南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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盧溝橋事件:日付を8日にする必要なし

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2005/06/05 18:46 投稿番号: [9103 / 29399]
>対外的説明などのために(例えば、「自分たちが素早く対応した」ということにしたいがために)、「7月13日」頃に「7月8日」付けの文書を作ることぐらい、いくらでもあるでしょ。

何で、支那共産党が、そんなに素早く対応したことにしなければならないんだ?
「7月13日」頃に「7月13日」付けの文書を作って支那共産党に何か不都合があるのか?


>当時の中国側が、「第一発」を、「日本軍からの銃撃」として認識していただけの話でしょ。

当時の支那側が、「第一発」を、「日本軍からの銃撃」として認識していた資料は?
7月7日の夜10時半過ぎに日本軍が銃撃された様子についてはいろんな資料があるが、支那側が銃撃を受けた様子を述べている資料というのを知らないから教えてほしい。
日本軍が7月7日に盧溝橋で行っていたのは空砲演習であり、しかも、空砲演習にも拘わらずに異例の事前通告をしていた。
―――――――――――――――――――
  日本側に、冀察政務外交専員の林耕宇から「空砲で演習する場合でも、あらかじめ中国側に通告して欲しい」との要請があり、特務の方で検討する事になりました。
  北清議定書では、実弾射撃の場合は通報する事になっていますが、空砲の場合は規定されていません。
  「日本だけ勝手に規定を変える事はできない、ここは他の列強と協議してからでなければ」
  「しかし、今、不穏なこの時期、間違いがあれば大変な事になる」
  「ここは一時的に彼らの要求を通したら」
という事で、『7月6日、7日、9日、10日の4日間、日本軍が盧溝橋の原で昼夜空砲を使って演習する』という通告が、その日の晩に、中国側に通達されました。
  1937年7月7日、日本軍は盧溝橋の原で、鉄帽もかぶらず空砲を使って演習していました。
『盧溝橋事件』寺平忠輔著(読売新聞社刊)
―――――――――――――――――――
実弾演習は事前通告の規定が「議定書」にあるが、空包演習事前通告の規定はなく、慣行で無通告実施で何の問題も無かった。
しかし、日本側は支那の言い掛かりにも素直に従い、空包演習無通告慣行を破って、事前に支那側に予告し、鉄帽もかぶらず空砲を使って演習を行った。
このような経緯があるのに、支那側が銃撃を受けたとして、「日本軍からの銃撃」として認識するものだろうか?


>当事者であった「堤防の部隊」は全滅しちゃっているわけだから、

「堤防の部隊」の全滅って何のこっちゃ?


>>7月9日午前4時に支那側が蘆溝橋から撤退する協定が成立したのだから

>中国共産党にとっては、「停戦協定」のままで終わっては困るわけなんで、何とか戦局を拡大したい、と煽動しただけの話だと思いますが。

別に無理に8日付けの電文にしなくても、いくらでも煽動するチャンスはあった筈だが。
11日に日本政府は華北への派兵声明をしたのだから、その後の方が煽動し易いだろ。

●1937年
7月7日、盧溝橋事件。演習中の日本軍が銃撃される。
7月8日、日本軍が反撃開始
7月9日、停戦の約束が成立。蒋介石は4個師団と戦闘機を北支に派遣。
7月10日、支那兵が攻撃再開
7月11日、停戦協定が成立。日本政府、華北への派兵を声明。
7月13日、支那兵が移動中の日本軍トラック2台に手榴弾を投げ込み全員を爆殺
7月14日、支那兵が日本の騎馬兵を惨殺
7月16日、事件を収集させようとする宋哲元に対し、蒋介石は「日本の策謀に乗じるな、戦備を整えよ」と打電
7月17日、蒋介石が『生死関頭』演説を行い戦争の決意を表明


>だからその日付は、中国共産党の嘘っぱちである可能性がある、と言っているわけだ。

電報という証拠があるのに、その日付が嘘っぱちだと言い張ったら、何も分からないままになる。
別に日付が7月9日以降でも構わないじゃないか。
8日は日支双方が何が何だか分からない状況にあった。
仮に「起算日」の資料だとしても、8日付にするのは無理がある。
予め、事件を企て実行し、即座に通電を発したと考えるのが当然だ。
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