毒ガス戦
投稿者: yu77799 投稿日時: 2005/06/02 21:14 投稿番号: [9050 / 29399]
しかし、不思議な発想です。
nさんは、「東京裁判」で挙げられた証拠群が、この世に存在する「すべて」だとでも思っているんでしょうか? じゃあ、それ以降、歴史家たちがやることは、何にもなくなってしまいますね。
「南京」関係では、論議の高まりとともに、80年代末から90年代にかけて、大量の「新資料」が発掘されました。これらの「新資料」群は、今では、「論議」の定番として定着しています。
あの東中野先生だって、はるばる台湾くんだりまで言って、新資料を発見してきました。正確性の上では大いに問題がある資料ですが、少なくとも、「これまで知られていなかった資料」であることは間違いありません。
個人が保管していた極秘資料の流出、アメリカの大学図書館での調査、ドイツ外務省保管文書、あるいは防衛庁にある「戦闘詳報」群でもいいです。
これまで誰も注目していなかったところから「資料」が発掘された例など、いくらでもあります。
「戦闘詳報」を例に挙げるならば、終戦直後、軍部から「焼却命令」が出されました。
大半が焼却されてしまいましたが、個人がこっそりと隠し持っていた写しが、戦後(もちろん、東京裁判より後)になって、大量に出現してきたわけです。
「東京裁判」に出てこなかった資料は怪しい、なんて、よく言えるなあ。
「毒ガス戦」は、東京裁判では認められなかった。これ自体は、たぶん事実なんでしょう。
しかしだからと言って、「毒ガス戦」自体が存在しなかった、と決め付けることは、できません。
「南京」だって、当時から見ると考えられないくらい大量の資料が出現しています。「毒ガス戦」だって同じこと、というだけの話でしょう。
>毒ガス疑惑に限定しても、これだけの疑問材料があって、後年発掘された資料の真偽に疑問を感じない貴方のセンスの方が私にはとんでもないと思えますけどね。
実際に、どんな資料であるか、どのような出自であるかを何にも調べずに、いきなり「疑問」がある、と断定しちゃうわけですか。これじゃあ、あのでりちゃんのレベルですよ。
例えば、私の手元にある「十五年戦争極秘資料集 第十八集 毒ガス戦関係資料」には、16の資料が掲載されています。
このうち、前回のレスでも登場した「武漢攻略戦に於ける化学戦実施報告」(中支那派遣軍司令部、1938年11月)を見てみましょうか。
この資料は、「昭和十三年十二月十一日 中支那派遣軍参謀長 河辺正三」から、「陸軍次官 山脇正隆殿」に送付されています。これは、例の「陸支密大日記」に収録されたもののようですね。
どうして東京裁判に提出されなかったのかは私にはわかりませんが、少なくともこの資料の実在を疑う人はいないでしょう。
全部手書きで、80ページにも及ぶ膨大なこの資料、当時の軍司令部が著した、紛れもない一級資料です。
で、Nさんがこの資料に疑問を持つ理由は、一体何なのでしょうか?
まあ、私自身、「毒ガス戦」にはまだとっかかったばかりですので、それほど知識があるわけではありません。でも、「毒ガス戦の実在がどのように証明されているのか」というのは、結構面白いテーマかもしれませんね。
「積んどく」になっていた手元資料を、少しじっくりと読んでみることにしましょうか。
nさんは、「東京裁判」で挙げられた証拠群が、この世に存在する「すべて」だとでも思っているんでしょうか? じゃあ、それ以降、歴史家たちがやることは、何にもなくなってしまいますね。
「南京」関係では、論議の高まりとともに、80年代末から90年代にかけて、大量の「新資料」が発掘されました。これらの「新資料」群は、今では、「論議」の定番として定着しています。
あの東中野先生だって、はるばる台湾くんだりまで言って、新資料を発見してきました。正確性の上では大いに問題がある資料ですが、少なくとも、「これまで知られていなかった資料」であることは間違いありません。
個人が保管していた極秘資料の流出、アメリカの大学図書館での調査、ドイツ外務省保管文書、あるいは防衛庁にある「戦闘詳報」群でもいいです。
これまで誰も注目していなかったところから「資料」が発掘された例など、いくらでもあります。
「戦闘詳報」を例に挙げるならば、終戦直後、軍部から「焼却命令」が出されました。
大半が焼却されてしまいましたが、個人がこっそりと隠し持っていた写しが、戦後(もちろん、東京裁判より後)になって、大量に出現してきたわけです。
「東京裁判」に出てこなかった資料は怪しい、なんて、よく言えるなあ。
「毒ガス戦」は、東京裁判では認められなかった。これ自体は、たぶん事実なんでしょう。
しかしだからと言って、「毒ガス戦」自体が存在しなかった、と決め付けることは、できません。
「南京」だって、当時から見ると考えられないくらい大量の資料が出現しています。「毒ガス戦」だって同じこと、というだけの話でしょう。
>毒ガス疑惑に限定しても、これだけの疑問材料があって、後年発掘された資料の真偽に疑問を感じない貴方のセンスの方が私にはとんでもないと思えますけどね。
実際に、どんな資料であるか、どのような出自であるかを何にも調べずに、いきなり「疑問」がある、と断定しちゃうわけですか。これじゃあ、あのでりちゃんのレベルですよ。
例えば、私の手元にある「十五年戦争極秘資料集 第十八集 毒ガス戦関係資料」には、16の資料が掲載されています。
このうち、前回のレスでも登場した「武漢攻略戦に於ける化学戦実施報告」(中支那派遣軍司令部、1938年11月)を見てみましょうか。
この資料は、「昭和十三年十二月十一日 中支那派遣軍参謀長 河辺正三」から、「陸軍次官 山脇正隆殿」に送付されています。これは、例の「陸支密大日記」に収録されたもののようですね。
どうして東京裁判に提出されなかったのかは私にはわかりませんが、少なくともこの資料の実在を疑う人はいないでしょう。
全部手書きで、80ページにも及ぶ膨大なこの資料、当時の軍司令部が著した、紛れもない一級資料です。
で、Nさんがこの資料に疑問を持つ理由は、一体何なのでしょうか?
まあ、私自身、「毒ガス戦」にはまだとっかかったばかりですので、それほど知識があるわけではありません。でも、「毒ガス戦の実在がどのように証明されているのか」というのは、結構面白いテーマかもしれませんね。
「積んどく」になっていた手元資料を、少しじっくりと読んでみることにしましょうか。
これは メッセージ 9025 (yu77799 さん)への返信です.