから。
rugaruga12さんが眉唾といったら眉唾なんです。
個人が主観的に怪しいと思うことが眉唾なんですから。
だいたいあなたが資料を確認したということでさえ、
本当かどうか怪しいものです。
口ではなんとでも言えますからね。
これは メッセージ 28726 (nya**otyan*dam*n さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28727.html
Re: プロパガンダに騙される人
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/15 14:25 投稿番号: [28726 / 29399]
>そう言うのを“眉唾”しかしていないと言うのですが。
↑眉唾という証拠を出しましょうね、それまでは眉唾ではありませんよ。
>それとあなたのいうのはすべて「あなたの感想」であって何かしらの根拠や資料に基づくものではありません。
そう言うのを「はい、そうですか」と言うのはさてどうなのでしょうね。
↑私の感想ではありません、資料が総て私の言う通りを示しているだけですよ。
反証をしてからにして下さいね。
これは メッセージ 28725 (rug*rug*12 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28726.html
Re: プロパガンダに騙される人
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/15 12:05 投稿番号: [28725 / 29399]
>ただ、彼の出してきた映像をみれば、あんなに中国人がきちんと列をつくって整然とおだやかで礼儀正しいのになにか不自然なものを感じるのです。
そう言うのを“眉唾”しかしていないと言うのですが。
>また写真では彼は満面の笑みと紹介していますが、笑ってる人もいれば憮然とした表情の人もいる、これもまた不自然です。
別に。仮にプロパガンダであるなら逆に採用しないと思いますが。
それとあなたのいうのはすべて「あなたの感想」であって何かしらの根拠や資料に基づくものではありません。
そう言うのを「はい、そうですか」と言うのはさてどうなのでしょうね。
これは メッセージ 28723 (勝 一 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28725.html
Re: プロパガンダに騙される人
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/15 10:24 投稿番号: [28724 / 29399]
>ただ、彼の出してきた映像をみれば、あんなに中国人がきちんと列をつくって整然とおだやかで礼儀正しいのになにか不自然なものを感じるのです。
↑日本軍の記録にもありますが、中国人があのように行儀良く出来るとは思わなかったそうですよ、余程嬉しかったんでしょうね、日本軍が来たことが。
>また写真では彼は満面の笑みと紹介していますが、笑ってる人もいれば憮然とした表情の人もいる、これもまた不自然です。
よくご覧になって考えてみてください、
↑憮然とする顔があるから自然なんですよ。
強制されていないから、どんな顔でも出来る、嬉しい人は嬉しいように、悲しい人は悲しいように、厭な人は厭なように、自由に表現出来る。
>繰り返しになりますが、わたしはnyankotyanndamonさんがすべて間違ってると言っているわけではありません。
↑私の資料は聞き囓りや、伝聞や、出所不明の資料は出していませんよ、況してや出所の確認の取れない資料などは、総て自分で確認しています。
これは メッセージ 28723 (勝 一 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28724.html
Re: プロパガンダに騙される人
投稿者: katu_hajime 投稿日時: 2012/12/15 09:57 投稿番号: [28723 / 29399]
>>nyankotyanndamonさんの話はつじつまの合わないことが多く眉唾ものです。
>あなたと違って資料などを提示しておりますので少なくとも眉に唾塗る位しかやることがないあなたよりははるかにましかと
なにか誤解なさっているようです。
わたしはなにもnyankotyanndamonさんの意見を全面的に否定するものではありません。
ただ、彼の出してきた映像をみれば、あんなに中国人がきちんと列をつくって整然とおだやかで礼儀正しいのになにか不自然なものを感じるのです。
また写真では彼は満面の笑みと紹介していますが、笑ってる人もいれば憮然とした表情の人もいる、これもまた不自然です。
よくご覧になって考えてみてください、
繰り返しになりますが、わたしはnyankotyanndamonさんがすべて間違ってると言っているわけではありません。
あなたも言われるように彼は、「わたしよりはるかにまし」
ですが、「まし」という言葉にはどこか欠陥があるということが含意されます。
これは メッセージ 28719 (rug*rug*12 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28723.html
和田罪は中国のお先棒を担ぐ
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/15 09:45 投稿番号: [28722 / 29399]
尖閣領空侵犯の中国機、高度60mまで降下か
読売新聞 12月15日(土)8時42分配信
【北京=五十嵐文】中国共産党機関紙「人民日報」(電子版)は14日、中国国家海洋局の航空機が13日午前9時40分(日本時間同10時40分)から約28分間にわたり沖縄県・尖閣諸島の領空を飛行し、高度60メートルまで降下して巡視活動を行ったと伝えた。
海上保安庁が領空侵犯を確認した約2分後に領空外に出た計算だ。
中国のメディアは航空自衛隊がF15戦闘機など9機を出動させたことを「過剰反応」と一斉に批判した。国際問題専門紙「環球時報」は14日、尖閣上空パトロールの「常態化」が必要で、日本が今後も戦闘機を出動させる場合は中国も海洋局の航空機から軍の戦闘機に格上げすべきだとの論評を掲載した。
また、複数のメディアは、13日が旧日本軍による南京大虐殺から75年だったと言及し、領空侵犯は日中の歴史にかかわる節目に合わせた示威行為だった可能性を示唆した。
.
最終更新:12月15日(土)8時42分
↑中国と呼応しているんだね。
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Re: 詳解日本史事典(1)
投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2012/12/15 05:11 投稿番号: [28721 / 29399]
又々出現した売国奴和田罪作り。
中国人の擁護をするが、日本人として自国を擁護することの無い、売国奴、和田罪作り。
中国の実力行使に、外交で対抗するなどと言う外交音痴、和田罪作り。
中国人は自国中国の共産党政府を嫌っているし、信用していない。
その政府を信用せよという、傀儡思想の持ち主だね、和田罪作りは。
これは メッセージ 28714 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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Re: 南京プロパガンダ写真
投稿者: rugaruga12 投稿日時: 2012/12/15 02:46 投稿番号: [28720 / 29399]
>当時の中国は、風呂にはいる習慣すらない原始的な生活をしていてプロパガンダどころではありません。
そのものいいでは上層部は千年単位で情報戦を重視しろと言っている孫子の国の連中ですが。むしろ呼吸をするのと同じくらいやらない方がおかしいとなりますけど
これは メッセージ 28709 (勝 一 さん)への返信です.
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詳解日本史事典(5)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 01:16 投稿番号: [28718 / 29399]
『歴史学事典7
戦争と外交』(平成11年初版
弘文堂)には、
かなり詳しく
解説されている。
その一部を
抜粋してみよう。
【南京事件
なんきんじけん】
「日中戦争初期、当時の中国の首都南京を
日本軍が攻略・占領
した際に
中国軍民にたいしておこなった、虐殺、強姦、掠奪、
放火、拉致、連行などの
戦時国際法と
国際人道法に反した
大規模な残虐行為の総体。南京大虐殺事件、略称として南京事件
という。単に南京大虐殺ともいう。」
「激戦3カ月におよび甚大な損害を出した(中略)上海派遣軍は
疲弊して
軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給
体制も不十分なままに難行軍を強いられたため中国軍民に対する
むきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火
などの残虐行為を重ねながら
南京に進撃していった。」
「12月4日前後に
中支那方面軍は、中国軍の
南京防衛陣地
(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から
日本軍の残虐行為が開始された。
南京城区には40〜50万人
(南京攻略戦以前の人口は100万人以上)、近郊の6つの県には
100万人前後(同じく150万人以上)の市民が残留していたが
日本軍は
これらの膨大な中国民衆を
巻き込んで、南京防衛軍に
対する
徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を
実施した。」
「同作戦は、戦時国際法に違反して、自ら武装解除した投降兵・
敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することに
なった。
一般民衆も
敵対行為、不審行動をする『敵国民』と
判断された場合は
殺害された。
日本軍は、12月13日
南京城を占領した後、17日の南京入城式に備え、徹底した
残敵掃蕩作戦を展開、長江沿岸などで
捕虜および
投降兵の
大量処刑を行った。」
「武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても中国兵であった者、中国兵
と思われた者は
すべて
殺害したので、多くの市民、難民が
巻き添えにされて犠牲になった。
さらに、日本軍には戦勝の
『慰労』として10日間前後の『休養』が与えられ、総勢7万
以上の日本軍が
南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」
として強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない
南京事件は頂点に達した。
その後、第16師団が
駐屯して
軍事占領を続け、38年3月28日に
中華民国維新政府が
成立するまで、日本軍の残虐行為は
続いた。」
以上、引用した
弘文堂編纂の歴史学事典の解説は、これまで
引用した辞書・辞典の中でも
南京事件の実相をかなり正確に
述べている。
たとえば、日本軍が
南京に進撃する途上から
残虐行為を開始していたこと、南京城占領後の不法行為の事実、
また
その原因と経過についても
あきらかにしている。
なお、この事典には
次のように
付記されている。
「70年代から80年代末にわたり、歴史事実か
『虚構』
『まぼろし』かをめぐって
いわゆる『南京大虐殺論争』が
展開され、家永教科書裁判の
争点にもなったが、いずれも
否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の
日本側の研究では、十数万から20万人の
中国軍民が
犠牲になったと推定する説が
有力である。」
これは メッセージ 28717 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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詳解日本史事典(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 01:14 投稿番号: [28717 / 29399]
『グローバルライブラリーシリーズⅡ
アジア・アフリカ事典』
(97年第1刷発行
教育出版センター)P.716の記述を見よう。
この事典では、南京虐殺事件に関して、次のように説明している。
【なんきんぎゃくさつじけん
南京虐殺事件】
「日華事変(日中戦争)中の1937年12月13日〜15日に、
南京を占領した
日本軍が引き起こした
虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した
近衛内閣は、『国内相剋の解消』
を
侵略戦争によって
解決しようと
はかった。」
「こうして
政府および軍部は、中国大陸への侵略を本格化した。
日本軍は当初、長期戦争を
予期してはおらず,当時国民政府の
あった南京を占領すれば、中国は抗戦を断念するであろうと判断
していた。
しかし中国は、共産党の働きかけによる国共合作を
成立させ、持久戦にもちこんだ」
「その結果、日本軍は三光作戦を展開し、中国全土で強姦、虐殺、
略奪を
ほしいままにした。
その典型が
南京事件である。」
「エドガー=スノーの『アジアの戦争』
によれば、南京だけで
4万2千人以上、南京への進撃途上で30万人以上が、殺された。
そのうちの
ほとんどは、『無抵抗』の
婦人・子供であった。」
上記の事典の記述でも、先に引用した『現代アジア社会事典』の
解説と同様に、虐殺事件の期間を
12月13日〜15日だけに
限定するかのような表現がある。
ただし、一方で
南京に至る侵略戦争の経緯、さらに、南京への
進撃途上でも
婦人や子どもを含む多くの非戦闘員が殺害された
という事実を述べている点では、より正確な内容となっている。
もう一冊、別の歴史辞典も
開いてみよう。
『角川
世界史辞典』(01年初版発行
角川書店)P.687
【南京事件】についての
説明は、以下のとおりだ。
「①1927年に南京で発生した国際事件(略)」
「②1937年12月、日本軍が南京の中国軍民に加えた大規模な
残虐事件。南京大虐殺といわれる。(略)日本は12月13日に
中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅
作戦を実施、すでに戦闘を放棄した膨大な数の敗残兵、投降兵、
捕虜、負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し、
敗残兵狩り、便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って
成年男子
市民を集団虐殺した。
軍紀の乱れから
中国女性を強姦する
婦女凌辱行為や食料・物資の略奪、人家を放火・破壊する
不法行為も多発した。
南京城内と
その周辺の農村を含め
20万人前後の中国軍民が
犠牲になったと推測されている」
角川世界史事典の説明でも、期間については
12月13日の
占領直後から掃討作戦が行われていた間に限定しているように
読み取れるが、一方で、南京城内に加えて
周辺農村も含めて
軍民、つまり
兵士と民間人ともに
多くの犠牲が出たことや、
その原因に日本軍の軍紀の乱れがあった事実にも
触れている。
どの辞典でも、おおむね正確に事件概要を記述しているようだ。
これは メッセージ 28716 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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詳解日本史事典(3)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 01:12 投稿番号: [28716 / 29399]
『現代アジア社会事典』(75年第1版第1刷
大和学芸図書)
「南京虐殺事件」
の項には、次のように
記述されている。
【南京虐殺事件】
「1937年12月の
南京占領にさいし、
日本軍が
中国軍の兵士および一般市民多数を
虐殺した事件」
「軍命令による
中国軍民の大虐殺が行われたのは、日本軍が
同市を占領した
37年12月13日から、中支那方面軍松井
石根大将を迎えて入城式があげられた
同17日の前夜までの
4日間であった。
だがその後も
『敗残兵狩り』
と称して
虐殺は続けられた。
また市内全域は2か月にわたり、個々の
日本兵によって、いわれのない虐殺・略奪・放火が
行われた」
「この事件は、日本敗戦後、極東軍事裁判でもとりあげられ、
判決では
この事件の中国人犠牲者の総数を
20万人前後と
いっている。
このほか、極東軍事裁判では
とりあげられな
かったが、南京付近の
長江(揚子江)一帯では
13万人の
避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ、川の水は
鮮血でまっかになっていたといわれている。」
「この事件は、当時南京にいた
外国人記者
3人によって
詳しく報道され、たちまち全世界に知れわたったが、日本では
敗戦の日まで
その事実が
ひたかくしに
かくされていた」
上記の
『現代アジア社会事典』
の解説の中にも、捏造とか
中国側のデマという説もある、などと言う文言はどこにも無い。
ただし、気になる点もある。
それは
大虐殺が行われた期間が、12月13日から始まり
同17日の前夜までの4日間であった、としている部分だ。
実際には、南京市攻略戦は
12月初めから
開始されており、
5日には
第十六師団が句容を陥れ、第九師団は
南京防衛の
第一線陣地である淳化鎮を占領した。
第十軍の
第六師団と
第百十四師団も並行して
南京に向かって
急進撃していた。
第一線部隊は
先を争うように
南京に向かって殺到したため
それでなくとも滞りがちな兵站の補給が
追い付けなくなった。
各部隊は、現地徴発という名の略奪で
急場をしのぐほかなく、
当然、防衛線の攻防戦の際に
捕虜とした中国軍兵士の給養を
確保する手段もなかった。
投降した敵兵や逃げ遅れた住民が
過酷な運命に
さらされたことは、言うまでもない。
南京大虐殺事件の期間を、日本軍入場後の
13日から始まり
その後の敗残兵狩りの期間だけに限定するのは
正確ではない。
また、事件の範囲を南京城内だけに限定するのも
正しくない。
南京陥落前は戦闘中だから敵の殺害はしかたないという反論も
あるかも知れないが、戦闘中であっても、捕虜の殺害は違法で
あるし、ましてや
非戦闘員に対する略奪や暴行は許されない。
これは メッセージ 28715 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
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詳解日本史事典(2)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 01:11 投稿番号: [28715 / 29399]
たとえば
日本大百科全書(小学館)は、南京大虐殺について
客観的な事実であることを前提に、以下のように解説している。
「占領当日から翌日にかけての南京城内外における掃蕩戦では、
戦意を失った多数の中国兵を
掃射によって虐殺し、また以後
1週間ばかりの間に、捕虜や、民間人の間に
身を潜めていて
狩り出された敗残兵(便衣兵)の大部分が
集団虐殺された。」
「戦死者を含めて中国軍の犠牲者は
10万を下らなかったと
推測される。これら将兵のほか、掃蕩戦で犠牲になった市民や
城外からの避難民、また敗残兵狩りの巻き添えで殺された市民も
少ない数ではなかった。
中国軍将兵に対する
集団虐殺は
明らかに
軍命令によるものであった」
さらに、被害の状況については、以下のように
記述している。
「城内家屋の被害は軍事行動によるもの1.8%、放火13%
(主要実業街は平均32.66%)、略奪63%に及び、中国人
は南京に処女1人もなしと称した」
「日本軍は
遺棄死体
8万4000
と発表したが、現地の
慈善団体が組織した二つの埋葬隊の記録によれば、その埋葬数は
あわせて15万5337体
に上り、揚子江(ようすこう)岸で
集団虐殺されて
同江に投棄されたもの
その他を加えれば、
中国軍民の犠牲者は
20万を下らなかったものと推測される」
上記の百科事典は各学術分野の研究成果に基づき、科学的視点で
まとめられており、相当の
準備期間と
綿密な編纂作業を経て
世に出されている書籍だ。
擬似科学や
オカルトを
主張する
トンデモ本とでは、情報の質・量とも
まったく比較にならない。
後者が垂れ流す情報を妄信して、世界に通用しない説を吹聴する
南京虐殺否定論者は、カルト教団の
狂信的信者に
等しい。
ちなみに、「トンデモ本」
に関して言えば、「と学会」
では
虐殺否定派の論客として知られる
亜細亜大学の東中野教授の
著書について、次のように
批評している。
「東中野教授がどんなデタラメな手法を用いているかが分かる。
些細な矛盾点を針小棒大に取り上げて証言全体を否定しようと
したり、文章を引用する際、歪曲して
正反対の意味にして
しまったり、都合の悪い記述は
無視する一方、信憑性の低い
資料を重視したり、まさに『好き勝手』
としか、いいようが
ないのだ。
南京大虐殺の
犠牲者数については、『三〇万人』
と『ゼロ』という
両極端のトンデモ説が
火花を
散らして
いるが、東中野教授の著書はその中でも特にインチキだらけの
ひどい代物
なのである――」
たしかに
東中野氏の著書を読んでみると、客観性に乏しく、
検証手法も
お粗末で、幼稚な内容だと感じるものではあるが、
すくなくとも、東中野氏も
虐殺や略奪があったことは
事実として
認めている。
ただ、それを
合法化しようと
さまざまな
詭弁を
こねくりまわしているにすぎない。
これは メッセージ 28714 (wad**umi_vo**e21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28715.html
詳解日本史事典(1)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2012/12/15 01:09 投稿番号: [28714 / 29399]
留学生などの外国人が
日本に滞在していて驚くことのひとつは、
書店に行くと
南京虐殺事件を「ウソ」、「虚構」、「マボロシ」
「捏造」
とする本が、堂々と
平積みされていることだという。
また、テレビ番組で
一部の評論家が、「南京大虐殺はなかった」
「外国人の捏造」
などと発言していることも
不思議だという。
さらに、電車の中吊り公告で目にする
週刊雑誌などの目次には
南京虐殺に関連して、「米中の情報戦による謀略」
だとか、
「反日プロパガンダ」、「自虐史観」、「左翼・マルクス主義史観」
などの文字が
躍っているのを
目にする。
そこで
留学生たちは、日本の社会では
南京虐殺否定論が主流で
圧倒的なのだ
と思ってしまう
というのだ。
しかし
実際には、そうではない。
たとえば
日本政府の公式見解では、犠牲者数は認定できないが
日本軍により
多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは
『否定できない事実』
である、としている。
また
出版物については、いわゆる「トンデモ本」
とよばれる
一部の自称研究家の著書を除き、辞書・事典類
をはじめとする
学術書、教科書、公文書類はいずれも虐殺事件を事実としている。
日本で広く使用されている国語辞典
『広辞苑』第四版を開くと、
【南京】
の項目には
「南京大虐殺」
の小項目があり、
「日中戦争で南京が占領された37年12月前後に南京城内外で
日本軍が
中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、
あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件」
とある。
『大辞泉』では
【南京大虐殺】の解説として、「日中戦争初期の
昭和12年、南京を占領した日本軍による中国軍捕虜や一般市民
に対する大規模な略奪・暴行・虐殺事件」
と記述している。
『大辞林』は
同項目で、「日中戦争さなかの 1937 年12月
から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して
行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。
このとき殺された中国人の
数は、極東軍事裁判では
二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜
四〇万人とされる」
と説明している。
また、「詳解
日本史用語事典」(三省堂03年発行)
を開くと、
【南京大虐殺】
の項目には、次のように
記述されている。
「1937年12月、日本軍は
国民政府の首都
南京への攻略戦で
十数万人から20万人の
中国兵捕虜や民間人を虐殺し、略奪・
暴行・放火・強姦などの
残虐行為を行った。」
「欧米では
『南京アトロシティー(大虐殺)』
と報道され
国際的非難を浴びたが、日本国民には
知らされなかった。」
どの辞書・事典も、たとえば
「〜という説である」
だとか、
「あった可能性もある」
などという
曖昧な表現
ではなく、
事実を指す言葉、実際にあった事件として、説明している。
「外国人によるウソ」
「反日勢力の用語」
などという解説は
いずれの辞書・事典を探しても
見出すことは
できない。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28714.html
Re: 南京プロパガンダ写真
投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2012/12/14 23:44 投稿番号: [28713 / 29399]
>バンザイしている指先の脱力感を見れば、この方々は無理やり笑わされている可能性があります。
揚げ足取り。手の脱力は事情をよく知らない子供だけ。大人のまねをして万歳している。万歳しているシナ人の大人の手は弛緩していない。
これは メッセージ 28704 (勝 一 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb_1/28713.html
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