ソ連と支那が細菌使用→日本が防衛的研究
投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2004/12/11 00:50 投稿番号: [7056 / 29399]
「ロシアと中国が細菌を使ったので、日本は防御的生物戦の研究をやらざるをえなくなった」
フェルの尋問に対する石井の答弁
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支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた「敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査」(内藤裕史編・解説「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒 ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。
右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧 表で記録している。
例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌 を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。
また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。
「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」信夫淳平博士
(「昭和史研究會報」中村粲/第39、40)
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毒ガスや細菌を軍事に使用したのは中国の方がずっと早かったことを忘れないで頂きたい。
中国は早くも一九二六年三月、ソ連からー万発もの毒ガス弾を購入してをり、降ってー九三七年九月、第二次上海事変ではコレラ菌やホスゲンなどの細菌・猛毒物を日本軍に対して各地で使用してをり、その結果、多数の同胞中国民衆をも死に至らしめてゐるのだ。
また我軍はソ連製の毒ガス弾も大量に押収してゐる。これについては筆者が編集発行する『昭和史研究所会報第39号、第40号に「細菌・毒ガス戦・/中国が最初の違反者だった」として信夫淳平博士の論述を紹介してある。
また北京にも、すでに支那事変初期に細菌戦研究所のあった事実は岡部直三郎・北支方面軍参謀長の日記にも記載が見える。
要するに細菌・毒物を作戦に使用したのは日本より中国の方がずっと早かったといふことだ。
「731部隊」を非難する前に、中国は自らの過去の所業を率直に認め、反省されるがよい。
『正論(平成13年7月号)』「過去の歴史を反省すべきは中国の方だ」中村粲著
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井戸水にはアメーバ赤痢菌がうようよしているほか、9月に上海戦線でコレラ患者が多発したのは、中国軍の細菌戦による疑いが濃厚である。
「支那軍ノ指令ヲ奪取セルトコロ、其ノ中ニ井戸水ヲ飲用スベカラズトノ指示アリ。則チ敵ガ井戸ニ細菌を投ゼシモノト察せられる」
『日中戦争』(文庫本第4巻)児島襄著
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ノモンハン事件とは
ノモンハン会事務局長 阿部 武彦
『731部隊「関東軍防疫給水部」について』
実態について殆ど知らないが、戦場において次のような行動があった。
防疫給水について大活躍し恩恵を受けた。砂質広漠地故、水に乏しく、ハルハ河は敵の火制下で利用困難、唯一の水源であるホルステン河(水流部3〜5メートル、水は濁っているが水源が泉故、枯渇することはない)工兵橋に大型濾水機を設置して、全第一線部隊の給水源としての大役を担当した。この濾水機は細菌のみならずリケッチャまでも排除できた。
「ノモンハン事件」の間に一度「ハルハ河で腸チブス菌が検出された。ソ連が上流で投下した疑が在るので、防疫給水部の水以外を飲用しないように」との注意があった。
ハルピン郊外に駐屯して防疫給水と伝染病の研究をしている旨の文書をみたことがある。元来防疫給水を任務とする部隊であるが、細菌戦の攻防にまで研究範囲が拡大していくのは、各国共通の成り行きであろう。細菌戦の恐ろしいのは、フラスコ一本であっても、大きな効果を収めることが可能であり、隠密裏に使用しやすく、一般の伝染病と判別困難なことである。しかしながらノモンハンには住民もおらず、地勢・気候も不適で彼我ともに、細菌を使用していないことを断言できる。
『ノモンハン戦場日記』
ノモンハン会=編
1994年10月15日
新人物往来社
フェルの尋問に対する石井の答弁
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支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた「敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査」(内藤裕史編・解説「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒 ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。
右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧 表で記録している。
例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌 を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。
また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。
「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」信夫淳平博士
(「昭和史研究會報」中村粲/第39、40)
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毒ガスや細菌を軍事に使用したのは中国の方がずっと早かったことを忘れないで頂きたい。
中国は早くも一九二六年三月、ソ連からー万発もの毒ガス弾を購入してをり、降ってー九三七年九月、第二次上海事変ではコレラ菌やホスゲンなどの細菌・猛毒物を日本軍に対して各地で使用してをり、その結果、多数の同胞中国民衆をも死に至らしめてゐるのだ。
また我軍はソ連製の毒ガス弾も大量に押収してゐる。これについては筆者が編集発行する『昭和史研究所会報第39号、第40号に「細菌・毒ガス戦・/中国が最初の違反者だった」として信夫淳平博士の論述を紹介してある。
また北京にも、すでに支那事変初期に細菌戦研究所のあった事実は岡部直三郎・北支方面軍参謀長の日記にも記載が見える。
要するに細菌・毒物を作戦に使用したのは日本より中国の方がずっと早かったといふことだ。
「731部隊」を非難する前に、中国は自らの過去の所業を率直に認め、反省されるがよい。
『正論(平成13年7月号)』「過去の歴史を反省すべきは中国の方だ」中村粲著
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井戸水にはアメーバ赤痢菌がうようよしているほか、9月に上海戦線でコレラ患者が多発したのは、中国軍の細菌戦による疑いが濃厚である。
「支那軍ノ指令ヲ奪取セルトコロ、其ノ中ニ井戸水ヲ飲用スベカラズトノ指示アリ。則チ敵ガ井戸ニ細菌を投ゼシモノト察せられる」
『日中戦争』(文庫本第4巻)児島襄著
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ノモンハン事件とは
ノモンハン会事務局長 阿部 武彦
『731部隊「関東軍防疫給水部」について』
実態について殆ど知らないが、戦場において次のような行動があった。
防疫給水について大活躍し恩恵を受けた。砂質広漠地故、水に乏しく、ハルハ河は敵の火制下で利用困難、唯一の水源であるホルステン河(水流部3〜5メートル、水は濁っているが水源が泉故、枯渇することはない)工兵橋に大型濾水機を設置して、全第一線部隊の給水源としての大役を担当した。この濾水機は細菌のみならずリケッチャまでも排除できた。
「ノモンハン事件」の間に一度「ハルハ河で腸チブス菌が検出された。ソ連が上流で投下した疑が在るので、防疫給水部の水以外を飲用しないように」との注意があった。
ハルピン郊外に駐屯して防疫給水と伝染病の研究をしている旨の文書をみたことがある。元来防疫給水を任務とする部隊であるが、細菌戦の攻防にまで研究範囲が拡大していくのは、各国共通の成り行きであろう。細菌戦の恐ろしいのは、フラスコ一本であっても、大きな効果を収めることが可能であり、隠密裏に使用しやすく、一般の伝染病と判別困難なことである。しかしながらノモンハンには住民もおらず、地勢・気候も不適で彼我ともに、細菌を使用していないことを断言できる。
『ノモンハン戦場日記』
ノモンハン会=編
1994年10月15日
新人物往来社
これは メッセージ 7055 (dorawasabi5001 さん)への返信です.