安全区以外は無人と断定できない
投稿者: felix0014 投稿日時: 2004/09/26 19:40 投稿番号: [6172 / 29399]
>南京城の面積は世田谷区よりも狭く、鎌倉市とほぼ同じ。
南京市の面積は南京城内よりはるかに大きいです。
>国際安全委会は安全区にいる避難民の食糧調達や配給等にも関与したため、人口の把握が必要だった。
必要だったかもしれませんが、実際に人口調査をおこなった形跡はありません。
>そして、戦闘が始まった12月12日の夜には、南京に残った市民のすべてが国際安全区にいた
ラーベの日記にもある下関の霞棲寺の存在によって、「すべて」という当初の委員会の認識は、委員会自身によって否定されています。
少なくとも、当初の認識が正確だとは委員会自身は認識していないようです。
さらに、以下の記述を見ると、熊本師団は安全区以外に難民がいたという認識のようです。
「のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。」(「熊本師団戦史」P128〜P129)
これは メッセージ 6170 (deliciousicecoffee さん)への返信です.
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