南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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>>>横から失礼・・1

投稿者: dorawasabi5000 投稿日時: 2004/05/31 22:52 投稿番号: [5296 / 29399]
>>【師団命令として『支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ』】
と電話で伝えられた。私は、これはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。

>とあるように、やはり「とんでもない」異常なこと、滅多にないことではあったのでしょう。


【多量の捕虜殺害指令】ですから、困惑したのではないですか?
南京入場以前にも皇軍は、虐殺しつつ、進軍していたようですから。↓




★「第一六師団第二〇連隊   牧原信夫上等兵の日記」


〔一一月十八日〕

ある中隊の上等兵が老人に荷物を持たせようとしたが、老人が持たないからといって橋から蹴倒して小銃で射殺しているのを目前で見て可哀想だった。


〔一一月二二日〕

道路上には支那兵の死体、【民衆および婦人の死体】が見づらい様子でのびていたのも可哀想である。
  橋の付近に五,六個の支那軍の死体がやかれたり、あるいは首をはねられて倒れている。話では砲兵隊の【将校がためし切り】をやったそうである。



〔一一月二六日〕

(中略)自分たちが休憩している場所に四名の【敗残兵】がぼやっと現れたので早速捕らえようとしたが、一名は残念ながら逃がし、あと三名は捕らえた。兵隊達は早速二名をエンピ(小型シャベル)や十字鍬で叩き殺し、一名は本部に連行、通訳が調べたのち銃殺した。



〔一一月二七日〕

支那人のメリケン粉を焼いて食う。休憩中に家に隠れていた敗残兵をなぐり殺す。


〔一一月二八日〕

午前十一時、大隊長の命令により、下野班長以下六名は小銃を持ち、残敵の掃討に行く。・・・・・・自分たちが前進するにつれ支那人の若い者が先を競って逃げていく。何のために逃げるのかわからないが、

【逃げるものは怪しいと見て射殺する。】


  部落の十二,三家に付火するとたちまち火は全村を包み全く火の海である。


【老人が二,三人いてかわいそうだったが命令だから】仕方がない。次ぎ、次ぎと【三部落を全焼さす】。そのうえ五,六名を射殺する。意気揚々とあがる。


〔一一月二十九日〕

武進は抗日、排日の根拠地であるため全町掃討し、【老若男女をとわず全員銃殺】す。

敵は無錫の戦で破れてより全く浮き足立って戦意がないのか、あるいは後方の強固な陣地に立てこもるのかわからないが、全く見えない。



〔一二月一日〕

途中の部落を全部掃討し、また船にて逃げる二名の敗残兵を射殺し、あるいは火をつけて部落を焼き払って前進する。呂城の部落に入ったおりすぐに徴発に一軒家に入ったところ三名の【義勇兵らしきもの】を発見。二名はクリークに蹴落とし、射殺する。一名は大隊本部に連行し手渡す。


http://plaza25.mbn.or.jp/~hinode_kogei/DATA.html#nanking1





>それから、松井石根大将処刑は、

>>この義務の遂行を怠った事について彼は犯罪的責任があると認めねばならぬ。

>ということで、やはり、上官としての職務怠慢で処刑ですから、向井、野田両氏の上官も処刑とまではいかなくても、相当の責任追及、処罰があってしかるべきだったと思いますが。


そうですね。
しかし、厳密に上官を罰していたら、全ての皇軍将校がこれに該当したでしょうね。
中国側は、はっきり証拠のある者を処罰したそうです。




>新聞記事にまでなったのですから、俺も見た、私も聞いたという、(向井、野田両氏の身辺にいた)当時の将兵からの証言が当然あるはずですが。



証言すると、彼らを窮地に追いやる事になるし、お前はどうなんだ?と薮蛇になる可能性もありますね。
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