toitatoiさん
投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/07/17 18:09 投稿番号: [5481 / 29399]
レスが遅れました。
私も【新潮】読んだのですが、疑問があります。
つまり今回の記事は【百人斬りは嘘っぱち】であると、当時のカメラマンの【佐藤氏】が証言したと言うものですね。
しかし、不思議な事に【野田少尉自身の行為・・・母校で語った詳細な百人斬りの模様や、故郷の友人への百人斬りに関する手紙や、戦友に作ってもらった百人斬りの歌】については【言及無し】ですね。
なぜでしょうか?
これらは、野田自身が自ら【百人斬りは事実である】と言う事を補強する行為ではありませんか?
もし、【百人斬りは大嘘】であるが、英雄になりたくてこのような【行動】を行ったのなら、それこそ野田少尉の【自己責任】ではないですか?
それに【浅海記者】が嘘っぱちを書いた・・と証言しているようですが、すでに【浅海記者】は故人であり、反論できません。
どうして、ずっと以前に【百人斬り論争】があったときに、【あの記事は嘘っぱち】と証言しなかったのでしょうか?
1972年当時の【新潮】にも今回の佐藤カメラマンが証言していますが、【嘘っぱち】なんていっていませんね。
1972年当時だったら、浅海記者も存命だったと思いますが、変ですね。
★【佐藤カメラマンの証言】【今回の】新潮記事から↓
問題の東京日日新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。
記事を執筆したのは、浅海一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長。退職後、中国問題評論家。故人)。
佐藤氏と浅海記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会った際の様子を、佐藤氏はこう振り返る。
「浅海から”将校が2人いるんだけど、タバコを切らしているんでやってくれ”と言われたのです。私は、上海で買い込んでおいたタバコを彼等にあげました。その時に、浅海から”これから南京に入るんだけど、100人斬るんだって。
だから写真を撮ってやってくれ”と言われたのです。それで2人に、”どうやって100人斬るんだ。まさかチャンバラじゃないだろう?”と聞くと、”白兵戦をやるから”と言うのです。
”誰が証明するんだ?”と聞くと”私の当番兵が勘定する”と説明したのです」
しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという・・
★どら・・・下記は【1972年の新潮】に記載された佐藤証言 ↓
佐藤振寿カメラマン (第4報掲載写真撮影者)
とにかく十六師団が常州に入城したとき、私らは城門の近くに宿舎をとった。
宿舎といっても野営みたいなものだが、社旗を立てた。そこに私がいた時、浅海さんが“撮ってほしい写真がある”と飛び込んで来たんですね。私が“なんだ、どんな写真だ”と聞くと、外にいた二人の将校を指して、“この二人が百人斬り競争をしているんだ。一枚頼む”という。
“へえー”と思ったけど、おもしろい話なので、いわれるまま撮った写真が“常州にて”というこの写真ですよ。写真は城門のそばで撮りました。二人の将校がタバコを切らしている、と浅海さんがいうので、私は自分のリュックの中から『ルビークイーン』という十本入りのタバコ一箱ずつをプレゼントした記憶もあるな。
【 私が写真を撮っている前後、浅海さんは二人の話をメモにとっていた。だから、あの記事はあくまで聞いた話なんですよ。】
・・・(どら・・つまり野田少尉たちから聞いた話を記事にした)
あの時、私がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのかよくわからないけれど、確かどちらかが、“あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか”と聞きましたよ。
そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。
【その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。】
――それなら話はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ。
『週刊新潮』昭和47(1972)年7月29日号 p.35
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/houdou.htm
私も【新潮】読んだのですが、疑問があります。
つまり今回の記事は【百人斬りは嘘っぱち】であると、当時のカメラマンの【佐藤氏】が証言したと言うものですね。
しかし、不思議な事に【野田少尉自身の行為・・・母校で語った詳細な百人斬りの模様や、故郷の友人への百人斬りに関する手紙や、戦友に作ってもらった百人斬りの歌】については【言及無し】ですね。
なぜでしょうか?
これらは、野田自身が自ら【百人斬りは事実である】と言う事を補強する行為ではありませんか?
もし、【百人斬りは大嘘】であるが、英雄になりたくてこのような【行動】を行ったのなら、それこそ野田少尉の【自己責任】ではないですか?
それに【浅海記者】が嘘っぱちを書いた・・と証言しているようですが、すでに【浅海記者】は故人であり、反論できません。
どうして、ずっと以前に【百人斬り論争】があったときに、【あの記事は嘘っぱち】と証言しなかったのでしょうか?
1972年当時の【新潮】にも今回の佐藤カメラマンが証言していますが、【嘘っぱち】なんていっていませんね。
1972年当時だったら、浅海記者も存命だったと思いますが、変ですね。
★【佐藤カメラマンの証言】【今回の】新潮記事から↓
問題の東京日日新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。
記事を執筆したのは、浅海一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長。退職後、中国問題評論家。故人)。
佐藤氏と浅海記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会った際の様子を、佐藤氏はこう振り返る。
「浅海から”将校が2人いるんだけど、タバコを切らしているんでやってくれ”と言われたのです。私は、上海で買い込んでおいたタバコを彼等にあげました。その時に、浅海から”これから南京に入るんだけど、100人斬るんだって。
だから写真を撮ってやってくれ”と言われたのです。それで2人に、”どうやって100人斬るんだ。まさかチャンバラじゃないだろう?”と聞くと、”白兵戦をやるから”と言うのです。
”誰が証明するんだ?”と聞くと”私の当番兵が勘定する”と説明したのです」
しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという・・
★どら・・・下記は【1972年の新潮】に記載された佐藤証言 ↓
佐藤振寿カメラマン (第4報掲載写真撮影者)
とにかく十六師団が常州に入城したとき、私らは城門の近くに宿舎をとった。
宿舎といっても野営みたいなものだが、社旗を立てた。そこに私がいた時、浅海さんが“撮ってほしい写真がある”と飛び込んで来たんですね。私が“なんだ、どんな写真だ”と聞くと、外にいた二人の将校を指して、“この二人が百人斬り競争をしているんだ。一枚頼む”という。
“へえー”と思ったけど、おもしろい話なので、いわれるまま撮った写真が“常州にて”というこの写真ですよ。写真は城門のそばで撮りました。二人の将校がタバコを切らしている、と浅海さんがいうので、私は自分のリュックの中から『ルビークイーン』という十本入りのタバコ一箱ずつをプレゼントした記憶もあるな。
【 私が写真を撮っている前後、浅海さんは二人の話をメモにとっていた。だから、あの記事はあくまで聞いた話なんですよ。】
・・・(どら・・つまり野田少尉たちから聞いた話を記事にした)
あの時、私がいだいた疑問は、百人斬りといったって、誰がその数を数えるのか、ということだった。これは私が写真撮りながら聞いたのか、浅海さんが尋ねたのかよくわからないけれど、確かどちらかが、“あんた方、斬った、斬ったというが、誰がそれを勘定するのか”と聞きましたよ。
そしたら、野田少尉は大隊副官、向井少尉は歩兵砲隊の小隊長なんですね。それぞれに当番兵がついている。
【その当番兵をとりかえっこして、当番兵が数えているのだ、という話だった。】
――それなら話はわかる、ということになったのですよ。私が戦地でかかわりあった話は、以上だ。
『週刊新潮』昭和47(1972)年7月29日号 p.35
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/houdou.htm
これは メッセージ 5475 (toitatoi さん)への返信です.